無敗のまま引退したチャンピオン |
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日本 | ※福田寿郎(日倶) |
戦時中の日本ライト級タイトルにあたる青色敢闘旗を獲得、次第に激しくなる戦火に1944年(昭和19年)にプロボクシング興行は中止となり、福田も日本のリングから姿を消した。戦後、故国・韓国で鄭福寿の本名でカムバックした。 日本での記録は29戦28勝(14KO)1分。 |
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※田辺清(田辺) | |
1967年2月(昭和42年)、網膜剥離のため、日本フライ級チャンピオンのまま引退。 23戦22勝(5KO)1分。 |
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※ジェームス・キャラハン(協栄河合) | |
1980年(昭和55年)、日本ミドル級チャンピオンのままブランクを作り、そのままタイトルを返上して引退。 6戦6勝(4KO)。 |
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※スラフ・ヤノフスキー(協栄) | |
1992年(平成4年)、協栄ジムとの契約を解除、6度防衛していた 日本S・ライト級タイトルを返上して故国のロシアに帰国。 12戦12勝(8KO)。 |
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世界 | ※ジミー・バリー(米) |
1899年、世界バンタム級チャンピオンのまま引退。 70戦59勝(39KO)9分2NC(=ノーコンテスト) |
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※ジャック・マカリーフェ(アイルランド) | |
1914年、世界ライト級チャンピオンのまま引退。 53戦41勝(9KO)9分3NC。 |
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※ロッキー・マルシアノ(米) | |
1955年、世界ヘビー級チャンピオンのまま引退。 49戦49勝(43KO)。 |
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※金知元(韓)=IBF | |
1986年11月、IBF世界S・バンダム級タイトルを保持したまま引退を発表。 18戦16勝(7KO)2分。 |
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※ピチット・シスバンプラチャン(タイ)=IBF | |
1994年11月25日、負傷を理由にIBF世界フライ級王座を返上して引退。 20戦全勝(15KO)。1996年にカムバックしてTKO勝ちしたが再び引退。 |
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※新井田豊(横浜光)=WBA | |
2001年8月WBA世界ミニマム級第12代王座を獲得。今後を期待されたが、その2ヶ月後の10月に持病の腰痛悪化と気力の低下を理由に突如引退。日本ボクシング界では王者のまま引退を表明したのは史上初。世界でも数少ないケースに日本ボクシング界は衝撃に包まれた。17戦14勝(7KO)3分。 | |
※リカルド・ロペス(メキシコ)=WBC,WBA,WBO→ストロー級 IBF→Jフライ級 | |
2001年8月WBC世界ミニマム(ストロー)級を獲得後、栄光の22度防衛。その間、WBOのタイトルも獲得し、その後WBAのタイトルをも奪い取った。そして階級を上げたあとは当然のように王位を冠した(IBF)。まさに怪物級のボクサーで、そのボクシングスタイル、パンチ力、存在感どれをとってもハイレベルなパーフェクトなチャンピオンであった。僕にとっても永遠のアイドルである。52戦51勝(38KO)1分。 | |
世界 (おまけ) |
※ジェームス・J・ジェフリーズ(米) |
圧倒的なパワーで無敵の世界ヘビー級王座に君臨したジェフリーズは1905年、戦いたい相手がいなくなったとして20戦18勝(15KO)2分の戦績で引退した。しかし、黒人王者"ジャック・ジョンソン"が出現するとその憎らしいほどの強さにファンがカムバックを熱望。1910年、ジェフリーズは50ポンドに及ぶ減量を果たして再起するが、ジョンソンの強さの前に蹂躙され、15回、凄惨なKOに退いた。 | |
※ジミー・カルザース(オーストラリア) | |
1954年、24歳の世界バンタム級チャンピオンは3度目のタイトル防衛に成功したあと、19戦全勝(11KO)のレコードで引退。しかし、経済的理由から7年後にカムバック。かつての力はなく、2勝(2KO)5敗の記録に終わった。 | |
※ジェフ・フェネック(オーストラリア) | |
IBFバンタム級、WBCのS・バンタム、フェザーと史上最少のキャリア(20戦目、3年5ヵ月)で3階級制覇を達成したフェネックは1989年11月、拳の慢性的な故障を理由に3度守ったフェザー級のタイトルを返上して引退。 ここまでは24戦全勝(18KO)だったが、2年後にカムバック、91年6月、4階級目の世界タイトルを狙って"アズマー・ネルソン(ガーナ)"の持つWBC世界S・フェザー級タイトルに挑んだが、引き分け。8ヵ月後の再戦では8回TKOに退き、初めての黒星となった。 |
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