「邦楽ジャーナル」2000年9月号掲載

異国見聞尺八余話 (12)

<尺八異人伝>
マーサ・ファブリックの巻

倉 橋 義 雄


マーサ・ファブリック

 「異国見聞尺八余話」、いよいよ最終回を迎えた。読み返し てみたら、駄文の連続、余りの軽佻浮薄さに我ながら呆れてい る。でもそれは、編集長・田中某氏の「軽妙に」という注文に 忠実に従ったからのこと、決して私の本性が軽佻浮薄ではない ことを、読者諸賢はご理解いただきたい。しかるに最近「あの 倉橋という人、軽薄やねー、アホとちゃう」という声が聞こえ てきたりして、憤慨している。どこがアホやねん。しからば、 最終回は重厚理知的に筆をすすめてみることにしようか。
 さて<尺八異人伝>で紹介した異国の尺八吹きの面々、男性 ばかりになったが、これには他意なく、たまたまそうなっただ けのこと。異国には「尺八は男の楽器」とかいう軽佻浮薄な偏 見はないから、女性の尺八吹きはゴマンといる。だから最終回 は女性に登場していただこう。
 マーサ・ファブリック。年齢は聞かない。アメリカはフロリ ダ生まれ。生粋の南部人。穏やかな、すてきな女性である。こ の人の魅力は、すべてにムリがないこと。生き方から日々の生 活まで、すべてがアメリカ南部の陽光のように、穏やかで素直、 それでいて輝いている。だから、この人が尺八を吹くときも、ま ったくムリがない。ごく素直にスーッと吹く。それでいて音が 輝いている。あの難しい「乙のロ」でも、ごく自然にブォーッ と出してしまう。でも、自慢しない。それもそのはず、それが 難しい音であるということを、彼女は知らないのだから。自然 に素直に吹いたら、出ちゃった。それだけのこと。
 アメリカの女性尺八奏者の中ではトップクラスだと、私は思 っている。決して聴衆をうならせるような肩ひじ張った演奏は しない。あくまでも自然で素直。うまいということすら感じさせ ない。でも、うまい。
 この人、本来はフルート奏者だ。フロリダ州立大学で学んだ。 そこで師事したのが、あのデール・オルセン教授。かつて本欄 で紹介した「プロ中のプロ」フィル・ゲルブに尺八を教えた人 である。本来はフルートの先生であるオルセン氏は、学生のマ ーサに尺八を吹くことを勧めた。そこで彼女は、勧められるまま、 何の気負いもなく、ごく素直に尺八の練習を始めたのだ。日本 文化に心酔したわけでも尺八の音に衝撃を受けたわけでもなく、 勧められてさりげなく・・・・
 その後、彼女はボルダーのコロラド大学などでさらにフルー トを磨きあげ、現在はテキサス州サンアントニオの大学でフル ート科の助教授をつとめている。サンアントニオと言えば、かの アラモ砦で有名なところだが、それはいまはどうでもいいこと。
 さて、この人、演奏者としても華麗な経歴の持ち主で、主と してアメリカ南・西部で活躍しているが、面白いのは本業のフル ートにあまりこだわっていないこと。乞われるままにピッコロ を吹いたり、はたまたリコーダーを吹いたりもしている。だか ら、その中に尺八が登場しても、何の違和感もないわけだ。実際、 「フルートと尺八」と題したソロリサイタルを、さりげなく開 いている。
 このさりげなさが、たまらなくかっこいい。フルートを吹い ても尺八を吹いても、その演奏態度にまったく変わりがないの だ。曲目によって使う楽器を変えるだけのこと。演奏のあとは、 キョトンと可愛い顔をして、大学の助教授だとは思えない。
 おそらく彼女は尺八を日本の楽器だとは思っていないのだろ う。もちろん知識として知ってはいても、彼女には国籍なんか どうでもいいことなのだろう。琴古流本曲「巣鶴鈴慕」を吹い ても、彼女は彼女の音楽を吹くだけで、誰のマネもしない。彼 女はアメリカ人だから日本人のマネはしないし、女性だから男 性のマネもしない。でもそのほうが、聴衆を魅了するすてきな 演奏ができるのだ。
 思うに、ほとんど日本とは無関係に勉強できたことが、彼女 の尺八をのびやかなものにしたのだろう。師のオルセン氏も、 何とブラジル人から尺八を習ったということだ。
 日本で揉まれて、肩ひじ張って人のマネをして生きてきた私 には、彼女の姿はまぶしい。
 私も彼女を見習って、さりげなく生きよう。もう肩ひじ張ら ず、人のマネせず、いつもニコニコ世界の子、自分が尺八吹き であることも忘れちゃえ。
 そうすれば、人は私のことをこう言うだろう・・・・「あの倉橋 という人、尺八も吹くの? けっこううまいじゃん。おまけに ハンサムで、かわいいー」
 重厚理知的な最終回、終わり。

(第12話終)