「邦楽ジャーナル」2001年8月号掲載

<続>異国見聞尺八余話 (3)

カネに恨みは数々ござるぞー

倉 橋 義 雄

 カネに恨みは数々ござるぞー。私のようなビンボー尺八吹きは、 考えることと言えば、寝ても醒めてもカネのこと。億単位のデ ッカイ話ならば許せもしようが、聞くも恥ずかしいハシタ金に目 の色変えて、青春時代の清らかな夢はどこへ行ったの?と自問 自答、ジクジとすることしきり。
 求めよ、さらば与えられん、とは西洋の聖句。なるほど西洋 では遠慮謙譲は美徳ではない。正当な権利を堂々と主張する、 それが西洋では美徳なのだ。よしオレも自己主張するぞ、と意 気巻いていたら、イスラエルからの国際電話。某交響楽団の記 念演奏会で尺八を吹けという依頼。イスラエルに3週間滞在し て、演奏会に5回出演して、ギャラは千ドル(10万円)だと。 じょ冗談じゃないすよ。3週間で10万円って、どうして妻子を 養うの? ムム自己主張だ、権利の主張だ、と焦るは気持ちば かり、どうしても口から言葉が出ない。返事はまた改めて、と 言うのが精一杯。ああ情けないぞ。でも、あの噂のユダヤ人、 世界に冠たる商業文化を育んだ凄い連中相手の交渉に、このオ レが勝てるわきゃないぞ、と初めからヘッピリ腰。
 テルアビブの日本大使館に国際電話して、あのーイスラエル 人の平均所得は?とまずは情報収集。そしたら平均月収10万円 以下だと。これはヤバイ。これじゃ何十万円も要求できないで はないか。電話に出た女性書記官は聡明な人、私の意図をピン と察し、こちらで10万円は大金ですが日本ではハシタ金、困り ますよね、だから貴方個人の責任でしっかり交渉して下さいね、 頑張ってね、と暖かくも冷たくもあるアドバイス。
 交響楽団に恐る恐るFAXを送り、貴国の経済事情も分かる が日本の物価水準も理解してほしい、せめて2千ドル(20万 円)いただけないか、と打診したら、5分後に返信FAXあり、 あっさりOKだと。ちょっと拍子抜け。その後、私が個人的に 諸財団とかけあって合計40万円ほどの助成金を得、交通費と 滞在費は向こう持ちだから、これでまずまず、という次第でイ スラエルに向かった。
 半年後、ニューヨークで某ユダヤ系アメリカ紳士が私に話し かけてきた。「貴方のイスラエルでの演奏、ユダヤ人として感謝 する」「どういたしまして」「ところでちゃんとカネもらった?」 「2千ドルもらったよ」「2千ドル?ちゃんと交渉したの?」「したと も」 私がテンマツを説明したら、その紳士シブい顔をして、「貴方 は交渉というものを知らない」ときた。「相手が千ドル提示したの なら貴方は10倍の1万ドル(百万円)要求すべきだったぞ」「ぎ ょっ1万ドル?」「交渉はそこから出発するのだ。たった5分で OKの返事をもらったなんて笑い話にもならぬぞ」「私はソンし たのか?」「ソンどころか、相手はその交渉で貴方の音楽家とし ての格を探っていたのだぞ」「カク?」「そう、カクだ、小沢征爾 が2千ドルでイスラエルへ行くか?結局貴方は2千ドルの音楽 家として格付けされた」「そんなこと、なぜ貴方に分かる?」「ふ ふ、吾輩はユダヤ人である」
 私は悟った。私には金銭を交渉する資質がない。そう言えば 中国人音楽家の金銭交渉技術にも舌を巻くばかり。あつかまし く、執念深く、とうていマネできない。ようしこのオレも、一 衣帯水同文同種じゃーと意気込んでみても、所詮トウシロウ。
 もう一つ悟ったことは・・・・ユダヤ人や中国人が交渉する姿は 美しくもあるが、オレが交渉する姿はただ醜いだけ・・・・という こと。同じように「1万ドルくれ」と言っても、彼らが言うと、 文化であり伝統であるが、私が言うと、守銭奴のガリガリ亡者 のタワゴトになる。つまり歴史的文化的背景が違うのよ。
 最終的に悟ったことは・・・・オレはオレがいちばん美しくある 方法を選ぶ・・・・ということ。つまり決して交渉しないこと。交 渉どころか要求すらしないぞ。金銭は、すべてこれ御布施、皆 さまの御志次第でございます。
 このこと、国外でも国内でも、私は徹底して実践している。
 「尺八を演奏せよ」「かしこまりました」「ギャラはいくらほしい か?」「いくらでも結構でございます」「えっ、そんなことを言う 演奏家は聞いたことがない」「すべて御仏の御心のままでござい ます」「おお、なんと美しい」
 とくに西洋人は私の態度に面食らうらしいが、交渉しなくて も要求しなくても、結局しかるべきギャラは頂戴している。世 の中すべて善人と言うべきか。ギャラは多すぎず少なすぎず、 ほどほどに。変わらないのは、私のビンボー生活だけである。

(第3話終)