「邦楽ジャーナル」2001年11月号掲載

<続>異国見聞尺八余話 (6)

ああ、マンハッタンが・・・・

倉 橋 義 雄


いま見ると悲しいこの写真

 去る8月、私はニューヨークにいた。
 若い友人Mが購入したばかりのピカピカのアパートに居候さ せてもらって、快適に過ごした。「このアパートいくらしたの?」 と気軽に聞いたら、「3百万ドル(3億6千万円)」という答 が返ってきたので、ぎゃふん。聞かなきゃ良かった。そういえ ば、そこは今をときめくトライベッカ地区、まだ整備されてな いけれど、活気を感じる町だ。金融の中心ウォール街や世界貿 易センターまで歩いて行ける。
 愛くるしいR嬢はまだ22歳。かつて交換留学生として京 都にいたとき少し尺八を教えた。今年ボストンの大学を卒業して、 憧れのニューヨークの銀行に就職した。彼女とデートしたとき、 私の姿を見つけて、走ってきて抱きついてキスしてくれた。 「あのね、ニューヨークって、すごい町なのよ。銀行の仕事は 忙しいけれど、すごく面白い。私の銀行はウォール街にあって、 世界貿易センターのすぐ近くなのよ」
 ロックミュージシャンBはマンハッタンからイースト川を隔 てたブルックリンに住んでいる。いつも偉そうに「オレは有名な 音楽家なんだぞ」とうそぶいているが、私はロックのことは知 らない。だから「オマエが有名?ははは」と笑い飛ばす。美しく て楽しい奥さんはスリランカ人。理学博士で蚊の専門家だという。 最近なんとかナイル病という蚊を媒体とする恐ろしい病気が流 行しかけているので、ニューヨーク市の専門職員として、蚊を 求めて毎日ニューヨーク中を歩き回っている。
 コンピューター技師Wは、マンハッタンの中でも閑静なアッ パーイーストサイド地区に住む。おとなしくて穏やかな人物。奥 さんもおとなしい。目の中に入れても痛くない一人息子のDは 中学生。川向こうの学校に毎日通っている。
*    *

 9月の初め、世界貿易センタービルは炎上崩壊した。
 私はニューヨーク中の友人知人に片っ端からEメールを送っ て、安否を問い合わせた。それから続々と返信メールがあり、 私の友人知人は「全員無事」だったことが判明した。
 3百万ドルのMは、自宅周辺のあまりの大混乱に呆然として、 「起こったことが、頭の中で整理できない」と言う。
 R嬢の友人だという女性からEメールがあり、「45分前 にRから携帯電話があった。彼女は無事だ」と知らせてきた。 目の前で世界貿易センターが崩壊し、度肝を抜かれているとこ ろへ、彼女が働いているビルも危なくなって、避難命令が 出た。あとは大混乱、ミッドタウンのアパートにたどり着くま で、ほうほうのテイだったという。同僚の中には「もう二度と ダウンタウンへは行きたくない」と言って会社を辞めた者もいる という。
 ロックミュージシャンBはマンハッタンに出かけた奥さんが 心配で、歩いてブルックリン橋を渡ろうとした。しかし警官に はばまれ、仕方なく川辺で対岸のマンハッタンを眺めた。そこ で世界貿易センターが崩壊するのを目撃した。ブルックリンで も人々が路上にあふれて、叫んだり泣いたりしていたという。 奥さんは、やがて歩いて家に帰ってきた。
 コンピューター技師Wの家は、事件があったダウンタウンから 遠く離れているので、当然無事だった。けれども、マンハッタ ンに通じる橋がすべて封鎖されたので、一人息子Dが学校から 帰れず、迎えに行ったら戻って来れなくなるので、迎えにも行 けず、しばらく離れ離れの生活を余儀なくされた。
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 読者おなじみの尺八演奏家ラニー・セルディンのアパートは ソーホー地区、やはり大混乱を極めていた。彼はボランティア として救出活動への参加を希望したが、持病の心臓病がすぐれ ず、体力的に無理だとされた。しばらく悶々としたけれど、や がて当局から「贈物」をもらった。ニューヨーク中どこへでも 自動車で走れる特別許可証という贈物。彼はその贈物を持って、 奥さんと交替で、救援隊や被害者の家族の人たちを輸送する活 動を始めた。
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 事件当日の夜、ラニーはニューヨーク中の尺八吹きにEメー ルで、「今夜は各自自宅で心を込めて尺八本曲<盤渉>を吹く ように」と指示した。ほぼ全員の尺八吹きが彼の指示に素直に 従い、阿鼻叫喚のニューヨークの町のあちこちで、尺八の音が 人知れず静かに流れた。

(第6話終)