関東平野のはじまりの地層を観察
今回は関東平野の西の端に顔を出している地層(飯能礫層)を観察しました。関東山地をつくる地層(ここでは基盤岩と呼んでいます)は関東平野の地下深くにもぐっていると考えられています。その上に第4紀の地層が厚く堆積しています。第4紀の層はまだ軟らかい状態(低密度)のため、固い山地の地層とは重力に微妙な影響が生じています。下の右図は関東平野とその周辺の重力を示したものです。関東平野は低重力となっており、関東平野の下には低密度の地層がすり鉢状に中央部では厚さ3kmほど堆積していると推定されています。
本年1月16日の地ハイでも今回と同様に飯能礫層を観察しましたが、説明「関東平野のはじまり(仮説)」にあるようにすり鉢の縁は丸いものではなく、かなり凹凸のある形をしています。いわば「階段状のすり鉢」といえます。そのため基盤岩と飯能礫層の境界はかなり入り組んでおり直線的に連続したものでありません。
今から200万年前、現在の山地と平野の境にあたる所に陥没がおこり、山地をつくる基盤の岩石(チャート・砂岩など)が急崖から崩れ落ち、角張った石(角礫)が積もったのが今回見た飯能礫層下部層です。陥没が起こり角礫が積もるという現象は、関東平野だけではなく大阪平野、新潟平野など各地で見つかっているそうです。地質学者の藤田至則さんはこのような現象を島弧変動と呼んでいるそうです。飯能礫層には所によって厚い火山灰層(矢颪凝灰岩)が挟まれていました。
矢颪凝灰岩層の上には丸い石(円礫)が観察されました。円礫の地層は飯能礫層上部層と呼ぶそうです。円礫の中には石英せん緑岩というごま塩みたいな石が見つかりました。石英せん緑岩は奥秩父の高い山々をつくっている地層ですが、飯能の近くでは奥多摩湖の南の三頭山という山の頂上付近に見られるそうです。しかし、そこからどのようにして飯能付近に運ばれてきたのだろう。
陥没盆地の断層崖と崖すいの復元図(中山勝博,1989) 1998年11月の毛呂山,2000年1月の巾着田
今回の地ハイで配られた説明書には、関東平野西縁丘陵団体研究グループの未公表データが含まれているため、このホームページでは図表など公開出来ないものがありますので、詳しい説明は省略いたします。
今回の見学コースの概要は次の通りです.
日時:5月21曰(日) 10:10
集合:西武池袋線「飯能」駅南口 解散:「飯能」駅 16:30頃
みどころ @天覧山下で基盤岩の観察
A市民会館西の沢で角礫層と火山灰層の観察
B飯能河原で基盤と入間川の礫の観察(昼食)
C飯能大橋下の矢颪凝灰岩層の観察
コース:飯能駅→天覧山下→市民会館の西の沢→飯能河原→飯能大橋下→成木川清川橋→飯能駅
主 催:地学団体研究会埼玉支部、日曜地学の会
案 内:倉川博(飯能高校)久津間文隆(川越初雁高校)
関東平野西縁丘陵団体研究グループ
地形図 国土地理院1/25,000「飯能」
持ち物:弁当、水筒、雨具、長靴、ハンマー、筆記用具、定規、新聞紙
参加費:100円(保険代・資料代・諸経費)
関東平野西縁の地形と地質について(日本の地質3 関東地方より抜粋)
関東平野西縁丘陵の地形
関東平野の西縁は西方の秩父山地と明瞭な地形的境界をなしている。この境界部はふるくから地質研究者に注目され、関東大地震(1923年)を契機とする広域的な地質学的研究から、矢部・青木(1926英)により八王子線と命名された。八王子線の東側、すなわち関東平野の西緑部には11の丘陵が南北にならんでいて、山地から半島状にはりだすのにくわえて、平野のなかに残丘をなすものが多い。これらは、南と北の2つの丘陵群にまとめることができる。
南の丘陵群は毛呂山丘陵から多摩丘陵までで(右図)、高度は一般に北の丘陵群より高く、残丘状の狭山丘陵をのぞき山地から平野に半島状にはりだしている。これに対し、岩殿丘陵より北方の丘陵群は高度も低く、山地から半島状にはりだすもののほか、平野のなかに残丘をなすものが多い。
丘陵を構成する地質は南の丘陵群では下部更新統であるが、北の丘陵群ではおもに新第三系(中新統)からなり、これを高位段丘嬢層である下部更新統がうすくおおっている。南の丘陵群における下部更新統は、秩父山地からつながる秩父層群を基盤とし、断層あるいはアバットする関係にある(藤田・松尾、1977;竹越ほか、1979)。これら丘陵群の地質に関する研究は多摩丘陵と加治丘陵においてすすんでいる。
加治丘陵は飯能市の南方の入間川の右岸側に分布する東西に長い丘陵で、阿須山丘陵ともよばれる。高度は丘陵西部の山地に接するあたりで250m、丘陵の東端で140mとなっている。丘陵の地質は福田・高野(1951)によりまとめられたが、堀口ほか(1977)・竹越ほか(1979)などにより再検討され、地質層序は下位から飯能磯層・仏子層・豊岡磯層・関東ローム層に区分されている。飯能機層と仏子層は房総半島の上総層群、豊岡磯層は下総層群に対比されている。
北の丘陵群 1児玉丘陵 2松久丘陵 3比企丘陵 4岩殿丘陵
南の丘陵群 5毛呂山丘陵 6高麗丘陵 7加治丘陵 8狭山丘陵
9草花丘陵 10加住丘陵 11多摩丘陵
関東平野西縁丘陵の地質 飯能礎層
加治丘陵北西の入間川に沿う地域を模式地とし、福田・高野(1951)が命名した。丘陵を構成する地層の最下部層で、加治丘陵西部に広く分布し、上部層と下部層にわけられている(竹越ほか、1979)。
下部層は一般に基盤岩に急傾斜の不整合面をもって接することが多く、不整合面直上は基盤岩起源の礫径数cm〜数mの角〜亜角礫をふくむ、いちじるしく淘汰のわるい崖錐性の礫層からなっている。不整合面からはなれるにつれ、暗灰〜青灰色のシルト層と数cm内外の角〜亜角礫からなる礫層との互層に移化している。加治丘陵ちかくのボーリング資料を参考にすると、層厚は270m以上になる(竹越ほか、1979;工藤、1970)。鍵層として安山岩質火山灰の矢颪凝灰岩層(福田・高野、1951)をはさみ、メタセコイア、オオバラモミなどの植物化石をふくむ。
下部層に相当する地層は南の丘陵群に広く分布している。加住丘陵においては亜角〜亜円礫の礫岩層と砂岩層との互層で、五日市砂礫層とよばれ、基底部(五日市町網代)からボンビフロンスゾウとされる、ほぼ1個体分にちかい化石が発見されている(五日市ステゴドン調査団、1980)。
上部層は下部層に整合にかさなり、東方へゆるく傾斜している。下部層よりも分布が広く、基盤岩を不整合におおうところがある。とくに、飯能西方ではこの層上部の礫層が約6kmも山地側へはいりこみ、基盤岩からなる尾根の山頂付近に点在している。この礫層は礫径数〜十数cmの亜円〜円礫を主とし、一般に層理は不明瞭で、礫の配列も不規則であるが、まれに厚さ数十cm〜2mの砂層や、粘土層あるいは数十cmの安山岩質凝灰岩層をはさむ。層厚は最大130m。礫種としてはチャート・グレーワッケ・砂岩が多く、粘板岩・閃緑岩の礫もある。
ほかの丘陵における上部層担当層としては、加住丘陵の小宮砂層(倉川・間島、1982)、八王子市北浅川河床の楢原層(楢原植物化石層研究グループ、1967)などがある。