「邦楽ジャーナル」2000年3月号掲載

異国見聞尺八余話 (6)

<尺八異人伝>
フィル・ゲルブの巻

倉 橋 義 雄


フィル(右)と筆者(左)

 プロとは何か?というアンケート調査を、かつて本誌が実施 したことがある。多くの人から回答が寄せられたが、結局、私 にはよく分からなかった。プロって、いったい何?
 悩んでいたら、とんでもない人物が登場して、ますます分か らなくなった。
 その人の名は、フィル・ゲルブ。アメリカ・カリフォルニア 在住。職業は尺八演奏家。尺八の腕前は、はっきり言って、い まいち。しかし、それでも彼は尺八でメシを食っていて、他の 仕事はしていない。それもそのはず、彼は「尺八だけでメシを 食うぞ」と決心して実行しているのだから。生活はきわめて苦 しいが、彼はかたくなに初志を貫徹している。高いギャラを取 らない奴はプロではないと放言した方がいらしたが、それでは 彼はプロでないと言えるの?プロでなければ、いったい何?
 以下は私と彼との一問一答。
<Q>いつ、どこで生まれたか?
<A>1965年、ニューヨークで生まれた。
<Q>どのようにして尺八と出会ったか?
<A>子供の頃、香港製のカンフー映画の中で、初めて尺八の 音を聞いた。日本のサムライが何か劇的なことをしようとする ときにバックに流れる悲しげな音、というのが私の尺八に対す る最初のイメージだ。
 23歳、フロリダ大学で人類学を学んでいたとき、横山勝 也氏の古典本曲のレコードを聞き、たちまち私は尺八のとりこ になった。その音色に魅了され、微分音とか無拍子とか、西洋音 楽が前衛的に追究してきた要素が、すでに尺八音楽の中に存在 していることに驚いた。
 フロリダ大学にデール・オルセンという尺八専門の教授がい たので、私は彼に入門した。
<Q>なぜ尺八でメシを食おうと決心したのか?
<A>私にとって音楽とは、何ものにも替えがたい愛情と情熱 の対象なのだ。だから尺八を選んだのなら、それに専念したい し、また専念するべきであると考えた。
<Q>尺八だけでメシを食っていくことは、日本では難しい。
<A>アメリカでも難しい。
<Q>失礼ながら、どのようにして収入を得ているのか?
<A>初心者の弟子をたくさん持っている。最近プロの音楽家 が何人か、尺八に興味をもって入門してきた。けっこう有名な 人もいる。また、いろんなパーフォーマンスにも出演している。
 私は質素なライフスタイルを守っているので、金もうけする 必要がない。しばられるのがイヤだから、結婚もしていない。
<Q>尺八のプロになって、うれしく思うことは何か?
<A>尺八を吹けること自体がうれしい。また、いろんな分野 のすぐれた音楽家と共演できることは、刺激的で、ギャラ以上 の価値がある。ポーリーン・オリベロス、ジョー・マクフィー、 クリス・ブラウンらと共演できたことに、心から感謝している。
<Q>尺八のプロになって、苦しく思うことは何か?
<A>音楽産業とのつきあいと、創作音楽につきまとう不合理に 悩まされること。
<Q>次元の高い悩みだ。さて、将来の希望を述べよ。
<A>尺八がうまくなりたい。11年間も尺八を吹いてきたの に、私はまだ初心者だ。日本へ行って、倉橋義雄氏と古屋輝夫 氏に集中的に習いたい。
<Q>ほかの尺八プロのことをどう思うか?
<A>畏敬している。私は新参者に過ぎないから。一昨年コロ ラドでの国際尺八音楽祭に参加したのは、いい経験だった。日 本の超一流の演奏家や欧米の優秀な演奏家に、初めて出会った。
 疑問に思ったのは、多くの欧米人の尺八演奏家が、保守的で、 彼らの先生より以上に日本的だったことだ。異文化をサルマネ しようとする彼らの態度が、私には理解できない。
<Q>ほかに言いたいことは?
<A>私は尺八本曲を愛しているが、それを勉強しているあい だは、尺八は私の体の一部分にはならない。私は日本人ではな いのだから。東欧移民者の子孫として、やはり新しい尺八音楽 を創造し、私のルーツたる西洋楽器との融合をめざさなければ ならないと思う。21世紀の尺八音楽は、まちがいなく、い ろんな方向をめざし、さまざまな形に姿を変えて、進んでいく ことになるだろう。多くの非日本人たちが真剣に尺八を学び、 教え、彼ら独自の尺八音楽をはぐくみつつあるのだから。いや あ実に面白い。
<Q>あなたは立派な尺八プロです。がんばってください。

(第6話終)