第336回 日曜地学ハイキング記録
日曜地学ハイキング記録
梅花ほころぶ越生路をたずねて〜黒山三滝〜
第336回日曜地学ハイキングを2000年3月12日に実施しました。
地学ハイキングで越生町をたずねるのは270回(1993.7.18)以来、「黒山三滝」は91回(1975.4.27)以来とのことです。現在「埼玉の自然をたずねて」の改訂作業がすすめられていますが、そこで取り上げられている新コースを執筆者とともに歩いてみました。雨天にもかかわらず50人近い参加者でした。
3月12日 JR八高線越生駅駅 午前9時20分発バス集合
解散は同駅 午後4時過ぎ
見どころ:@黒山三滝とチャート チャートは深海底でできた?
A「地形」での断層
B梅本のフズリナ化石 石灰岩は熱帯でできた?
コース: 越生駅=バス20分=黒山−0.5km →黒山三滝−2.5km →地形−0.6km →龍穏寺
龍穏寺−1km →梅本−3.1km →上大満=バス15 分=越生駅
主 催:地学団体研究会埼玉支部、日曜地学の会
案 内:松岡喜久次(豊岡高校)松井正和(富士見高校)
地形図 国土地理院 1/25,000「越生」
持ち物:弁当、水筒、雨具、ハンマー、筆記用具、定規、新聞紙
参加費:100円(保険代・資料代)
ルートと露頭ポイント
@黒山三滝とチャート
越生駅発黒山三滝行きバスに乗車。梅林見物の乗客も多く通勤並の満員状態で身動きも出来ぬほど。梅林で半数が下車、梅は五分咲とのこと、簡保センターでも下車客。それでも立ち客、みんな地ハイの仲間たち。バスの終点である黒山三滝で下車すると先行組もいて、雨天にもかかわらず50人ほどであった。黒山のバス停から三滝に向かうと、道沿いや沢底にいろいろな色をしたチャートが露出している。なかには、石灰岩を含む泥岩がはさまれているところもある。
天狗滝に到着。天狗滝は層状の赤色チャートからできており、滝ぞいの歩道でよく見ることができた。チャートはガラスと同じ成分の岩石で、チャートは大洋底で放散虫化石があつまってできた岩石でたいへん硬いため、滝をつくりやすいとの説明。歩道を登ると見はらし台に出た。見はらし台の下には、厚さ1mほどの暗灰色の石灰岩がチャートにはさまれている。石灰岩はチャートとちがってハンマーでこすると傷がつく。この石灰岩をよくみると、10数cmのレンズ状の岩石が点在している。このレンズ状の部分は、ハンマーでも傷がつかないくらい硬い、この部分はチャートである。石灰岩の中にこのようにチャートが挟まれて見られるのは珍しいとの説明であった。
天狗滝の上に登ると視界がひろがり、なだらかな地形となっている。 これはこの付近から凝灰岩のやわらかい岩質にかわるためであるとのこと。露頭は男滝に向かい歩道沿いにみられる。男滝と女滝は2段の滝となっている。男滝はチャートからできているが、女滝の下の方には泥岩・凝灰岩が見られるとのこと。この後、上の林道にむかう山道を歩く。ここもチャートでできている。ここのチャートには放散虫化石がはいっているかどうかは、はっきりしないそうである。地下に深くにおしこまれたために、熱の作用で再結晶してなくなってしまったのかもしれないとの説明であった。
チャートは深海底でできた?
A「地形」での断層
「地形」というのは集落の名前である。龍ヶ谷大橋の手前に.白〜灰色をしたチャートの大きな露頭がある。この露頭の左側のコンクリート擁壁の部分には、かってはチャート(右側)と御荷鉾緑色岩(左側)が接した断層を観察することができたそうである。現在でも水の浸みだしがあり、断層を予想させる。すぐ下の川に降りると、灰色のチャートがみえ、このチャートの下流側に御荷鉾緑色岩との境界断層があった。上位の白色のチャートと下位の塊状の緑色岩との間には、70cmの厚さで緑色岩が破砕している様子が観察された。この中にレンズ状の小さな石灰岩がある。断層の走向はN20°Eで西に45°で傾斜しているとの説明。
このような断層は、バス通りぞいにある岩清水観音の裏の露頭でも見えるそうである。また、御荷鉾緑色岩は「地形」から上大満のバス停に向かう林道ぞいにみられるそうである。龍ヶ谷川沿いに上ると龍隠寺がある。そこで昼食を摂った。この寺は江戸城を築城した大田道灌親子の墓がある。
B梅本のフズリナ化石
龍隠寺からさらに龍ヶ谷川沿いに上る。道沿いには黒色の泥岩がみられる。集落をすぎ、杉木立の林道をしばらくすすむと、右手から流れこむ大きな沢と山道がみえてくる。この20mほど手前に保安林の看板があり、そこから川をわたり、急な山道に入る。しばらく登ると、山道ぞいに灰白色の石灰岩が転がっている。この右上の尾根上に石灰岩の大露頭があった。この石灰岩の霧頭は、下のほうは黒色で泥質で、上のほうは白色で、この石灰岩から見つかる化石は、フズリナの仲間のヤベイナ、サンゴの仲間のワーゲノフィルムなどだそうである。みんな石灰岩の表面をルーペで観察し、化石を見つけようとがんばった。
ここの石灰岩はフズリナの化石を含むことから、古生代ぺルム紀であるということであるが、この石灰岩のまわりにある泥岩からは、ジュラ紀の放散虫化石がみつかっているとのことから、ジュラ紀のころ、泥が堆積する海底に、石灰岩の岩塊がころがりこんでできたと考えられるそうである。海洋プレートにのり遠くから移動してきたチャートや石灰岩が海溝に落ち込み大陸のプレートにこすりつけられたとのことである。これらを付加体とよぶそうである。
石灰岩は熱帯でできた?
チャートの説明は「初夏の秩父路の中生層をみよう」に説明が載っています。
また、石灰岩=フズリナの説明は「五日市の鍾乳洞と石灰岩」に、石灰岩やチャートの顕微鏡写真は「武川岳〜二子山 石をみながら山登り」に載っています。
「新緑の武甲山をたずねて」も参考にしてください。
いずれも、中・古生代の地層です。見比べてください。
石灰岩は熱帯でできた?
石灰岩はフズリナ(紡錘虫)、海ユリ、サンゴ、石灰藻といった生物の骨格や殻からできていて、その起源の一つにサンゴ礁があることは明らかですが、フズリナ(紡錘虫)、海ユリが棲息していた海が熱帯であったかどうかはよくわかりません。現在、サンゴ礁は熱帯や亜熱帯のきれいな海に発達しており、長い年月の間には大きな石灰質の岩体をつくっていきます。沖縄で開発行為が問題となっているように、土砂が運ばれてくるような海では、サンゴ礁は成長することができません。秩父地方をはじめ日本各地でみられる石灰岩も砂のような砕屑物をふくんでおらず、陸のそばで形成されたのではなく、陸から遠く離れた海域でできたことを示しています。また、石灰岩には玄武岩など苦鉄質火山岩(変成し緑色岩となっている)をともなうことが多く、そのことも現在サンゴ礁が発達している島々が玄武岩でできていることとよくあっています。しかし、どうして日本列島に熱帯や亜熱帯の海でできたサンゴ礁があるのでしょう。
その説明として、海洋プレートにのって大陸の近くまで移動してきたと考える説が有力です。石灰岩塊の周りに砂岩や泥岩が混じっていることも多くあります。これは、海溝に海洋プレートが沈み込むときに大陸側の砂や泥と混じり合っためと考えられています。
フズリナ(紡錘虫)の説明は「五日市の鍾乳洞と石灰岩」に説明が載っています。
チャートは深海底でできた?
チャートは、鉱物学的にはほとんど石英からなり、化学的にはほとんどシリカからなる、とても硬い岩石です。チャートの薄片を作って顕微鏡で観察すると、ところどころに放散虫の遺骸が見えてきます。さらに、チャートをフッ酸で処理すると、そのエッチングされた面に、実にたくさんの放散虫が見えてきます(今回の案内者の松岡先生は、放散虫化石の研究をされており、チャートをフッ酸処理し放散虫を取り出す専門家です。松岡先生の勤務する豊岡高校の開放講座で放散虫を観察できます。)。
フッ酸でエッチング処理したチャートは細かい縞模様や細かな粒々が浮きでてきます。顕微鏡で観察すると、すきまなく放散虫がぎっしりつまっているのがわかります。ほかに微細な粘土鉱物、海水からの晶出起源のマンガン鉱物や鉄質鉱物がわずかにふくまれており、チャートが様々な色をもっている要因の一つとなっています。
海洋調査の進展によって、放散虫軟泥や珪藻軟泥といった珪質プランクトンの遺骸からなる堆積物が、深海底に広く分布している事実が確かめられています。このことから、チャートは陸からの砂粒が全く運ばれてこない大洋の深海底でできたと考えられています。そこから、石灰岩と同様に海洋プレートにのって移動してきたのでしょう。チャート岩塊の周りに砂岩や泥岩が混じっていることもあります。海溝に海洋プレートが沈み込むときに大陸側の砂や泥と混じり合ったと考えられます(このような状態ををメランジュと呼んでいます)。
放散虫やメランジュの説明は「初夏の秩父路の中生層をみよう」に説明が載っています。
海洋プレートにのって移動してきた?
はるか南から動く海底・太平洋プレートにのって日本海溝までやってきたものが、日本列島の下へと沈み込もうとし、一部は海溝の堆積物のなかに混じって陸側へとおしつけられ、残りは地下へとひきずりこまれていく、こんなことをおこす原因として、地球表面をおおうプレートの運動が考えられています。
移動するプレートが岩石を運んできて、プレートが地球内部に沈み込んでいくときに一部がはぎ取られ、そこに堆積していた砂岩・泥岩とともに陸側に押しつけられたとみられています。このようにして陸側に付け加えられたものを「付加体」と呼んでいます。
プレートや付加体の説明は「初夏の秩父路の中生層をみよう」に説明が載っています。
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