Dylan in Japan 1978


記者会見


ディランの日本での最初の記者会見は、ライヴ初日の3日前にあたる2月17日に羽田のホテルで行なわれました。
アサヒ・グラフ78/3/17号でディランの特集が組まれ、その中にこの日のインタビューの要約がありました。

2月17日、羽田のホテルで記者会見が行われたときのことだ。
この日はディランの初来日とあって百人を超える報道陣がわんさと押しかけていた。
そこへ、1時間余り遅れてディランが姿をみせたのだが、彼は終始ブスッとした表情で機嫌は良くなかった。
カメラのフラッシュがまぶしすぎるのか、黒のサングラスをか けて、インタビューに応じるのだった。

なぜ日本こられたのですか?
-これといってはないが、ただ一度日本には来たいと思っていたからさ。
日本については-フジ・マウンテン....他にはあまり知らないんだ。

日本では何を見たいですか?
-川、流れている川だよ。

昔と比べると最近は愛の歌が多いですが...
-いや、プロテスト・ソングにだって愛は含まれているよ。
プロテスト・ソングは僕の一番すばらしいラブ・ソングだと思っている。

いま人間として何かに怒りを感じていることはありますか?
-いまは何もない。

それなら静に落ちついて暮らしているのですか?
-いや、そうとはいえない。
ぼくだって人間だから悩みもあれば問題もあるさ。

ところで、あなたは「フォークの神様」といわれていますが?
-いや、ぼくはフォークの神様なんかじゃないよ、ただの人間さ。

最後に日本のファンに何かメッセージがありましたら。
-(笑って)いや、ぼくはショーをするために来た。メッセージをいうために来たんじゃない。

Dylan来日に関する新聞や広告は、こちらです。


初日開演前

日本での記者会見が、2月17日に行なわれた後、ディランの日本での最初のコンサートは、1978年2月20日に日本武道館で行なわれました。(来日公演の発表は、77年12月中旬にされました)
尚、少し遡ること78年1月25日には、"Renaldo & Clara"(ローリング・サンダーレビューの様子も含まれている映画)がニューヨークとロスアンジェルスで、公開されましたが、芳しい評価は得られませんでした。

初日当日、ライヴが始まるまでの様子ですが、 "超大物"と言っても、警備陣は、ビートルズや人気グループのBCRの時ほど厳重ではなく、先日、事故を起こしたレインボーや、失神続出のBCRでは、100人ものアルバイト警備員の他、150人もの警官が動員されたが、この日は所轄の麹町署からたった14人だけだったようです。
これは、早朝から並んで気勢をあげるアイドル・グループのハイティーンの少女ファンと違って、ディラン・ファンは騒がないという配慮が麹町署にあったからだそうです。
5時30分の開場には、千人程が並んだだけだったようですが、ダフ屋も出現し、4500円の券を3万円で売りつけようとウロウロし、(ライヴのチケットは、S席4500円、A席3000円でした)大半のディラン・ファンは、そんな声にも見向きもせず、場内に入っていきました。
開演は、予定よりも30分遅れましたが、その時には、場内は、1万1千人の超満員で、その8割は20歳以上の男性ファンで、観客の中には、美空ひばり、岡林信康、マリファナ事件以来、謹慎中の井上陽水も当日券を買って開演寸前に飛び込み、他にも、アメリカ大使夫妻やNHKテレビ4月新番組「ルポルタージュ・ニッポン」のレポーターとして来た村上龍等の有名人もいました。


ライヴ(以下は、実際にライヴを観た方や当時の音楽雑誌のレビューを元に作ったものです)

初日


2月20日、ディランの日本での最初のライヴは 暗闇の中、メンバーの先頭をきって白いジャケットに身を包んだディランの後姿をスポットライトが捕えると同時に、クルッと前を向いたディランのエレキ・ギターが聞こえ、演奏は何気なく始まった。
ディランは、下に筋模様の浮かんだ純白のベストに草色のシャツ、フラップ付のコットン・スラックス、白のスエード・シューズという出で立ち。
長い黒のマフラーで首をひとまきし、顔におしろいを塗り、くっきりとアイラインをひいている。


ステージ上には、 左から・・・

キーボード:アラン・パスクァ
元ソフト・マシーンのメンバー。Girl From The North Countryをはじめ、美しいオルガン演奏を聞かせてくれる。

パーカッション:ボビー・ホール
ロスアンジェルスのセッション・ウーマン

その前方に・・・
リード・ギター:ビリー・クロス
(経歴不明)

ドラムス:イアン・ウォレス
元キング・クリムゾンのメンバー。77年4月には、ローリング・ココナッツ・レビューでロニー・マック等と来日したことがある。シンプルなリズムを刻む。いつもガムを噛んでいるらしい(?)

その前方に・・・
ベース:ロブ・ストーナー
ローリング・サンダー・レビューにも参加していて、トパーズのリーダーでもある。
バック・バンドのリーダー格でもあり、曲の出だしのキーや、時にはディランが忘れている歌詞をディランに耳打ちしている。

リズム・ギター:スティーヴ・ソールズ
アルファ・バンドのメンバーでもあり、ロブと同様、ローリング・サンダー・レビューからのメンバー。
ピック・アップ・マイク付きのアコースティック・ギターでリズムを刻む。

スティール・ギター:デイヴィッド・マンスフィールド
ギター、スティール・ギター、フィドル、マンドリン、ドブロ等、多くの楽器を演奏する。
スティーヴと同様、アルファ・バンドのメンバーで、ローリング・サンダー・レビューから参加。
バック・バンド中、最年少の19歳で、女性ファンの人気も集めていた。

サックス:スティーヴ・ダグラス
Phil Spectorのスタジオメンバー中、ホーン・セクションの中心だった人物。
あの"He's A Rebel"のサックス・ソロは勿論、Spector作品の殆どのサックスは彼だと思われる。
彼は、その後Ry Cooderとも来日しているが、98〜99年頃に亡くなった。
各種ホーンだけでなく、管楽器を前に並べて演奏している。

と並び、その後方に・・・
フローレンス・スプリング(バックコーラス)
(経歴不明)

ジョアンヌ・ハリス(バックコーラス)
メンバー紹介で、Dylanが冗談で、My Wifeと言って紹介した。

デビー・ダイダ(バックコーラス)
メンバー紹介で、Dylanが冗談で、EX-Wife, My Womanと言って紹介した。

が、壇にのっている。
ディランが白い服を着ているのとは対照的に、バック・メンバーは、皆、黒い服で統一されている。
肩にふくらみがある縞模様の銀糸で刺繍された上着を着ていた。

1曲目は、" Lonesome In My Bedroom"だったが、大半の観客は、立ち上がりもせず、ただディランを凝視していた。
みんな興奮し、何が何だか分からないうちに始まったようだ。
小倉エージさんは、「ブルースらしいことは分かるが、それ以外の何も分からない曲の演奏」と、言っている。
1曲目が終わると、ひとこと「サンキュー」と言い、2曲目に入るディラン。
始まった2曲目は、"Mr.Tumbline Man"。それまでとは違う、軽やかな演奏である。
演奏後、再び「サンキュー」と言い、すぐに3曲目に。
3曲目は、"I Threw It All Away"だ。
ディランの歌とストラトではじまったこの曲は、ゆったりとしたテンポで歌われ、これもローリング・サンダーレビューの時のような激しさはなく、スムーズに演奏される。
4曲目は、"Love Minus Zero/No Limit"。
中世的なフルートが美しいアレンジだ。
ディランは、ギターを置き、片方の手でマイクにさわりながら、もう一方の手は腰に当ててマイクの前に立ち、歌った。
足でリズムをとっている以外は、ほとんど動かないで歌うことに集中している感じだった。
そして、間奏部分では、手にブルース・ハープを持ち、ソロを吹いた。
曲の終わりでは、演奏はバンドに任せ、ギターをとりにアンプの前に行き、チューニングを確認している。
続く5曲目は、フィドル等も演奏され、全く異なったアレンジになった"If You See Her,Say Hello"。
6曲目の"Ballad Of Thin Man"は、ジャズ・テイストを持ったアレンジになり、腰や手を動かし、ミック・ジャガーのようなしぐさも見せた。
7曲目は、"Girl From The North Country"
ディランのアコースティック・ギターによる弾き語りが有名な初期の名曲は、本人のエレクトリック・ギター、オルガン、サックスを中心とした優しい、包み込むようなアレンジにと変わっていた。
続く8曲目のイントロに、"Blowin' In The Wind"のメロディが少し奏でられ、歓声と拍手が起こるが、演奏されたのは、"Something There Is About You"だった。
9曲目"Maggie's Farm"も、Hard Rainの時の激しいヴァージョンとは違う、ブギ・ロック・スタイルで演奏された。
そして、10曲目の"Don't Think Twice, It's All Right"は、ポップなレゲェへと変わっていた。
優雅に演奏された11曲目の" To Ramona"が終わり、12曲目は、"Like A Rolling Stone"だ。
イントロやリフで、どの曲かは分かるものの、激しさは押さえられた演奏なので、観客の反応は思ったよりも小さい。
全く違うアレンジの曲が続いているので唖然としていた頃に演奏されたからだろうか。
13曲目は、"I Shall Be Released"。
キーボードとサックスが、明るい方向へと向かう希望を連想させる。
ディランも力強く歌っている。
そして、14曲目、ゴスペルっぽい演奏による"Going, Going, Gone"が終わり、一部は終了した。

一部の後、休憩時間には、観客の談話があちこちから聞こえたのだが、殆どは、初めて生のディランを観た興奮と同時に、あまりにも予想と違う曲のアレンジに対して戸惑っている、といったものだった。
15分間の休憩時間が終わり、いよいよ2部がスタートする。
多くの客が、「一部で驚かされたように、2部も驚きの連続なのだろうか?」と、期待と不安の入り混じった思いを抱えたまま、2部は始まった。
2部の1曲目は、"Sooner Or Later"だ。
"Blonde On Blonde"の時よりも多少、早いテンポだが、力強く、迫力のある歌い方だ。
そして、2曲目は、うって変わって、穏やかで優しいピアノのイントロが流れる。
"How many roads must a man walk down Before you call him a man?"
ディランが歌いだす。
日本では、ディランの代表曲の1つとして知られている"Blowin' In The Wind"だ。
実に優しい歌い方だ。
バックコーラスも、優しさを引き立てるかのような、コーラスを聞かせる。
観客もこれには、盛り上がった。
大きな拍手がそれを物語っている。
3曲目は、"Just Like A Woman"。
またもやギターを置いて、マイクの前に立ち、歌うこととブルース・ハープに専念する。
4曲目は、"Oh, Sister"だ。
しかし、それまでのイメージは、全くない。
全く別の曲のようだ。
呪術の儀式のような、一定のテンポで、呪文を投げかけるように歌われ、途中、唸るような部分もあった。
5曲目は、"You're A Big Girl Now"。
ルーズなブルースっぽい演奏をバックに、ディランの声が響く。
ディランのヴォーカルが際立って印象的な演奏だ。
続く6曲目、"All Along The Watchtower"は、デイヴィッドのフィドルが"Desire"のような雰囲気を醸し出している。
7曲目は、"Simple Twist Of Fate"。
優しく重厚でお洒落なバックの雰囲気に、観客も聞き惚れている。
続く8曲目、"All I Really Want To Do"は、軽快なリズムだ。
"All I really want to do Is, baby, be friends with you."という部分も弾んで歌われている。
友達になりたいんだよ、というディランの声がマーチ風の演奏にのって流れてくる。
軽やかな演奏が終わり、9曲目、10曲目は、じっくりと聴かせるシンプルな演奏の"The Man In Me"と"Tomorrow Is A Long Time"が歌われた。
11曲目、再び、レゲェ調の前奏が流れ出す。
"Mama, take this badge off of me...."
"Knockin' on Heaven's Door"だ。
これも跳ねた感じの演奏がされた。
この後、メンバー紹介が行なれ、流れるように演奏されたのは、これまた全く違うアレンジをほどこされた"It's Alright, Ma"だ。
過去のライヴでは、この曲もディランのアコースティック・ギターでの名演が印象的だったが、バックに、まるで何かの試合が始まる直前のような、バンドの重厚でハードなロック・サウンドを従えて、ディランのこの日最高の激しい熱唱が響く。
シャウトも冴え渡り、あまりの迫力に観客もどんどん興奮している。
最後まで迫力を維持したまま演奏が終わると、会場をその日で最も大きな拍手と歓声が包んだ。
続く2部の13曲目は、前曲の力強い声を保って、優しさもこめて歌われた"Forever Young"。
"Forever young, forever young, May you stay forever young."の部分でのバックコーラスや、間奏でのサックスが曲を盛り上げ、曲が終わり、2部は終了した。


大きな拍手に包まれて、2部が終了した後、アンコールとして登場したのは、「63年のある夜に書きました」と紹介されて歌われた"The Times They Are A-Changin'"だ。
"Then you better start swimmin' Or you'll sink like a stone For the times they are a-changin'.
" For the loser now Will be later to win For the times they are a-changin'."
" It'll soon shake your windows And rattle your walls For the times they are a-changin'. "
" Please get out of the new one If you can't lend your hand For the times they are a-changin'."
" And the first one now Will later be last For the times they are a-changin'. "..........
最後の部分が全て強く、明確に歌われた"The Times They Are A-Changin'"が終了し、日本でのディランのライヴ、最初の一夜は終わった。


※ディランにとっても、日本のファンにとっても、お互い初めてのライヴだったので、ライヴ全体を通して緊張が走っていたが、又、予想だにしなかったアレンジの連続に呆然としたファンが多かったが、このレビューを書く上で話を聞かせていただいた方々は、今、改めて当時を振り返ると、良いライヴだったと語って下さった。




二日目

2月21日、ディランの日本での2公演目が行なわれた。
館内を見渡すと、初日に比べ、2階から3階にかけて北東、北西スタンドの空席が目立ち、8割程の入りだ。
コンサートは、定刻よりも遅れて開始された。
今回のオープニングは、"A Hard Rain's A-Gonna Fall"のポップ調なインストゥルメンタルだ。
バックバンドによる演奏が終わりを迎える頃にディランが登場する。
PAも前日より調子が良く、初日で緊張がほぐれたのか、ディラン側も観客側もぎこちなさが無くなってきている。
前日には無かった選曲は、" Shelter From The Storm"、"I Want You"の2曲だ。
" Shelter From The Storm"は、ローリング・サンダーレビューのような荒々しさは消え、しかしリズムが強調された明るいロックになっていた。
"I Want You"は、オルガンが、幻想的な雰囲気を演出し、ディランのヴォーカルも心をこめたものだった。
それ以外では、"Girl From The North Country"や"Blowin' In The Wind"の2番や3番の順番が逆に歌われていたり、"Going, Going, Gone"のコーラスの歌詞は完全に改められていた。




三日目

2月23日、ディラン3日目の公演だ。
前日の22日は、ELOの公演が行なわれた。
この日も2階、3階の両脇のスタンドには、空席が目立った。
この日、初登場したのは"I Don't Believe You"だ。
全体を通して、演奏にもロック度が増し、また、それまでは、ギターを置いて歌っていた"Love Minus Zero/No Limit"をギターを手にして歌う等、変化が見られた。


四日目

2月24日。この日から会場は、大阪は枚方市にある松下電器体育館に移った。
収容人員は、武道館の1万2千人に比べ7000人だが、ステージも低く、観客席と近い距離に感じられる。
客層は、武道館では、大人が多かったのに比べ、若い世代が多いので、開演前からざわつき熱気が感じられた。
オープニングの"A Hard Rain's A-Gonna Fall"のインストゥルメンタルに続く2曲目のブルースは、"Repossession Blues"に変わった。
この日の様子は、ブートレグCD(Far East Tour1978)等で聴くことが出来るが、 ディランの名を呼ぶファンに対し、"Thank You"としか言わなかったディランが、指をさして喜び、「スティーヴも自分も時差ボケには悩まされるよ」や、客席のリクエストに対し「よし。じゃあ、君の為に特別に歌うよ」と言って、"I Want You"を歌う等、客に語りかけるようになった。





五日目

2月25日。この日は、アルバム"MASTERPIECES"が日本でリリースされた日だ。
この日も観客の熱気は前日以上に凄く、ディランも気合の入った演奏を聴かせる。
初登場した曲は、"One Too Many Mornings"で、観客のリクエストに応える形で「リハーサルはしていたが、ステージでは初めて演る」と言って、演奏された。





六日目

2月26日、大阪最後のライヴだ。
それだけに熱気は、大阪3Daysの中でも最高潮で、開演からどよめきが起こっていた。
この日は、2曲目に"Love Her With A Feeling"が初登場、3曲目も初登場の"One More Cup Of Coffee"がソウル風に、さらには、8曲目にも初登場曲の"I'll Be Your Baby Tonight"がカントリー調の演奏をされ、おおいに湧いた。
それ以外の構成に大きな変化は無かったが、熱気が伝わったのか、ディランも迫力を増していた。

七日目

2月28日、大阪公演が終わり、1日の休みを取った後、舞台は再び東京に移る。
大阪での熱気をそのままに、ディランは最初からグイグイと飛ばす演奏をし、観客を煽ろうとするが、観客のノリはイマイチ悪い。
やはり、初日のような緊張がまだ張り詰めていて、日本で作られた新曲、"Is Your Love In Vain"が演奏された後も通り一遍の反応しか得られなかったので、"Going, Going, Gone"のイントロでは、「この曲の方が馴染みがあるでしょう」と苦笑まじりに語りながら演奏を始めた。
さすがに2部の途中から、ディランも反応の悪さにノリきれなくなったのか、迫力は段々となりを潜めてしまったが、アンコールの"The Times They Are A'Changin'"の前には、「この曲は、63年に書いた曲です。僕にとっては重要な意味を、そしてあなた方にも重要な歌だということを知っています」と紹介して歌った。





八日目

3月1日。
前日の反応の悪さを考えてか、演奏も押さえ気味に進められ、"Love Minus Zero - No Limit"は、ギターを使わないで演奏された。
逆に、"Ballad Of A Thin Man"では、激しいリード・ギターを弾いた。
客の反応、つまりショーとしてよりも、自らが「歌う」ということ自体に集中したライヴだった。





九日目

3月2日。段々と東京でも熱気が高まってきてはいるものの、大阪の熱気と比べるとまだ、会場のテンションは低い。
しかし、観客からのリクエストが聞こえるようになり、ディランも「後で演るから、がっかりしないでくれ」と応えていた。
ライヴ自体は、予定通りの曲をこなしていくといった感じであった。
それでも、"Simple Twist Of Fate"では、最後のコーラスを即席の歌詞でイアン・ウォーレスとふざけあう等のユーモア・センスを発揮していた。


十日目

3月3日元々は最終日であったので、観客の入りは、初日のようにほぼ満員になり、ここにきて、ようやく大阪と並ぶ熱気が感じられた。
ディランもそんな熱気を感じ取ったのか、力強い演奏を見せ、ステージを飛び回り、"Like A Rolling Stone"を始め、パワフルな歌声を披露した。





十一日目

3月4日、いよいよ日本でのラスト公演である。
この日、昼過ぎからは雨が降り出し、まさに1曲目の"A Hard Rain's A-Gonna Fall"な状態から最後の公演は開始された。
前日の熱気、そして最終公演という熱気が、全11公演中、最高の盛り上がりを見せる。
ディランもそれを意識してか、最初から燃え上がり、"Ballad Of A Thin Man"では、マイクを手に派手なアクションを決めてみせる。
日本公演、そして、その後続くワールド・ツアーへの自信が出てきたのか、演奏も最高のものが続く。
アンコールの"The Times They Are A'Changin'"の前、この日は、「そのうち、また来たい」「来年また来る」と言って演奏、こうして初来日公演は、全て終了したのだ。


[初来日に関する余話]

当時のチケットは、毎日色違いでした。

大阪の控え室のテーブル・ガラスには、「どうもありがとう」と黒のマジックで書き残してあったそうです。

同時期にオデッタが来日しているのを知り、自分用のリムジンを迎えにやって、ホテルの部屋に呼びしばらく談笑したらしい。

新宿のブティックで子供たちにおみやげを買ったり、ひとりでゴールデン街の飲み屋にふらっと立ち寄ったそうです。

ライヴ初日の様子はTVのNewsでもちょっとだけ放映されました。

当時、地下鉄の駅などにも大きなポスターが貼ってありました。Master Piecesのジャケットと同じ写真で後に"武道館"を買った時にレプリカを店頭でくれたそうです。
畳1枚くらいのサイズのものでした。

ディランの初来日は、今では考えられないほど多くの雑誌に取り上げられていました。
なんと女性ファッション誌のAnanや女性週刊誌にまで特集が組まれていたのです。(内容的には、Dylanのファッションやアルバム紹介的なものが多く、知っているファンにとっては特に目新しい中身はないものでしたが、なかなかレアな写真が使われていたそうです。)


Special Thanks・・・ Satakeさん(ライヴ、記者会見、チケットやチラシの写真等で御協力頂きました)
            こばさん(バンド・メンバー情報、チケット等でご協力頂きました)
            石谷明さん(来日時のTVやラジオ音源、新聞、チケット等で御協力頂きました)
            倉貫眞一郎さん(チケットや切抜き等で御協力頂きました)
            石川茂樹さん(チケットでご協力頂きました)
            岩崎一宏さん(チケットや切抜き等で御協力頂きました)              
                          

※現在、上記掲載以外のチケットを探しています。
画像をお持ちで、当ぺージで公開しても良い方がいらっしゃいましたら、御連絡下さい
又、その他にもライヴや余話等の情報がございましたら御教え頂けると幸いです。


※このページに書かれている全ての文章は、様々な文献やインタビュー等を元に管理人が書いたものです。
万が一にも転載する際は、御連絡下さい


Dylan in Japan / 1978年 初来日