「邦楽ジャーナル」2001年7月号掲載

<続>異国見聞尺八余話 (2)

ゴールデントライアングルで
尺八を吹かなかったわけ

倉 橋 義 雄

 黄河、メコン、ガンジス、ナイル、アマゾン・・・・大河を思う と、私はうっとりしてしまう。我が身を大河の水に浸し、壮大 な自然と歴史に対峙し、人生を賭けて尺八を吹いてみたい・・・・ それは私の長年の夢だった。
 意を決したのは1993年春。黄河やガンジスで吹くだけの度 胸はまだなく、メコンが手頃と考えた。ゴールデントライアン グルで尺八を吹こう! 私は灼熱のタイに向かった。
 喧噪の黄金都バンコクで私の心は高ぶり、この旅を人生の転 機だと思った。そして考えた・・・・尺八本曲は厳しい音楽だと言わ れるが、実はそうではない。微温的な環境に甘えて厳しいふり をしているだけだ。優しく聞こえる他のアジア諸民族の音楽の 方が、実は根元的な厳しさを持っている。だが本曲だって箏曲 だってアジアの音楽だ。アジアの音楽が持っている根元的な厳 しさを潜ませているに違いない。それを表現できないのは演奏者 を取り巻く自然的社会的環境のせいだ。壮大な環境の中で尺八 を吹くとき、尺八は変わり、演奏者もまた変わるに違いない。
 ところが、せっかく高ぶった私の心が、タイ北部の中心都市 チェンマイで冷めてきた。そこは愛すべき町、全てが穏やかで 微温的だったのだ。人々は微笑を絶やさず優雅、少女達の愛く るしさは心が乱れるほどだった。うーむ、こんなはずでは ・・・・
 釈然とせぬまま、チェンライ行きの長距離バスに乗った。バ スは急斜面を登りつめて山岳地帯を走った。赤土の丘陵が連な り樹木は疎らな荒涼たる風景。赤い砂塵が巻き上がっていた。 原色の民族衣装をまとった山岳民の女達が、荷を背負い砂塵の 中を歩いていた。全く見慣れぬ風景だった。にもかかわらず、 私は微笑んでいる自分に気づいた。そして悟った。私は今、母 の胎内に戻っているのだ。切ない懐かしさを伴う風景・・・・ここ は私にとって母の胎内・・・・私の前世は、きっと・・・・
 急停車の衝撃で我に返った。武装警官がバスに乗り込んでき た。警官は銃を持ち、乗客を一人ずつにらみつけ、バスの中を 厳めしく点検した。私には「外国人だな? パスポートを見せ ろ」と命じた。何の為の検問なのか分からず、得体の知れぬ緊 張感がこみあげてきた。ここはゴールデントライアングル。タ イ・ビルマ・ラオス三国が国境を接し、多様な山岳民が入り乱 れ、世界最大のアヘン産地と言われる秘境。やはりこの不気味 な緊張感はタダモノではない。
 チェンライの宿は小川の辺にあった。客は私だけ。野原には 真赤な花が咲き乱れ、鶏が遊ぶ、長閑な静かなところ。野原の向 こうから何と日本語が聞こえてきた。無線電話で話す声。「行 方不明だった○○さんは、本日チェンライ市内で遺体で発見さ れました」・・・・私は部屋に戻り、ドアに鍵をかけた。
 穏やかな宿主が「トラックで三国国境へ行きましょう」と誘ってく れので、私は喜んで同乗した。
 まず宿主は私を山岳民の村に案内した。電気も水道もなく観 光地でもない正真正銘の山岳民の村。簡素であることの清潔さ と、村人の穏やかなまなざしに、私はうっとりした。
 タイ最北端の町メーサイには小川が流れていた。対岸はビル マ。長閑そのものなのに、兵士達は厳めしい顔をしていた。長 閑さと厳めしさ、この辺には不均衡な印象がつきまとった。
 いよいよ三国国境へ。その道は私達のトラック以外に走るも のはなく不気味だった。崖の上に人影が見えた。山岳民の男が 私達を凝視していた。その目は、異様に鋭かった。本当にさっき の村人の仲間なのか? 宿主は不自然に無口になった。私は思 わず尋ねた。「ここは危険なところか?」「貴方には、安全で す」・・・・私には? どういう意味? ・・・・「部外者」という言 葉が頭に浮かんだ。ここでは私は部外者。いてもいなくてもい い人間。穏やかで微温的と見えるこの辺も、実は壮絶な修羅場 なのかもしれない。何かを感じる。しかし私はただの部外者。
 観光バスが登場した。場違いな観光客。軒を並べる土産物屋。 「三国国境です」宿主はトラックを止めた。大きな川が悠然と 流れていた。メコンだ。私は観光客を嫌い、小高い丘に登った。 そこには寺院の廃墟があった。メコンの壮大な風景が私の目に 飛び込んだ。息を呑んだ。しかしそれは、私とは全く関係がな い異次元の風景だった。
 私に安らぎを与えつつ、そのくせ部外者であることを思い知 らさせた、穏やかでしたたかな人達。この風景。ここで尺八を 吹くのは・・・・「この次にしよう」

(第2話終)