「邦楽ジャーナル」2001年12月号掲載

<続>異国見聞尺八余話 (7)

扇子の効用

倉 橋 義 雄


よく効く扇子

 尺八独演会の連続公演というと、独奏で同じことを繰り返す だけだから、簡単なものかというと、案外そうでもない。尺八 本曲の演奏は環境に影響されやすいから、会場の雰囲気が変わ ると面食らってしまうのだ。
 この夏もニューヨーク・モントリオール・フィラデルフィアの 3都市で連続独演会を開いた。ニューヨークではマ ンハッタンのミニホールで、モントリオールでは山の中のコテ ージ風コンサートホールで、フィラデルフィアでは何とガーデ ンコンサート、庭の中を歩き回りながら演奏した。
 場所が違えば観客も違う。ニューヨークではそこそこの音楽 ファンが集まってくれて普通だったけど、モントリオールでは、 なにしろリゾート地の会場だったから、裸みたいな女の子がい っぱい集まって、むきむきの足がズラリと並んだ前で演奏させ られた。そんなの嬉しくなかったね。むしろ悲しかった。
 こんな風だから、どんな場所でも同じ心を保って演奏すると いうのは、不可能に近い。でも演奏しなければならないから、 私は小道具を使って心をコントロールしてみることにした。そ のとき使ったのは、1本の扇子である。
 1993年のこと、ある演奏会で尺八本曲『神保三谷』を演 奏していたら、ふと私の脳裏に1人の女性の姿が現れた。その 女性は悲しそうな顔をして、じっと私を見つめていた。彼女は 私の妻でも恋人でもなく、単なる知人、しかも何年も会ってい ない普通の女性だ。なぜ彼女が現れたのか、その理由はいまも 分からない。でも、そのときの演奏、出来が良くてほめられた。
 以来『神保三谷』を演奏するとき、なぜか必ずその女性が私 の脳裏に現れるようになった。
 1999年、「紅いコーリャン」で有名な中国の作家・莫言 (モーイェン)氏が来日したとき、私は機会を得て氏の前で 『神保三谷』を演奏した。黙然と私の尺八の音に耳を傾けてい た莫言氏、あとでこう語った。「目をつむって聞いていたら、 瞼の裏に1人の女性の姿が見えてきた。その女性は虐げられて、 とても悲しそうだった」・・・・。
 2001年、私は数年ぶりで本当の彼女に出会った。笑われ るかもしれないと恐れながらも、私は彼女に『神保三谷』のこと を打ち明けてみた。そしたら彼女は、笑うどころか目をうるま せて、「こんなに感動した話はありません」と言ってくれた。 そして私に1本の扇子をプレゼントしてくれた。
 私が小道具として使用したのは、その扇子である。ニューヨ ークの独演会で、初めて使用した。舞台中央に扇子を立て、演 奏直前、じっと見つめてみた。それから目を閉じ、その女性を 思い、その女性の為だけに尺八を吹くような気持ちになってみ た。そしたら、あら不思議、効果テキメン、周囲のどんな環境 にも煩わされることなく、私は彼女と2人きりの世界にひたり きることができたのだ。「これで、どんな環境でも、同じ心で 尺八が吹ける」と私は確信した。
 でも、少し違和感があった。と言うのは、それまでの彼女は、 ただ悲しそうな目で私を見るだけだったのに、そのときの彼女 は嬉しそうに私を見つめていたのだ。まるで私の脳裏で2人が 抱き合っているかのようでもあった。「ちょっとエロチックす ぎるぞ」と危惧も感じたけれど、演奏はうまくいった。
 観客の拍手を受けて目を開いたら、客席の最前列中央、私の すぐ前にいた女性と目が合った。20歳くらいの見知らぬ白人女 性。その女性は困り果てたような顔をして、もじもじと私を見 つめていた。私は奇異な感じを受けた。彼女は私のところへや って来て「素晴らしい演奏ありがとう」とお世辞を言ったかと 思うと、矢のように走って会場から立ち去った。
 翌日、その女性の友人だという男性が「彼女、こんなこと言 ってたよ」と私に語ってくれた。彼女が彼に語った言葉というの は、こうである。
 ・・・・尺八の音を聞くのは初めて。目をつむって聞いていたら、 急に恥ずかしくなった。演奏者と私が2人っきりで小さな 部屋の中に閉じ籠もっているような気がしてきたの。しかも私 は素っ裸で、演奏者も素っ裸。ふと私は気がついた。あっ、こ こは小さな部屋なんかではない、演奏会場なのよ、お客さんがい っぱいいるのよ。そんなところで素っ裸になっていると思った ら、もう恥ずかしくて、ぜったい目を開けられなくなった。 だから演奏が終わったら、会場から走って逃げちゃった。

(第7話終)