KATE結成までの物語
〜第三回〜

(1997年10月12日)

「YMO初体験」

 小学6年生になる頃に、かんちゃんに連れられてレンタルレコード店に行った。
「ちょうど借りていたレコードを返すついでがあるから、一緒に行こう。」と誘われ
たのだ。ちなみにかんちゃんが返す予定のレコードは坂本龍一の「B-2UNIT」だった。
電車を待つ間に、ジャケットを袋から取り出して見せてくれた。「かっこいいぞ〜、
このアルバム。教授の顔もバッチリ写ってるし。」そこには頬づえをついた、教授の
顔がバ〜ン!と出ていた。こんな麻薬中毒患者みたいな顔の男のどこがいいのだろう、
と思った。でも表ジャケットのわけのわからないソファーと煙突の写真のコラージュ
には、ちょっと言い知れぬ感動を覚えた。この時の感動が、のちに私が美術を志すひ
とつのきっかけにもなったのである。「あ、電車来たぜ!」

 友人とふたりだけで電車に乗って遊びにいくというのはこれが初めての経験だった。
それまでは大抵、親とかと一緒だったし、せいぜい遊ぶといっても近所の友人の家へ
自転車で行くぐらいだったから、電車に乗って遠出するのは、すごくわくわくした。
まあ、地元の駅から2つめの駅で、降りてから徒歩で数分程度の道のりだから、別に
大したことはないが、その時はすごく遠くまで遊びに来てしまった…と思った。ほん
のちょっぴり心細くなって、ひろみちゃんのことを考えたりした。そのレンタルレコ
ード店でかんちゃんの薦めでYMOの「パブリック・プレッシャー」を借りた。「YMO
の雰囲気をつかむのに一番いいと思うよ。内容的にもベスト盤ぽいしさ。」というこ
とだったが、今から思うと「ソリッド・ステイト.サヴァイヴァー」の方を薦めてく
れればよかったのに…。

 で早速、はやる心を抑えて家で聞いた。「なんじゃ、こりゃ?!」いきなりボコー
ダーボイスで始まるそれは、あまりにも強烈すぎた。最初はこのアルバムがライブも
のだと知らないで聞いたので、観客の声が効果音なのかと思った。歌もほとんどない
し、あっても英語だし、洋楽にほとんど触れたことのない当時の私には、このレコー
ドはめちゃくちゃ大人の音楽のように聞こえた。YMOを聞くということは、酒を飲む・
たばこを吸う・車の運転が出来る、ということと同じくらい大人の行為だと、その時
は思った。(この中に「SEXをする」というのが含まれていないのは私がまだウブだっ
たから)「何それ!やかましいレコードやねえ!そんなのが音楽かね?!」母親が、
ウチの子はとうとう気が狂ったかとでも言いたげな表情で部屋に入ってきた。「そん
なものに、お金出して借りてきたんかね、まったく…。」とあきれ顔。母さん、まさ
にこの瞬間からボクは大人になったのさ♪

 この頃はまだレコードプレイヤーのみの音楽環境だったので、借りたレコードをカ
セットに録音するということが出来なかったので、(ラジカセはあったのだが、接続
するということすら考え付かないようなガキ状態だったのだ)レンタル期間中は元を
取ろうと、それこそ気が狂ったように聞いた。おかげでこの「パブリック・プレッ
シャー」は、観客の声援までも完全に覚えた。かんちゃんはスピーカーの前にラジカ
セを置いて、大音量でレコードを鳴らして録音をするという荒業で、カセットテープ
のライブラリーを増やしていた。しかし、わが家は4軒長屋の住宅だったので近所迷
惑を考えるとそれは出来なかった。「大音量でレコードを聞けない」これは非常にツ
ライことだ。音楽に目覚め始める年齢の子供にとって、これは拷問のようなものだと
思う。とりあえず、ひろみちゃんのことを考えて、このイライラをごまかすことにし
た。

(つづく)

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