市川さんの思い出

 

大澤 信行

 

大学に入った年ですから1972年、サークル紹介冊子を読んで、「うーん、慶應バロックアンサンブルって面白そうだわい」と思って4月の新入生向けクラブ紹介期間に、日吉の展示教室を訪れました。そのときに現在も一緒にやっている和田、山本、角田氏ほかが、先輩としていたわけですが、ひときわ目立ったのが大貫禄の市川信一郎さんでした。緑のスーツを着てらしたような・・・。そのはずで、すでに4年ほど人生経験をリードされていた氏は、バロックアンサンブルの理論的・トリビア的・実践的・飲酒的・麻雀的、あらゆる面での実質的リーダーでありました。

イ・ムジチの「四季」とかカールミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団の「ブランデンブルグ」なんぞしか聴いたことのなかった私は、そのころ勃興し始めた古楽器による演奏のあまりに新鮮な世界に、氏の率いる?慶應バロックお宅グループと一緒に引き込まれていったのです。氏の博学ぶりはまさに当時の古楽器界のリーディングエッジ、生活は常に仲間と、音楽とともにあり、市川さんの部屋で聴いたかずかずの名盤、演奏法のご教示がわたしの音楽歴の肥やしとなったのは間違いありません。

音楽と学問以外の快楽的生活にも貪欲でおられ、ソフトボールに麻雀、台湾料理や仏料理に世界の珍酒・名酒の探求と、そのイチカワ・ワールドは学ぶところ多大でありました。車をぶつけたり、ひっかき傷を「ねこの傷」と言ったり、赤塚不二夫が大好きで、麻雀はあまり強くなく、説教めいたことは言わず、たばこばっかり吸って、酒が大好きでしたねえ。氏の思い出は我が胸にもあり、みなさんの胸にもあり、それぞれの胸の内で氏は生き続けるでしょう。合掌。

2013年12月4日