KATE結成までの物語
〜第十一回〜

(1998年01月02日)

「予期せぬ展開」

 「4月から高校生活が始まるんだ!ひろみちゃんとの思い出を胸の奥にしまい、新
たな生活をスタートさせるぞ!」と、意気込んでいた1985年の3月下旬頃。当時、
定期購読していた月刊誌「ビックリハウス」では、「ビックリ水族館」という名物
コーナーがあった。毎月読者から送られてくる音楽をムーンライダースの鈴木慶一氏
が誌上で批評するもので、「音」というものを活字で表現するという画期的な企画で
あった。優秀作品はレコード化されるらしい。「これに出してみるか〜。どうせヒマ
だし。」進学する高校も決まって、あとは入学式を待つだけだったのでからかい半分
でカセットをビックリハウス編集部に送ってみることにした。「スタチュー三宅」
「僕ら、集団下校」など数曲をダビングして、メンバーの写真を同封した。郵送した
後でかんちゃんのところへ電話を入れた。「というわけで、集団下校のカセットを送っ
たわ。」「マジかよ!お前、ヒマか?」「まあ、無視されるかメチャクチャ評価され
るか、どちらかだろうな。」「ハハハハハ」

 それからすぐに高校の入学式があった。美術系の高校だったので、早朝からデッサ
ンがあるため始発の電車で通学することになった。放課後にもまたデッサンがあるの
で、帰りは遅くなる…。そんな中でも勉強はしなくてはならないし、とんでもないと
ころに入ったなあ、というのが最初の感想だった。こんな生活を3年間も続けられる
のかと心配だったが、やはり美術系というだけあって、クラスにはちょっと変わり者
が多くて結構おもしろい日常だった。それに入学早々から、ある女の子のことが気に
なっていたので、そんなことも楽しいことのひとつだった。

 ビックリハウス5月号の発売日に本屋へ行った。もうカセットを送ったことなんて、
すっかり忘れていたのだが…。パラパラと何気なくページをめくっていて、思わず息
が詰まった。「あ、集団下校、載ってる…」

今月の“鱸(スズキ)”優秀作品
B部門「集団下校」川瀬哲也(15歳)他 岐阜県

 この人たちのテーマソングのような「僕ら、集団下校」という曲だけ、スゴク面白
かった。彼らの坊主頭が見えてくるし、歌詞に個人名は出てくるし、というノリの良
さ。演歌風に歌ったり、ニューウェーブだったり、曲作りには工夫していますね。地
域の明るい青年団という感じでした。(月刊ビックリハウス1985年5月号より)


 もう大笑いだった。両親に見せ、集団下校のメンバーに電話をかけ、学校で友人に
見せ、ひとりでトイレで見て、それはもう大騒ぎだった。ビックリハウスに載ったと
いうのも笑えたし、なによりあの鈴木慶一氏が集団下校のテープを聞いて、高い評価
をくれたというのが一番可笑しかった。いや、身に余る光栄なのだが。「これは
ひょっとすると、ひょっとするかも…」完全に勘違いした私は「Teachers〜関中の先
生」も送ってみることにした。そして翌月の6月号。

今月の“鱸(スズキ)”優秀作品
C部門「集団下校」川瀬哲也(15歳)他 岐阜県

 超ローカルものをやらせたら並ぶ敵なし、集団下校の青年団は相変わらず自分たち
のポリシーを貫いていて、嬉しい限りです。今回は彼らの通う中学校(関ヶ原中)の
6人の先生を歌にして送ってくれました。牧村先生(数学)の口グセの真似、給食の
鳥のカラ揚げをなくして怒り狂う松井先生(社会)の真似など。その先生を見たこと
もないのにクッキリ想像できる。しかも笑えます。B面の集団下校ミーティング・ラ
イヴはいささか内輪ノリにとどまってはいたが、それを押し切る力はやっぱり集団下
校、なのである。(月刊ビックリハウス1985年6月号より)


 もう完全に世の中を制覇したような気分だった。

(つづく)

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