第1回放送~小林旭を語る・その1 ゲスト・船村徹 その1
 
《キキトリ版(一部)》
大滝詠一の「スピーチ・バルーン」。小林旭特集。
本日は、船村徹さんをゲストにお迎えいたしまして、そのパート1をお送りいたします。
(はじけたドラム音から歌「ダイス転がせ〜」)
大滝:まあ、小林旭さんについて、と思って。
大滝:お話を伺いたいと思ったんですが、
船村:ええ。
大滝:デビュー曲が、あの「女を忘れろ」。
船村:ええ。ええ。懐かしいですね。
大滝:シングル盤を持って参りましたけれども、それがあのー、船村先生の作品だということで。
船村:はい。
大滝:で、それについて、なんか、あの、話を伺いたいなと思うのですが。
船村:そうですか。やっぱり、この、アキラくんの場合ですね。もう既に石原裕次郎さんがね、先に出てました。
大滝:出てましたねぇ。
船村:それで売れていたんですね。
大滝:はい。
船村:それで、もう1人ということで、後から歌うスターを作りたいと、思ったんでしょうね。
大滝:日活の側がそういう意向だったらしいですね。
船村:はい。で、ある日、コロンビアに彼を連れてきたんですね。
大滝:どなたが来たんでしょう?日活の誰かってことですね。
船村:プロデューサー。
大滝:プロデューサーが。それは、児井英生 (コイエイセイ)さんではなかったんですか?
船村:そうかもしれない。
大滝:あー、そうですか。
船村:それでねー。やってきましてね。コロンビアのディレクターと。
大滝:はい。
船村:立ち会いでね。
大滝:その人、目黒さんですか?
船村:いや、あのね。馬渕玄三(マブチゲンゾウ)さん
大滝:マブチさんですか。その頃から。最初から。
船村:そうです。これがディレクター成りはじめの頃。
大滝:初めの頃。
船村:はい。で、まあとりあえずレッスン室に連れてきまして、ほいでこう、ピアノ叩いて歌聴いたんですね。そしたらね、あのー、まあ裕次郎さんていうのは低い感じの声ですが、あー、これはエントツだと思ったんですよ。
大滝:煙突。(^_^)
船村:はい。あのオバケ煙突ありますね。
大滝:はい。
船村:ボワーンと。なんかね、彼の声を聴いたときに、その煙突が出てきたんですね、頭の中に。私のね。
大滝:なるほど。
船村:それで「あー、君は煙突だね」って、僕が独り言のようにですね、言ったらしいんですが、自分でもそんな気がしましてね。
大滝:それは単なるドレミファの音程のあれですか?楽曲かなんかを歌ったんですか?
船村:ええ。なんかの歌を歌いました。確か、三橋美智也かなんか。
大滝:それは、先生のリクエストですか?向こうが勝手に歌ったんですか?
船村:いや、向こうが勝手に。
大滝:勝手に歌った。
船村:ええ、歌ったんですね。“何が歌えるの?”っていうことで。
大滝:なるほど。「女船頭唄」でした?
船村:なんか、あの辺のモノでしたよ。
大滝:あの、「宴会か何かで、「女船頭唄」を歌うと実に上手かったので、彼に歌わせてみたいと思った。」というふうな感じの、本にはそう書いてありました。
船村:それですよ、じゃあ。
大滝:ですか。
船村:ええ、それで歌ったときに、その三橋よりも、この、なんていうんですか、もっと高い響きなんですよ。
大滝:はい。
船村:だからエントツだと思ったんだな。
大滝:なるほど。は〜ん
船村:それで、その代わり裕次郎さんと、非常に対照的な声の質なのでね、うまくいくと面白いモノが出来るんじゃないだろうかなと思ったんですが。
大滝:なるほど。その頃、やっぱり裕次郎さんは既に出てましたから、船村先生としても、裕次郎じゃない、なにかのモノ、とかいうことはやはりお考えになっていましたか。
船村:そうですね。それで、だいたいこの「女を忘れろ」っていうのは、割とこうシリアスなものなんですが。
大滝:はい。
船村:これではダメだと自分でも思ってました、私。
大滝:といいますと。
船村:これは、映画がね、映画自体がこういうふうな映画でしたから、こういう歌で。
大滝:これ、先生、映画よりも前に曲があったんじゃないですか?違います?
船村:いや、並行してあったような気がします。その時。
大滝:あー、そうですか。アキラさんのインタビューは、歌が最初でヒットしたから映画になったんだって、アキラさんはインタビューでそうおっしゃってたんです。
船村:いや、それは並行ですよ。
大滝:うーん。結局、だから野村俊夫さんがどういうふうな依頼で詞を書いたかっていうことが分かれば、一番正しいとは思うんですけど。最初に当然詞があったんですね。
船村:ええ、でも、野村先生は、もう亡くなりましたから。
大滝:そうですね。当然詞は渡されたんですか?
船村:詞はですね、その当時はまず歌を作ると。
大滝:はい。
船村:いうことになると、まず詩人を指名しましてね、それで一緒にこれ、こういうふうにしようじゃないかってひとつの、こう、企画会議のようなモノがあって。
大滝:共作のようなカンジですか。
船村:そうですね、ですから、詩人にまず話をしておいて、それでまず詞を作ってもらうと。それで、その詞が出来てきてから填め込むちゃありませんから。
大滝:はい。
船村:それで、曲を付けると、いうふうな作業があったんですね。
大滝:それで、野村さんで指名したというか、野村さんになったのは、まあ日活の主題歌なんかも何曲もありますけれども、そういうようなながれなんですか。
船村:ええ。そうですね。それと、やっぱりあの、非常にいいカンジのベテランの売れてる先生でしたからね。ということで、選んだんだ。それは、会社がね。
大滝:なるほど。
船村:ですけども、わたしは、これはあんまりねぇ。もっと上手く歌うかなと思っていたんですよ。
大滝:(^_^)そういうことをこの前、BSのNHK の観ていたときに、「女を忘れろ」に関しては、なんかおっしゃってましたよね。
船村:ああ、そうですか(^_^)
大滝:ええ。で、あの、「女を忘れろ」に関しては、確かにこれを、デビュー曲で、小林旭について語りたいんですけれども、その前にその、この「女を忘れろ」に到達するまでの、その船村先生の、えー、まだこの頃はまだ若い頃・・・ですよね。まだ・・
船村:20代です。
大滝:で、例えばまだ曲を作ってからでも、作曲活動でもまだ、3・4年・・
船村:いや、そうでもないんですけども。ええ、まだ10年。
大滝:10年ですか、この頃なってましたか。「女を忘れろ」で。
船村: なってました。
船村:なるほど。で、実はこの「女を忘れろ」に到達するまでの、船村先生の軌跡っていうようなこと、についてその10年間についてっていうようなお話も、お伺いしたいなって思ったんですよ。実は。
船村:そうでしたか。
大滝:はい。で、そのうち「女を忘れろ」に到達するとは思うんですけれども、ま、ここは今のお台場のニッポン放送ですけれども、ニッポン放送にもなにかご縁があったという。
船村:ものすごくありました。
大滝:あのー、これを読ませていただきました。
船村:あー。いやいやこれは。恐れ入る。
大滝:で、その中にニッポン放送のラジオ番組に関係されたことがあるというようなお話がちょっと。
船村:話せば長くなるんですがね。
大滝:ええ、長くちょっとお話を伺いしたいなと思うんですが。
船村:そうですか。
大滝:はい。で、そのうち「女を忘れろ」に到達するとは思うんですけれども、ま、ここは今のお台場のニッポン放送ですけれども、ニッポン放送にもなにかご縁があったという。
船村:ものすごくありました。
大滝:あのー、これを読ませていただきました。
船村:あー。いやいやこれは。恐れ入る。
大滝:で、その中にニッポン放送のラジオ番組に関係されたことがあるというようなお話がちょっと。
船村:話せば長くなるんですがね。
大滝:ええ、長くちょっとお話を伺いしたいなと思うんですが。
船村:そうですか。
大滝:はい。
船村:まずね、私はあのー、高野公男というね、二つ年上の親友がおりまして。
大滝:はい。
船村:それで、彼が昭和31年の9月に結核で亡くなるまで、そのー、音楽学校で知り合って、8年間ですね、
大滝:はい。
船村:えー、焼け野原に毛が生えたような東京でしたから、そこでずーっと彼と一緒にもう、とにかく、一心同体みたいな、生活をしてましてね。
大滝:ええ。
船村:ほいで、もうどうやっても二進も三進もいかなくなりましてね。書くモノは買ってもらえないし。それで、ある日その、まあ闇の、モグリの血液屋ですな。
大滝:はあ。
船村:血を売るといいお金になるという。
大滝:はい。
船村:ところを、その相棒の高野が見つけてきまして、後ついていきましたら、ちょうど橋を渡って、隅田川の向こうの方でした。焼け野原にテントを張ってありましてね、それで、なんか学生証を見せましたら、「じゃあソコに横になれ」みたいなおっさんがいまして。それで、こう血を採られて。
大滝:はい。
船村:それで「次、お前入れ」なんていわれて血を採られて、ほいで、私は父親が獣医だったんですよね。あの動物の医者の。ですから、だいたい注射はそりゃ見てましたけれども、中に何か入っているのが体に入ってくるモノなんですが、その時は空っぽなんですよね、注射器が。
大滝:はい。
船村:で、これまあ、エラいことだなと思って言われるようにしてましたら、それで、えー、まあそんな風なコトして、生活してもう二進も三進もいかなくなりましてね、そしたらある日、その、相棒が。「とにかく、東京楽団というのを作るから、それで“船村徹と東京楽団”、」と。
大滝:はい。
船村:いうので、「総勢25・6名のバンドを作ることにした、」と。
大滝:はい。
船村:それで、その中にはストリッパーも入っていると。
大滝:はい。
船村:いうようなね、
大滝:巡業というか。
船村:ええ、巡業。それでね、「俺の生まれた、」・・彼は茨城県なんですよ。「茨城の方に明日から巡業に行く」と。「ただ、行くときの乗り賃が必要だから、今日夕方これをお前の、」小さいピアノ持ってましたから。
大滝:はい。
船村:「このピアノを取りに、ピアノ屋が来るから」と。
大滝:ふふふっ。
船村:ほいで、「その代わり帰ってきたら、お前、こんなちんちゃいんじゃなくて、もっとでかいグランドピアノを買って。」
大滝:はい。
船村:「こんな、4畳そこらのトコじゃなくて、もっとでかいアパートにも引っ越すようにもなってるから。」と。
大滝:はい。
船村:したら、夕方来ましたよ。やっぱりピアノ屋が。
大滝:ピアノ取りに(^_^)
船村:ええ、んま、そのピアノを持っていきまして。で、それでもってその乗り賃で、翌日その、楽団の集まりになってたんですね。上野駅の“電報前”と言うところがありましてね。
大滝:はい。
船村:電報を打つ前ですね。そこがそういう集まるところだったんです。そこへ行きましたら、そこへみんなそれぞれ集まっていたのが、来てましたよ、やっぱり。
大滝:よく、でも、それだけ人数が集まるもんですね。
船村:ええ、ですから、余ってたんでしょうね。
大滝:はあ〜。
船村:ヒドいプレイヤーばっかりでしたが、ええ。
大滝:それは、高野さんが集めたんですか?
船村:集めてきたんです。
大滝:ほお。
船村:で、「俺はマネージャーだから」と言うんで、ヒゲも生やさなければいかんし、っていうんで、大分ヒゲも生やしてましたが。
大滝:なるほど。
船村:ほんで、そういうねぇ、あなたのようなキレイなヒゲじゃなくてね。
大滝:ふふっ。
船村:どうも、なんていうか、泥鰌っピゲっていうんですかね。
大滝:はーはーは。
船村:下向いちゃうヒゲだったんですね。
大滝:だから、泥鰌ヒゲっていうんですか。
船村:ええ。ほいでも、まあ行きましてね。
大滝:はい。
船村:それで、向こうの茨城の興行師のちゃんと全部話が付いてるから行くともう金でも何でも全部はいるからと、こういうことでね。行ったんですよ。
大滝:はい。
船村:ほいで、まず最初の日に、友部っていう駅があるんですわ。常磐線の。
大滝:はい。
船村:そいで、そこの友部の劇場が皮切りで始まると。
大滝:ほう。
船村:で、友部で降りましてね、なんか変な予感は私はしてたんですが。ほいで、一行は駅に待たしておいて、駅から4・5分歩いたところが、その映画館ですな。
大滝:なるほど。
船村:ええ。で、映画館の持ち主のおばやんが、まあ、持ち主だった、道路挟んだソッチ側に家があって、そしたら、ソコへこう、高野が、ツカツカっと入ってきました。
大滝:はい。
船村:そしたら、そのおばちゃんが、モンペはいて、今もその姿が忘れられないんですが。
大滝:はい。
船村:コッチにお尻向けてね、ほいで、筵(むしろ)の上の、なんか干し物をこう、やりますわね。
大滝:はい。
船村:干してたんですね。
大滝:はい。
船村:で、高野が親しげに茨城弁で、おばちゃんに「どうもー!世話になんねぇー」なんつって、おばちゃんに言ったんですね。
大滝:なるほど。
船村:そしたら、なんか、コッチも向かないで、「アイヨー」なんて言ったんですが、あのー、「どっから来たんだ?」と、こう言うわけですよ。
大滝:ふふっ(^_^)
船村:ええ、で、私も一瞬ドキッーとしましてね。
大滝:ええ。
船村:そしたら、案の定高野が焦ったんですな。「これこれこう興行師から話が来てると思うんですが。その一行、東京楽団が参りました」ってまあ説明したら、
大滝:はい。
船村:「ホンなの聞いた事ねえ」って言うわけですよ。そのおばやんがね。
大滝:ふふっ(^_^)
船村:「でも、まあ、小屋は今日空いてっから、やりてぇんならなんでもやってけ」ってモンなんですよ。
大滝:ふふふっ(^_^)
船村:のっけの日にね。
大滝:最初に。あら〜。 
船村:ええ。それで、ともかく街周りを、とにかくクラリネットとドラムとそれから、そのー、なんか病み上がりで裸にならねえっていうストリッパーとですね。
大滝:ふふふっふっ(^_^)
船村:ええ。裸にならねえストリッパーじゃ、ストリッパーねえじゃねえかって言ってもですね。とうとうならなかったですね。これは。
大滝:ならなかったですか。
船村:ええ。ほいで、これを3人乗っけて、私引っ張りましてね、リアカーを。
大滝:あらっ。
船村:ええ。で、後ろに高野が付いて、街周りというヤツですね。
大滝:えー、宣伝をして歩くヤツですね。
船村:ええ。やはりチンドン屋スタイルです。で、小屋何時からだっていうので、田んぼ道だとかいうのを回りました。
大滝:はあ。
船村:ええ。それで、まあそれを皮切りに。色々ありまして、その間にホントこれ1週間ぐらいだったけれども、ドラマあってね。
大滝:各地を回ったワケですか?
船村:ええ、しょうがないから。
大滝:大体、茨城・・の中ですか。
船村:ええ。茨城のそこら辺。
大滝:はあー。
船村:そいで、まあやりましてね。結局全部ダメで、途中で喧嘩になりましてね。楽団と。
大滝:中で。
船村:ええ。その帰るっていうのを帰られちゃかなわないですから。
大滝:なるほど。
船村:だけど、もう、コレはヤバイっていうのを察知したんでしょうね。楽団も。
大滝:向こうも。
船村:で、途中で2日目か3日目に帰るっていうのを何とか引き留めようと思いまして。それでちょっと、ドッチンバッタン喧嘩になりまして。それでだいぶん帰っちゃったんですよね。
大滝:あー。
船村:ええ。したら、なんかその中の1人がちょっと怪我したんですね。で、東京に帰ったら、そのバンドの興行主がいましてね。
大滝:はい。
船村:コレが戦後、大陸から引き揚げてきたホントの大陸ヤクザの親分なんですね。
大滝:ふふふっ(^_^)
船村:もう、浅草の。で、この人にすぐ捕まりまして。
大滝:はい。
船村:私も行きましたから。とにかく、「もう、色々こういうことで申し訳なかったと。だけど、まあ、とにかく金は働いてでも返すから。」っと。したら、その親分が「とにかく、お前は警察へ訴えてやるから」っていうんで、蔵前署という、浅草のですね、蔵前署に連れて行かれましてね。
大滝:はい。
船村:ほいで、これこれしかじかの、事を刑事さんに話しました。
大滝:はい。
船村:そしたら、その刑事がですね、「あんたはひょっとして、栃木か福島かあっちの方の人か」って私に訊くんですよ。
大滝:なるほど。
船村:だから、「いや、栃木県のこういうことです。」と。「いやー、俺も栃木県だよ」って言うんですよ。
大滝:ふふふっ(^_^)
船村:そして、「あのオヤジは、癖悪いから、アレにはとにかく逆らわないで、」
大滝:有名だったんですか。そういうの。
船村:ええ。「ともかく、俺がウマいことやってやるから」っていうんで「一晩だけ泊まってけ。」っていうんでね、一晩だけブタ箱へ入りまして。
大滝:入った。はあー。
船村:それでね、朝、そんなにね、その後ね。そのオヤジが、まあ半分気質(カタギ)のような形にもなってたんですね。その人が。
大滝:はあ。その人が。
船村:うん。それで、とにかく「お前は楽器はその、ピアノが弾けるそうだな。」と。「お前の経歴は音楽大学はピアノだから。ピアノ弾けんだろ。」って、「ええ弾けます。」「じゃ、俺の仕事出演料今までうちのバンドにその分だけ働けと。」いうことで、「分かりました」というんで、ええ。それがキッカケでどういう風な仕事なんでしょうか。と言ったら、「今度新しく民間放送というのが出来る」と。
大滝:出来ると。
船村:時のニッポン放送。というトコロの仕事を一つ取ったから、それはその“歌うリーグ戦”という番組でした。
大滝:歌うリーグ戦。はい。
(途中まで。ここまで2006.10.1UP)
 
 
Speach Baloon Chapter 2
2001-10-6