堀さんは先生

 

曽禰 寛純

 

6月の末のある日の午後、堀さんのお弟子さんでチェンバロ製作家の島口さんから電話がかかりました。いやな予感がしたので、努めて明るく電話に出ましたが、堀さんの亡くなられたことと、身内でご葬儀をすまされたとの知らせでした。

数年前に大病されてからも、時々お目にかかり、また島口さんからも療養のようすなどうかがって心配していましたが、やはり目の前が真っ暗になり、言葉が出ませんでした。

ちょうど、リコーダーの朝岡聡さんと数人のメンバーでコンサートに向けた練習をしていたときでしたので、演奏を止めて、みんなで黙祷を捧げました。演奏したペルゴレージのスターバト・マーテル(悲しみの聖母)の歌詞「Quando corpus morietur(肉体が死に行く時) fac ut animae donetur (魂が天国の栄光に) paradisi gloria(捧げられるよう、なしたまえ) Amen(アーメン)」が、堀さん作のイタリアンの音色と共に、心にこだましていきました。

私と堀さんとの出会いはカメラータ・ムジカーレ発足時なので、先輩たちよりも後になりましたが、まだ十代だった若造を、堀さんは実に自然体で扱っていただきました。他の人も書いていると思いますが、堀さんのコンサート・サービスを手伝い、多くの演奏家のリハーサルから本番まで、ひたすら聴くことが許されていました。

今でも覚えているのは、フランス・ブリュッヘン2度目の来日リサイタル。堀さんにくっついて、本番前のリハーサル現場にお邪魔し、チェンバリストの小林道夫さんの一言で、ブリュッヘン氏の象牙のフラウト・トラヴェルソを吹かせていただきました。当時、オリジナルのフラウト・トラヴェルソも象牙の楽器も見るのは初めて。歌口(吹き口)の小さなデリケートな楽器でした。感激しても「ふーん」としか言わない生意気盛りで、シェーラーという名門笛作りのオリジナル名器だと知ったのは、もっと後になってからでした。

このように当時フラウト・トラヴェルソも良い楽器のない時代で、(多分わざわざだったと思いますが)堀さんに長野の楽器製作者(木下邦人さん)の家まで、チェンバロ運送のライトバンで連れて行ってもらいました。木下さんと堀さんは遅くまで、材木の材質やエージングなど、製作者でない私に分からない専門的な話をしていました。私は、木下さんの家の机に無造作におかれていた楽器を吹いた途端に、楽器がイメージをくれることに驚き、今まで出来なかった音楽ができるような気持ちになりました。堀さんのお世話で、そこで手に入れた楽器が、古楽に本格的にのめり込んだキッカケにもなりました。古楽器の先生もいない時代、ほとんど独学でしたので、良い演奏・良い楽器との出会いが最高の先生であり、堀さんが鍵盤楽器ならぬ笛の先生と言えるかもしれません。(この遠征の際、堀さんには、たぶんご馳走になり、いろいろ面倒をみていただいたに違いないですが、ちゃんとお礼の一言を言えた記憶がなく、今思い出しても赤面します。)

カメラータ・ムジカーレの演奏会には、楽器は自由に使わせていただいたり、聴きにきていただいたり、最高の贅沢をさせていただきました。10種類は下らない様々なタイプの楽器を使わせていただき、一つの演奏会でピッチの違う2台をつかったり、2台や3台のチェンバロ協奏曲を演奏したりできたのも堀さんの支えがあったからでした(今でもなかなか難しい楽器の調達ですが、楽器の少なかった当時、練習・リハーサルから本番までできたのは、奇跡的だったと思います)。個人的にも、学生時代にこのようなアンサンブルに参加できたことに加えて、楽器(チェンバロ)を何ヶ月か家に置かせていただき、調律法を自分の手で練習し、響きを聴くことができたのは、古楽の奥深さを知る最高の教材だったと思います。

ただ、演奏については、堀さんからほめられたことはなく、ケチョンケチョンでした。「ファンタジーのない演奏するな、あそこがチーチーパッパだったぞ」・・・など、弱点の本質をズバリつかれました。そんな私たちを見捨てることもなくお付き合いいただいたのは、職業音楽屋でない、勝手気ままな若造達を、音楽業界とちがう妙な連中として可愛いがっていただいたのかもしれません。

1975年、発足第2回目の演奏会、私は生まれて2度目のステージ。テレマンのパリ四重奏曲を演奏しました。共演した留学帰国直後の小野萬里さん(バロック・ヴァイオリン)、留学前の平尾雅子さん(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、メンバー先輩の和田(チェンバロ)に支えられて、今回はデビュー時のぼろぼろの緊張から少し開放されて曲を終えた気になっていました。堀さんに「どうだった?」と尋ねると、「長かったな!」の一言。面白い演奏でなかったのは少し察していたのですが、堀さんの一言で、頭から水をかぶった気分でした。

それから、その曲は封印。30年ほどたって、2004年の春に「堀さんに感謝する」特別演奏会で、メンバーの角田(バロック・ヴァイオリン)、岡田龍之介さん(チェンバロ)、譜久島譲さん(ヴィオラ・ダ・ガンバ)と同じパリ四重奏曲を演奏しました。久しぶりに聴きにきていただいた堀さんに言われた一言「お前ら、自分達も好き勝手に楽しみやがって」。堀さんからの初めの言葉、続けてきて良かったと感じ、でも、堀さんも歳とったか、で涙が出ました。

私たちは堀さんとそのチェンバロに教えられ、引っ張られ、支えられ、ここまできたのだと思います。堀さんから学んだことと、堀さんの楽器の響きで、多くの人と音楽空間を共有することが、堀さんに感謝することになるのかもしれません。

堀さんの工房仕舞いの時に、縁あって工房の緑色のイタリアン(1990年制作)を、私の手元に置かせていただけることになりました。この文を書くにあたって、堀チェンバロを心を込めて調律してみました。(「なんだ、ぐずぐず調律しているなぁ。オクターブ合っているだけでは、音楽性ないんだからな!」・・・今にも堀さんの一言が聞こえて来そうです。)

堀さん、本当にありがとうございました。

2005年7月18日