●EMI移籍、そして...●
ピート・シェエリーがホテルをチェックア ウトしている時、レセプショニストは微笑 を浮かべていた。ピートはさっきまでマネージャーのラフ・エドモンズと電話で長々と話していたところだった。一緒にタクシーに乗り込む。市内中心部の道路はダタ混みだった。運転手が外へ飛び出し、前の運転手を停めてある車の迷路から導いてやっていた。「すごく合理的じゃないか」とピートが囁いた。ロンドンあたりをよく運転しているかと尋ねると、「あまりそういう必要もないんだ。よく母さんのところへ運転して行ったり、スコットランドにいる弟のギャリーのところへ行ってたけどね」と答えた。ミュージシャンになっていなかったら何になっていたかと尋ねると、彼の答えは・・・「さあね。バンドを作って曲を書くんだとかじっくり考えたことはなかったし。たまたまミュージシャンになっていたんだ」。
バズコックスはEMI(アメリカ)から出す新しいアルバムのデモテープを作るために11月11日、スタジオ(The Surgery)入りした。日が経つにつれ順調に作業が進んでいる事をメンバーは喜んでいた。The Surgeryでの8日間の作業のあと、カムデンにあるThe Sound Suiteに引っ越しThe Surgeryで録った曲からベストな8曲を再び録音し直した。最終的にデモテープに録音した曲は'Soul on a Rock'、'SeeThrough you'、'Everyday Everynight'、'Thinking of You'、'Sneaky'、'Choice Is...'、'Put the Telephone Down'。入らなかった曲のタイトルは'Paper Doll'と'RuleBreaker'。
1996年12月4日、マネージャーのラフ・エドモンドがアメリカへ渡り、EMI(アメリカ)にテープを持ち込んだ。数日たってもEMIから連絡が全然ないことに誰もが不安を感じていた。
12月13日、ピートはラフからの電話で、EMIがテープを却下したと伝えられた。彼の最初のコメントは「メンバーと次にするべき事を話し合わないと。将来を見つめてどんな方向に進んでいくか考えないといけない。自分達がかつていたポジションに戻ったってことだ」。
クリスマスにかけて小休止したあとメンバーが集まった。ミーティングの結果、進むべきたった一つの道は1981年の解散前の様に一丸となって取り組んでいく事だとピートとスティーブは決心した。このままだとバンドの将来は不安定なものになる。
1月20日、ピートは上記のミーティングにも使った北ロンドンにあるスティーブの地下スタジオを訪れ、新曲を一緒に書こうとそれとなく伝えた。ピートは次のように語っている。「他のたくさんのレコード会社が自分たちに興味を持ってはいるけれど、まずアプローチしていけるような新曲を書くことが大切。スティーブのところにこれまで5、6回ほど通ったりしているんだけど、結果的に何か浮んでくればいいなと思っている。これからの事については彼ともよく話し合ってきた事だしね」