日本のROCK時代の幕開け


カルメンマキ&Oz (1975年)

1. 六月の詩
2. 朝の風景
3. Image Song
4. 午前1時のスケッチ
5. きのう酒場で見た女
6. 私は風

カルメン・マキと言う女性ロックシンガーが70年代を走り抜けた。 デビュー曲の『時には母のない子のように』実に暗く重たく幼心にも当時の歌が重たく感じられた。
同じ時代に山本リンダの「困っちゃうな」の大ヒットがあり、ハーフである山本リンダが明るいイメージでありカルメンマキのデビュー曲は、明暗を分けるとすれば間違いなく暗いイメージの歌の内容であった。
しかし、とても面白いことに気がついたのだ。カルメンマキと山本リンダ二人とも日本人とアメリカ人の間に生まれたハーフでありながら、デビュー曲のイメージとは、180度イメージチェンジをないとげたのである。強烈なインパクトを受けたのは、殿方なら誰もが度肝を抜いたのではなかろうか?
暗く不幸なイメージを背負ったカルメンマキがROCKへと変身を遂げ、方や可愛娘ちゃんイメージの 山本リンダは熟女をプンプン妖艶なアクションの「狙い打ち」の曲へとこれまた大変身した。
全く、女は魔物と言うべくなのだろうか?同一人物がこれほどまでにも変身するのが不思議だ。 私は、山本リンダよりもカルメンマキ&OZの思い出の方が遙かに心に深く刻み込まれている。
1970年にロックに転向した後、カルメン・マキ&タイムマシーンを結成するが,すぐに解散. 1971年,アルバム『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』をリリース。1972年にはカルメン・マキ&OZ を結成し,日本ロック史上に残る女性ヴォーカリストとなる。 「私は風」は、きっと現在の30代後半からの人だとどこかで耳にした覚えがある曲のはず。チュッチュッチュ〜〜〜♪♪のコーラスとマキのエネルギッシュ且つパワーのあるヴォーカルが伝わって来るかと思う。確かこの曲は、某家電メーカーのCMにも使用されていた。

2003年2月の日記更新

ガイアックスの当サイトで私がNEEDSに兼ねてからカルメン・マキ&OZの音源を探していると訴えていたところお友達のfumitanさんより紙ジャケの情報を頂き、gojohさんよりマキのアルバムをヤキヤキして頂き感謝感激感無量でございます。この場をお借りして御礼申し上げます。70年代日本の女性ロッカーの草分け的存在で後のロックシーンに大きな影響を与えた伝説のカルメン・マキ&OZのアルバムを改めてじっくり聞き込んだのは何年ぶりだろうか?後のSHOW-YAを始めとする、女性ロッカーたちに与えた果てしない影響力を与えたマキに私も学生時分に彼女の歌を聴いて背筋にゾクッとする戦慄を覚えたのがまだ最近の事のようにも思い出されます。
以前にも「音楽日記」でもカルメン・マキ&OZを書きましたが70年代の日本のロックが時を越えて現在聴いても錆びれることなく今なお鋭くハートに響くものが伝わってきます。カルメン・マキ&OZのアルバムを聴きながら強く感じること…それは日本語だけの歌詞で、ロックを巧みに表 していると言うことです。現在J−POPのアーティストの歌詞やタイトルを挙げるだけで、横文字ばかりの歌詞が目に付きます。意味不明な英語にカタカナに不自然さが感じられるのですが、マキ&OZのアルバムにはほとんど全てと言って良いほど日本語で!わかりやすい言葉で!ファーストアルバムはプログレっぽい仕上がりになっているように思います。ファーストアルバムのレコード・セールスは日本のROCK史上前例のない10万枚を越えROCKは商売にならないという定説を覆すとともに、70年代のフォーク全盛時代を終焉させ、日本のROCK時代の幕開けをもたらした。と言えば…改めてマキ&OZの凄さがわかっていただけるかと思います。

こばちゃん所有のシングルレコードの「私は風」クリックすると試聴できるよ♪  ジャニス・ジョプリンの歌に出会ったことによりロックの目覚め た彼女はOZのバンドを築くまでに近田
春夫との短命だったバンド(カルメン・マキ&タイムマシーン)その後には竹田和夫が率いるブルース・クリエイションを経て結成したのがカルメン・マキ&OZでした。近田春夫と言えば「ジェニーはご機嫌ななめ」(byジューシィ・フルーツ)でテクノと呼ばれた時代にヒットを飛ばしていますし、竹田和夫と言えば…「SPINNING TOE-HOLD」が有名な元クリエイションのギタリスト。70年代の日本のロックを築きあげてきた彼らとの経歴がのちのマキ&OZのヴォーカルに最大に生かされているように感じます。
70年代のロックの時代背景を言えばディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、クイーン、ローリング・ストーンズなどのブリティッシュロックとエアロスミス、イーグルス、ドゥービーブラザーズなどのアメリカンロックと大きく分かれ現在でもCMなどで良く耳にする名曲もたくさん誕生しています。

OZがレコード・レビューした75年は70年代フォーク全盛期だったようですが続々とロック・アーティスト達のレコード・レュー進出によって日本のロックシーンが活気づいてきた時期だったようにも思います。まさに日本のロックの夜明けをもたらしたバンドなのかも?しれませんね。しかし、幾度かのメンバーチェンジを繰り返しながらも惜しくも77年に解散してしまいました。実はリアルタイムに私は77年の夏に大阪の毎日ホールにてカルメン・マキ&OZのライブを見ることが出来ました。
まだ、ロックが不良だと言われた時代に学校帰りにマキのコンサートに足を運んだ私は…不良ではなくてマキのファンの一員としての行動をとったまでですね♪
その当時のロックのコンサートは前座のバンドがメインアーティストの演奏前に余興みたいなものでオマケがあったようなもの。。。ちなみにマキamp;OZの時の前座はなんとRCサクセションでした(^_^)忌野清志郎が化粧していたのも驚きましたが彼の独特なヴォーカルも印象的でした。前座のバンドで思い出したと言えばKISS初来日のライブの前座はやはり日本のヘヴィ・メタルバンド山本恭司のギター率いる「BOW WOW」と言う事もありあした。話が少し横に逸れてしまいましたがたった3年足らずのマキ&OZの活動でしたが伝説の女性ロッカーの歌姫のヴォーカルを皆様にも知って頂きたいと思い今回は再びカルメン・マキ&OZの日記を書いてみました。

春日博文のギターが最大限にうなり!エキサイトする「私は風」は必聴の価値あり!!この曲は3部作の仕上がりになっています。また、歌詞もロックを表現するには全てが日本語であるところを聴き取っていただきたいと思います。音楽日記始まって以来の
超ロングタイム(なんと17分以上)アップしちゃいました♪カルメン・マキ&OZの魅力が十分にわかって頂けるかと思います。

私は風
作詞:Maki Annette Lovelance 作曲:春日博文

あまりに悲しいことばかりで
どこか遠くへ旅にでようと
ポケットに思い出つめこみ
ひとり汽車にのったの

汽車の窓の外を走りぬける
昨日までの私のにがい人生
もう二度と戻ることのない
この町ともさよならね

あぁ もう涙なんか枯れてしまった
明日からは身軽な私
風のように自由に生きるわ
ひとりぼっちも気楽なものさ

あぁ 目を閉じて心も閉じて
開いた本も閉じてしまえ
あぁ私は風、私は風
終わりのない旅を続けるの

あぁ 私を抱いて気のすむように
抱いたあとで、あなたとはお別れよ
どうせ私は気ままな女
気ままな風よ

胸の奥深くうす紫色の 霧が流れる
誰か教えてよ 私の行く先を
見知らぬ町の 街角にたち
人波の中漂う私 明日はどこへ
終わりのない旅
    
 
カルメン・マキ
1951年 5月18日生まれ.本名・伊藤牧.父親はアメリカ人.
『天井桟敷』の芝居にショックを受け1968年 6月同劇団に入団。
同劇団の芝居に出演中にCBS SONY のディレクター酒井政利にスカウトされ1969年 『時には母のない子のように』でデビュー。
以後個性派シンガーとして6枚のシングル・3枚のアルバムをリリース。
1970年にロックに転向。カルメン・マキ&タイムマシーンを結成するが、すぐに解散。
1971年、アルバム『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』をリリース。
1972年にはカルメン・マキ& OZ を結成し,日本ロック史上に残る女性ヴォーカリストとなるが、77年に解散。
以後'90 年代前半に出産と育児のため一時休止したが現在もライブハウスで活動を続けている。


カルメン・マキオフィシャルHP
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