誕生
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1954/5/23
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出身
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米国=ニュージャージー州
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初戦
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1973/3/18
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戦績
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67戦62勝52KO3敗2分
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タイトル
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統一世界ミドル級王座:12度防衛
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◆1973◆ |
03.18 |
Terry Ryan |
○2RKO |
07.25 |
Sonny Williams |
○6R判定 |
08.08 |
Muhammed Smith |
○2RKO |
10.06 |
Don Wigfall |
○8R判定 |
10.26 |
Cove Green |
○4RKO |
11.18 |
Cocoa Kid |
○2RKO |
12.07 |
Manny Freitas |
○1RKO |
12.18 |
James Redford |
○4RKO |
◆1974◆ |
02.05 |
Bob Harrington |
○5RKO |
04.05 |
Tracy Morrison |
○8RKO |
05.04 |
Jim Redford |
○2RKO |
05.30 |
Curtis Phillips |
○5RKO |
07.16 |
Robert Williams |
○3RKO |
08.13 |
Peachy Davis |
○1RKO |
08.30 |
Ray Seales |
○10R判定 |
10.29 |
Morris Jordan |
○4RKO |
11.16 |
George Green |
○1RKO |
11.26 |
Ray Seales |
X10R |
12.20 |
DC Walker |
○2RKO |
◆1975◆ |
02.15 |
Don Wigfall |
○5RKO |
03.31 |
Joey Blair |
○2RKO |
04.14 |
Jimmy Owens |
○10R判定 |
05.24 |
Jimmy Owens |
○6R負傷判定 |
08.7 |
Jesse Bender |
○1RKO |
09.30 |
Lamont Lovelady |
○7RKO |
12.20 |
Johnny Baldwin |
○7RKO |
◆1976◆ |
01.13 |
Bobby Watts |
●10R判定 |
02.07 |
Matt Donovan |
○2RKO |
03.09 |
Willie Monroe |
●10R判定 |
06.02 |
Bob Smith |
○5RKO |
08.03 |
DC Walker |
○6RKO |
09.14 |
Eugene Hart |
○8RKO |
12.21 |
George Davis |
○6RKO |
◆1977◆ |
02.15 |
Willie Monroe |
○12RKO |
03.16 |
Reggie Ford |
○3RKO |
06.10 |
Roy Jones |
○3RKO |
08.23 |
Willie Monroe |
○2RKO |
09.24 |
Ray Phillips |
○7RKO |
10.15 |
Jim Henry |
○10R判定 |
11.26 |
Mike Colbert |
○12RKO |
◆1978◆ |
03.04 |
Kevin Finnegan |
○9RKO |
04.07 |
Doug Demmings |
○9RKO |
05.13 |
Kevin Finnegan |
○7RKO |
08.24 |
Bennie Briscoe |
○10R判定 |
11.11 |
Wille Warren |
○7RKO |
◆1979◆ |
02.03 |
Ray Seales |
○1RKO |
03.12 |
Bob Patterson |
○3RKO |
05.26 |
Jamie Thomas |
○3RKO |
06.30 |
Norberto Cabrera |
○8RKO |
11.30 |
Vito Antuofermo |
X15R引分 統一世界ミドル級王座挑戦失敗
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◆1980◆ |
02.16 |
Loucif Hamani |
○2RKO |
04.19 |
Bobby Watts |
○2RKO |
05.17 |
Marcos Geraldo |
○10R判定 |
09.27 |
Alan Minter |
○3RKO 統一世界ミドル級王座獲得 |
◆1981◆ |
01.17 |
Fulgencio Obelmejias |
○8RKO 統一世界ミドル級防衛(1)
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06.13 |
Vito Antuofermo |
○5RKO 統一世界ミドル級防衛(2)
|
10.03 |
Mustafa Hamsho |
○11RKO 統一世界ミドル級防衛(3)
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◆1982◆ |
03.07 |
William Lee |
○1RKO 統一世界ミドル級防衛(4)
|
10.31 |
Fulgencio Obelmejias |
○5RKO 統一世界ミドル級防衛(5)
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◆1983◆ |
02.11 |
Tony Sibson |
○6RKO 統一世界ミドル級防衛(6)
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05.27 |
Wilford Scypion |
○4RKO 統一世界ミドル級防衛(7)
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11.10 |
Roberto Duran |
○15R判定 統一世界ミドル級防衛(8)
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◆1984◆ |
03.30 |
Juan Roldan |
○10RKO 統一世界ミドル級防衛(9)
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10.19 |
Mustafa Hamsho |
○3RKO 統一世界ミドル級防衛(10)
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◆1985◆ |
04.15 |
Thomas Hearns |
○3RKO 統一世界ミドル級防衛(11)
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◆1986◆ |
03.10 |
John Mugabi |
○11RKO 統一世界ミドル級防衛(12)
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◆1987◆ |
04.06 |
Ray Leonard |
●12R判定 統一世界ミドル級王座転落
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完璧なテクニックに裏づけされた強さ - マーベリックな歴戦の戦士 - |
ハグラーほどそのツルツル頭の風貌、そのヘラクレス的肉体、その果敢な戦いぶりに、"歴戦の勇者"の形容が似合うボクサーはいない。最近では珍しくなりつつある血や汗や労働の跡と匂いが強烈に迫ってくる。確かに苦労人である。ニュージャージー州ニューアークでは、言わずと知れた不良少年だった。67年の暴動で家を焼け出され、マサチューセッツ州ブロックトンに移る。ベトナム戦争を背景に、荒廃した米国社会の"毒"にたっぷりと浸った少年時代を過ごしている。 ハグラーの唯一の夢はチャンピオンになることだったが、ブロックトンで出会った、ペトロネリ兄弟が、その夢を育んでくれる。そして73年にプロデビュー。だがこの頃、その卓越した実力は認められながらも、なかなかタイトル挑戦の機会には恵まれない。当時のランキングボクサーはもちろん、ミドル級王者だったロドリゴ・バルデスやウーゴ・コロがハグラーと闘うのを渋ったからだ。そこで当時の皮肉屋達はハグラーの不遇を「彼には3つのハンディがある。黒人だし、左利きだし、お人好しだからね。」とからかった。しかしこのハンディのどれも、実は当て嵌っていなかった。ハグラーの肌はチョコレート色だったし、ピート・ローズ以来の名スイッチヒッターだったし、(少なくともリング上では)底なしの悪意に満ちていたから・・。 79年11月に、ようやくビト・アンツォフェルモへの挑戦権をつかんだが、惜しくも引き分け。しかし、翌80年9月にアラン・ミンターを3回TKOに葬り、ついに念願だった日の当たる場所に全貌を現したのである。それは「王冠なしの王者」といわれた暗黒時代の終焉であった。これよりハグラーの快進撃が始まる。7連続KO防衛を皮切りに、ロベルト・デュラン、ジョン・ムガビらの挑戦を退ける。そこに存在したハグラーはもはや、かつての苦渋に満ちた孤独のファイターではなかった。今や彼は栄光を目指し、栄冠に包まれて闘い、栄冠の恩恵を十分に享受しながらパンチを振るった。しかし十分に?いやいや、ハグラーにとっては長らく、宿敵レナードこそボクシング界の果実(旨味)を不当に満喫しているように思えていたことだろう。そしてハーンズはレナード側のファイト・マネーやラウンドの回数、リングの広さに関する長いじらし戦法や駆け引きと注文をクリアして、87年4月にレナードがハグラーに挑戦することとなり、両者はついに激突した。 ハグラーにとっては、レナードとのこれまでのファイト・マネーの多寡は別にして、積年の怨念を晴らす千載一遇のチャンスだった。しかし試合は非常に微妙な判定の末、レナードが勝ち名乗りを挙げ、ハグラーが12度も守ってきたタイトルは一瞬にして消え去っていった。60戦を超す戦歴の中で、この1敗も(他の70年代の2敗とともに)「勝ちにしていい」1敗だった。この試合をもってハグラーは引退。その後、俳優業などにチャレンジしている。 ハグラーの輝きは決して色褪せることはないだろう。完璧なテクニックに裏づけされたその強さと柔軟性と耐久性。それこそハーンズは過去20年に幾多のミドル級ランカー達をその突出した実力で退け続けた名チャンプ、カルロス・モンソンと双璧を成す、高く険しい山のような存在であった。
(蛇足的駄文) 僕の中でのハグラーというボクサーの印象は、無類のタフネスを誇り、切れ味抜群の鋭いジャブを武器に、正確無比の冷徹なコンビネーションにスイッチを織り交ぜ、巧みに相手を追いつめて行き、その動きには一切の無駄がないという攻防万能型の理想のようなボクサーというものだった。中でも特に彼にこれほどまでに惹かれるのは、ストイックなボクシングというにはあまりに冷徹でクールなスタイルにあったと思う。ハグラーには同時代のボクシング界を大いに沸かせた、"シュガー"レイ・レナードやトーマス"ヒットマン"ハーンズ、または"石の拳"ロベルト・デュランなどが持っていた派手さというものが限りなく少なく、華やかさとは無縁な存在だった。だが、一方でそのふてぶてしいまでの愛想ない強さが人々の目に"本物"と映ったんだろう、彼の試合はつねに張り詰めた緊張感のもとリアルバトルが観客を熱くさせている。僕がビデオで見た、ハーンズとの一戦はその最たるもので、彼がハーンズを3回TKOに下すまでの試合運びは完璧で、ぞくぞくするような緊張感のなか、僕が魅了されてやまない強いハグラーを堪能できる。これまでも、そしてこれからもハグラーは僕が全階級を通じても、最もリスペクトするボクサーであり続けるにちがいない。ちなみに、ボクシングの階級でミドル級は、ボクサーの身体的特徴、パワーやスピードという面から見て、最も美しい階級だと思っている。(←これはあくまで僕個人の見解)
最後に感慨深い話をひとつ。かつてハグラーが最後の相手として迎えたのはレナードであった。ハグラーがデビューしたとき、そのファイト・マネーは$200ぽっちであり、一介の無名ファイターでしかなかった。一方レナードはアマ時代の76年にモントリオール五輪ライトウェルター級で金メダルを獲ったスターであり、そのデビューも華々しくファイトマネーは$200、000であったという。その両者がタイトルマッチをおこない、しかも両者とも歴史に一名を刻む名ボクサーとなったのは非常になにか、ドラマティックなものを感じてしまわないだろうか。
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★★★★ HAGLER'S PHOTO ★★★★ |
![](photo/hagler4.jpg) 中量級の時代だった80年代前半そのシンボルとして君臨、王座を防衛し続けた。
![](photo/hagler5.jpg) 85年にはハーンズをKO。その強さを人は"真実の強さ"と呼び称えた。
![](photo/hagler3.jpg) 8度目の防衛戦ではデュランの4階級制覇の夢を砕く。 |
![](photo/hagler1.jpg) ラストファイトとなる"レナード"戦。11年ぶりの黒星を喫す。
![](photo/hagler2.jpg) "マーベラス・マービン"の愛称で80年代に無敵のミドル級王者として活躍したサウスポー。79年ミンターから王座を獲得し、13度目の防衛戦でレナードに不本意な判定で敗れ引退。 |
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