青華美 喜之子のないしょ話

その@ {衣装}


 演奏会の時、演奏者はみな正装します。男性はタキシードなど、女性はドレスなどのロングがほとんどですね。彼等にとってドレスやタキシードは言わば作業着やユニフォームのようなもの、商売道具の一つなのです。なぜ正装するかというと、舞台はきれいで華やかであるべきだということと、お客様に対して失礼にならないよう、きちんとした正式な格好でお迎えするという二つの大きな理由があります。でもこれはある意味では表向きの理由です。特に女性の場合は・・・。
 あのきれいなロングドレスの中がどうなっているのか御存知ですか?いえいえ、ドレスの構造ではありません。ドレスを着ている人の足のことです。といってもエッチな想像をしてもらっては困るのですが・・・。
楽器を弾くのも歌を歌うのも、全身の力を使います。着ているものは優雅でもやっていることはスポーツと何ら変わりません。声楽家はきちんと「きをつけ」をして歌っているわけではないし、ピアニストはお行儀よく足を揃えて座っているわけではありません。声楽家は重心をさげ、体重をバランスよく支えるため、足は若干開いて立っています。ピアニストはペダルを踏み、上半身を鍵盤の端から端までスムーズに移動させるため足を開いて、とても「お行儀悪く」座っています。もしも声楽家やピアニストがミニスカートをはいていたらどうなるでしょう。おじさま達は大喜びでしょうけれど、とても演奏に集中して耳を傾けるというわけにはいかなくなるでしょう。
 演奏家のロングドレスは、いわばお行儀の悪い格好の足を隠すためのカムフラージュなのです。 演奏家達は普段はみな好きな格好をしています。サラリーマンのように背広にネクタイという人はほとんど無くジーパンやポロシャツなど、比較的ラフな格好の人が多いようです。衣装は皆、衣装カバンに入れて持参し、本番前に楽屋で着替えます。本番前というのはどんなベテランの人でも緊張しています。そのためにとんでもないハプニングが起こることがあります。イヤリングやネックレスなどのアクセサリーを忘れてくるなんていうのは序の口、蝶ネクタイを忘れたり舞台用の靴を忘れたり、ロングスカートを忘れたりベルトを忘れたり・・・・・。その度に楽屋で大騒ぎになります。
 A合唱団のB子さんは白いブラウスに黒のロングスカートという、いわゆる「コーラススタイル」で、ある本番を終えました。
終演後、彼女が楽屋で大騒ぎしています。「誰か私のジーパン知らない?」履いてきたジーパンがなくなっていると言うのです。「大変!楽屋にドロボーが入ったのかしら」とみんなも大騒ぎで探しました。15分ぐらい探してもいっこうに見つかりません。「どうしよう、この格好のままタクシーかなんかで帰ろうかしら」としゃがみ込んだ瞬間、彼女が叫びました。「いやだ!はいてたわ!」・・・。本番前に着替えたとき、ジーパンを履いた上からロングスカートお履き、そのままジーパンを脱ぐのを忘れてしまったのです。つまり彼女はロングスカートの下にジーパンを履いたままの格好でステージに上がって、本番を歌ってきたのです。
 ソプラノのC子さんはそそっかしいので有名です。本番前に彼女はその長い髪にカーラーを沢山巻いて、綺麗にセットして舞台に出ます。
彼女のリサイタルの時のことです。緊張した面持ちで舞台に上がり、伴奏ピアノを弾いていた私の方を向いてしばらく気を落ち着けた後、いざ歌い出そうと客席に向き直りました。私が一曲目の前奏を弾こうとした時、彼女の後頭部に赤いものがくっついているのを発見しました。
「ドレスが青なのに赤いリボンはつけないよなぁ」と思いつつ、一曲目を終えました。曲間で彼女が私の方を振り向いた時、前列のお客様達が一瞬ざわめきました。彼女が二曲目を歌おうと客席に向き直った時、私は全ての事態を把握しました。彼女の後頭部に赤い色のカーラーが二つ、しっかりと付着しているのです。私は二曲目を伴奏しているあいだ中、笑いを我慢するのに必死でした。二曲目を歌い終えて舞台袖に引っ込んだ彼女に私は即、「C子さん、カーラーつけっぱなし」と小声で教えたのに対し、持ち前の大声で「えぇ!なに!カーラー?!!」と答えた彼女の声は客席まで届き、さっきざわめいた前列のお客様達の笑いを呼んでしまいました。
 バリトンのD男さんはクソまじめで有名です。これもやはりリサイタルの時のことです。私が伴奏を弾いていました。ハンサムなD男さんが、本番前にタキシードに着替えようとしてオロオロしています。マネージャーの方が蒼い顔で私に訊きました。「この辺に礼服を扱うお店はないでしょうかね?」どうやら蝶ネクタイを忘れたらしいのです。でも、あいにくそこのホールの周辺にはそんなお店はありません。本番の時間は刻々と迫ってきます。D男さんはオロオロするばかり。やがてそのマネージャーの方や私の付き人の子がしばしのあいだ思案投げ首、苦肉の策を考えつきました。白い紙を蝶ネクタイの形にハサミで切って、黒いマジックペンで塗って首にセロハンテープで張り付けたのです。背に腹は変えられぬとD男さんも納得。遠目には何の違和感もありません。やれやれと一安心。やがて本番が始まりました。ところが本来立体的であるはずの蝶ネクタイがペラペラと風になびいたり、マジックペンのインクが、半分だけ白い紙の裏にしみている様子が、伴奏ピアノを弾いている、つまりすぐ後ろから見ている私のはとってもよく見えます。その状態と、ハンサムでクソまじめなD男さんが、まじめくさって歌っていることのアンバランスが余りにもおかしくて、時々笑い出しそうになってしまいました。不謹慎ですよね。でも、終演間際にアンコールを歌う頃には、紙の蝶ネクタイは汗を吸ってすっかりクシャクシャでした。あれを見て笑わない人はいないと思いますよ。
 皆さんも演奏会時には、舞台上の演奏家達の衣装にどうぞ御注目を。

2000年 6月15日(木) 

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