この記録は載せるかどうか、正直かなり迷いました。しかし、ボクシングが辿ってきた歴史の中で、これは避けられなかった事件、出来事でありボクシングが真に、また常に命をかけて行われた証でもあるとおもったので、載せる事にしました。

リング禍
日本
選手名 記録(日時)
 小林信夫(帝拳)  1930年8月29日
甲子園テニスコートでの試合で"ボビー・ウイルス(比)"の強打を浴びてKO負けと9月1日に死亡。日本のリングで最初の犠牲者となった。
 今井清(第一)   1944年3月29日死亡。
 小宮信雄(埼玉)  1947年11月30日死亡。
 小山省吾(日新)  1948年3月16日死亡。
 寺田保(大星)  1952年4月24日死亡。
 横井義春(松田)  1955年3月22日死亡。
 国本土成(東亜)  1958年2月4日死亡。
 長谷川稔(田辺)   1964年8月20日死亡。
 久保義実(新和)  1966年8日18日死亡。
 朝川昇(野口)  1973年1月27日死亡。
朝川は海外のリングにおける日本選手初の犠牲者。26日、グアムでのS・フェザー級10回戦で"フレッド・ザヤス(比)"に8回KO負けを喫した直後に倒れ、翌日に死亡した。
 渡辺 人志(大川)   1973年8月22日死亡。
 木村孝仁(高橋)  1977年1日3日死亡。
 成田利彦(協栄河合)  1977年7月19日死亡。
 大幸勝則(山田)  1977年8月26日死亡。
 大和克也(本庄)  1978年6月28日死亡。
 黒井俊明(ヨネクラ)  1979年8月18日死亡。
 内海修一(セキ)  1979年10月7日死亡。
 浦山純人(角海老)  1981年8月10日死亡。
 小林直樹(金子)  1982年10月21日死亡。
 木村功(センターS)  1984年1月9日死亡。
 小林健一(角海老宝石)  1986年5月11日死亡。
 小沢真尚(全日本パブリック)  1987年8月10日死亡。
 米坂淳(北海道)  1990年6月18日死亡。
 勝又ミノル(高村)  1991年12月2日死亡。
 浜川泰治(アポロ)  1993年1月7日死亡。
 グレート金山(ワタナベ)  1995年9月9日死亡。
 伊藤光幸(秋田松本)  1995年12月12日死亡。
 水野雅之(松田)  1996年5月10日死亡。
水野選手が意識を失ったのは1977年8月20日の試合。
 鈴木敦(上滝)  1996年7月21日死亡。
 平沼浩幸(松戸平沼)  1997年2日24日死亡。
 大雅アキラ(協栄)  1997年10月19日死亡。
 片桐賢(極東)  1998年10月27日死亡。
世界タイトルマッチ
選手名 記録(日時)
 ウォルター・クルート(英)  1897年12日6日
英国ロンドンで行なわれた世界バンタム級タイトルマッチでジミー・バリー(米)に20回KO負けして死亡。
 ジミー・ドイル(米)  1947年6月24日
米国クリーブラントでの世界ウェルター級タイトルマッチでチャンピオンのシュガー・レイ・ロビンソン(米)に8回KO負けして死亡。
 ベニー・パレット(キューバ)  1962年3月24日
ニューヨークで行なわれた世界ウェルター級戦でエミール・グリフィス(米)に13回KO負けして4月3日に死亡。世界チャンピオンの死亡事故は初めて。パレットは当時の3本ロープの間から半身をはみ出したまま、コーナーポストとグリフィスのパンチに頭をちょうどサンドイッチのようにされ、これが直接の死に致しるダメージの原因といわれた。このあと、コーナーポストのむき出しの鉄柱にビニール・カバーを取りつけることが義務つけられたり、3本ロープを4本に増やすよう指導されたりした。
 デビー・ムーア(米)  1963年3月12日
ロサンゼルスで行なわれた世界フェザー級タイトル戦でシュガー・ラモス(キューバ)に10回KO負けを喫し、2日後に死亡。
 ジョニー・オーエン(英)  1980年9月19日
ロサンゼルスで行なわれたWBC世界バンタム級タイトルマッチでルペ・ピントールに12回KO負けしたあと意識不明に陥り、11月3日に死亡。
 金得九(韓)  1982年11月13日
ラスベガスで行なわれたWBA世界ライト級タイトルマッチでチャンピオンのレイ・マンシーニ(米)に14回KO負け。脳死の診断を受けたあと、4日後の17日に生命維持装置が外されて死亡。これがWBCの世界戦12回戦制実施の引き金になった。
 キコ・ベヒネス(メキシコ)  1983年9月1日
WBC世界バンタム級王座決定戦でアルバート・ダビラ(米)に12回KO負けし、3日後の9月4日に死亡。
 ジミー・ガルシア(コロンビア)  1995年5月6日
ラスベガスでガブリエル・ルエラス(米国)の持つWBC世界S・フェザー級王座に挑戦して11回TKO負け。開頭手術を受けたが意識は回復せず、5月19日に生命維持装置を外されて死亡。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最上部へGO