「邦楽ジャーナル」2000年4月号掲載

異国見聞尺八余話 (7)

寒稽古

倉 橋 義 雄


大西洋の岩場で寒稽古にはげむ筆者

 明治生まれの父からは、ほめられたことがない。口癖のよう に「近ごろの若いモンは」と私たちの軟弱さを嘆いてばかりだ った。「冬の夜は、物干台で寒稽古に励んだものだ。それなの に近ごろの・・・・」
 軟弱世代の私とて、カンゲイコに励んだことくらいある。私 が勉学にいそしんだことになっている関西の某大学は、オンボ ロ学舎で有名で、クラブ室には暖房とてなく、歪んだ窓からす きま風が吹きすさぶ、それはそれは寒いところだった。やむを えず私たちは電熱器にヤカンをのせ、その湯気に手にあてて尺 八の練習をした。湯気の奪い合いでケンカになったこともある。 つらい練習だったけれど、確かに寒稽古が効果的な練習法であ ることを、私たちは体験的に学んだ。寒稽古のお陰で、こんに ちの私という優秀な人材がある。
 寒稽古の効果はふたつある。ひとつは、寒さに耐えて強靱な 精神力がきたえられること。もうひとつは、かじかんだ指をム リヤリ動かすことによって、運指を強制的になめらかにするこ と。つまり、心身共にいいことづくめ、一流の演奏家になりた ければ、冬の寒稽古は避けて通れない。
 そこで私は、初めて厳寒期のアメリカを訪れたとき、「超」 寒稽古に挑戦してみることにした。そうすれば、なみの寒稽古 では得られない超効果があるはず、つまり超一流の演奏家にな れることは火を見るよりも明らかだった。
 ときは2月、ところはコロラド州ロッキー山の中腹、おあつ らえむきに風雪吹きすさび、氷点下20度だか30度だか知ら ないが、鼻と耳たぶがギリギリ痛んだ。「やめろやめろ」とい う友人の忠告も、これで超一流になれるうれしさに馬耳東風、 私は2尺3寸管を手にとり、風雪よ聞けとばかりに本曲「虚鈴」 を吹き始めた。この過酷な条件下での尺八の音色は、意外にも 清澄そのもの、「ツー、ツレー、チョーイチリュー」という響き には甘い色気さえ感じられた。私は自分の音に酔い、バラ色の 将来を夢見た。
 ところが、である。まだ5分も吹いていないというのに、鼻 ・耳ばかりか指先までが、まるでマンリキでしめられたみたい に猛烈に痛みはじめた。ここが超精神力の勝負どころと、私は 悲愴な覚悟を決めたが、まもなく限界が来た。10本の指が、ま るで生コンの中を動くみたいに動作緩慢となり、やがてガチッ と尺八に張りついたまま動かなくなった。見れば、手のひら全 体が紫色になっていた。
 友人のログハウスにころがりこんだら、奥さんが「どうして こんなバカなことをしたの」と首をかしげながら、私の手を握 りしめ、湯をわかしてくれた。甘くせつない挫折だった。
 しかし、これでへこたれないのが、私の偉大さであり、超一 流への強い願望であった。私は飛行機に乗り、東に向かった。 めざすはマサチューセッツ州の荒磯。海風には耐えてみせよう と決意したのだ。
 ボストンから自動車で2時間ばかり走ったところに、見るか らに尺八向きの荒磯があった。適当な岩場に足をふんばったら、 広大無辺の大西洋が視野いっぱいに広がった。私は感嘆したが、 その風の冷たかったこと。天気晴朗なれど波高し、氷雪はなか ったが、風のせいで体感温度はそうとう低かった。
 私は帽子を深々とかぶり、まず耳を保護し、ついで指先を切 り取った尺八用の手袋で手のひらを保護した。これで完全装備 完了。もう寒くはない。
 また2尺3寸管を手にとって、「虚鈴」を吹こうとしたが、指 先部分を切り取っていても、手袋をはめたまま尺八は吹けず、 やむをえす手袋ははずした。不吉な第一歩だった。
 素手になると演奏に支障はなくなったが、吹きすさぶ風のせ いで、その音のわびしかったこと。「ウリー、リウー、ニリュ ー、サンリュー」と、吹くほどに意気が消沈していった。
 こんなことをして何になる、という根本的疑念が生じたとき、 まさにその瞬間、ドヒューンとものすごい突風が吹き、冷たい ものが私の全身に襲いかかってきた。バシャーン、ザザッー、 私はずぶぬれ、その冷たかったこと、しょっぱかったこと。歯 の根があわなくなり、尺八を吹くどころの騒ぎではなくなった のに、丘の上で私を見ていた付近の漁師達は、たき火を囲んで 大笑いしていた。
 教訓、寒稽古というものは、気候温暖な日本の風土に適した 練習法である、ということ。無理をしてはいけない。

(第7話終)