「邦楽ジャーナル」2002年4月号掲載

<続>異国見聞尺八余話 (11)

シックスス・センス

倉 橋 義 雄


フィラデルフィアの不思議なご婦人と筆者

 ある賞をいただいたとき、そのことを報じた新聞記事に私の 顔写真が載った。そしたら私の中学時代の恩師から電話がかか ってきた。青柳昭子先生、中2のときのクラス担任だった先生、 体育の先生である。「写真を見てすぐ思い出しましたよ」。卒 業以来、実に35年ぶりに先生の声を耳にして、タイムスリ ップしたような懐かしさを感じた。「貴方が尺八を吹いている ことを初めて知りました。つきましては、そのことでお話があ ります」。さっそく私は、折を見つけて先生のお宅を訪問した。
 先生は1本の尺八を私に見せてくださった。「亡くなった父 の形見です」。先生の父君は堀江一氏、私が卒業した中学校の 事務長だった。若い頃から尺八を愛好されていたという。父君 亡きあと先生はその尺八を宝物のように大切に保存されていた。
 「私も歳をとりました。子供もいません。だからこの尺八の ことが心配です。誰かこれを保存してくださる方がいないかと 思案していた矢先、新聞で貴方の写真を見たのです。天の思し 召しだと思いました」。私はありがたくその尺八を頂戴し、大 切に保存することを約束した。
 でも、その尺八は音が出なかった。使いものにならないと早 合点したのだが、何となく惹かれるものがあったので、友人の 尺八製管師小林一城君に鑑定してもらったら、何とそれは三浦 琴童の作だった。伝説的な名人の作というだけでなく、私の父 (倉橋容堂)の師匠(神如道)のそのまた師匠の作だったのだ。 琴童の楽器について様々な評価があることは知っていたが、私 にとっては縁浅からぬ人、「それじゃ根性でこの尺八を吹きこ なしてみせるぞ」と覚悟を決め、毎日息を入れてみた。
 すると1週間後、まるで竹が爆発したみたいに見事な音色が 吹き出してきた。驚いた。「すごい」と思った。でも扱い難い ことに変わりなく、じゃじゃ馬みたいな楽器ではあった。
 半年後、琴童の尺八に詳しいサンフランシスコ在住の尺八蒐 集家(?)ジョン・シンガー君に見せたところ、「これは良い楽 器です。でもまだ調子が元に戻っていませんね。もっと吹きこ なせば、もっと良くなるはずですよ」という話だった。
 彼の話を裏付けるかのように、それからまもなく、その楽器は 急に私に従順になった。音色にも艶が出てきた。青柳昭子先生 に報告したら、「最初から、あの楽器は貴方のところに行くべ き運命にあったように、私は思っていました」・・・・。
 その頃から、その尺八を吹くときに人の気配を感じるように なった。尺八の音に混じって、複数の人が話し合っている声が 聞こえるようになったのだ。あるときは男性の声、あるときは 女性の声。ハッと思って吹くのを止めたら、声も止まる。吹き 続けたら、また何やら話し声が・・・・。でも不思議に私はその声 に恐れは感じなかった。むしろ何とも言えぬ安心感を覚えた。
 2002年2月、フィラデルフィアでサロンコンサートを開 いたときのこと。終演後のパーティで、1人の老婦人が私に話 しかけてきた。近所に住む人で、友人に誘われて出席したとい う。尺八を見るのも聞くのも初めてということだった。
 いきなり彼女はこう言った。
 「貴方には子供が3人いますね?」私はキョトンとして、う なずいた。
 「女の子が1人と男の子が2人ですね?」私の体に少し鳥肌 が立った。
 「その通りです。どうして分かったのですか?」
 「貴方の笛の音を聞いていたら、そんな気がしました」。
 「それはつまりシックスス・センス(第六感)というもので すか?」
 「そうだと思います」。
 「うーん」。
 「3人の男性も見ました」。
 「男性?」
 「異なる世代に属する3人の老人が貴方を守っていました」。
 「それも私の笛の音で・・・・?」
 「いいえ、私は見たのです。彼らが貴方の背後に立っていた のを」。全身にゾーッと鳥肌が立った。すごい話だ。
 「でも心配しなくていいのです。彼らは貴方を守っていたの ですから」。
 私は彼女の言葉を疑わず、全部信じることにした。すると、 うれしくなった。
 異なる世代に属する3人の老人・・・・いったい誰だろう。私の 父だろうか、神如道師か、三浦琴童師か、堀江一氏かもしれな い。そのうちの3人。そうだったらいいのにな。強力無比、完 璧な守護霊たちではないか。

(第11話終)