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その2・悪夢のトン・クン・ストリート 【TEXT TOP】
〜GoodMorning,Vietnam!

「ファングーラオ通り」
・・・サイゴン教会より南西にそびえ立つこの通りは、古来よりトン・クンという二匹の悪霊が住み往来する人々に災いをもたらすとされてきた。
かのベトナム戦争の折、この悪霊を恐れたアメリカ政府が軍に洗礼義務を課したことはあまりに有名である。
そして南ベトナム人はこの通りを畏敬の念を込め、この通りをこう呼ぶという。 −「トン・クン通り」
                   −民明書房刊 「鉄拳ホーチミン」より

ベトナムの朝は早い。 オカマの衝撃も覚めやらぬ午前7時に俺達は目覚めた。
天気は快晴。あまり具体的な計画を立てずに異国に乗り込んだ俺達はまず、大まかな旅行プランを練ることにした。
そして夏・海・ギャルの三段論法に未練たらたらの我々は、とりあえず中日よりベトナム最大のリゾート地・海岸沿いの町ニャチャンに向かうことにした。
そして実質的に滞在初日である今日はこの大冒険の舞台となるホーチミン・シティの全体像を把握しようということで一致した。
要は観光だ。

しかし、ただ歩いて観光をしたのではパズーの名がすたるというもの。
冒険心あふれる俺達は何とバイクをレンタルして町を滑走するという作戦を思いついてしまった。
すなわちベトナムでは中国における自転車と同じように通りはバイクの群れで満ち溢れている。そこで俺たちもその仲間入りを果たそうというわけだ。
しかしその計画を遂行するには一つ大きな問題があった。
免許である。愛車FITすらろくに運転できない俺とペーパードライバーのハヤブサが国際免許など持っているはずはない。

そこで俺達は何を血迷ったのかスラム街でイリーガルにバイクを借りようということで一致した!
幸いなことにこの日ハヤブサ氏はでかい浮世絵がプリントされたTシャツを着ていたため、観光客をカモろうとするスラム街の住民達から大人気であった。

そんなスラム街からの使者にまぎれて、奴がいた・・・

彼の名はトン。
小太りで日本語は達者である。
奴は足音も立てずに俺たちに近づいてきた。
彼の話によると彼の店では無免でも安値でバイクを貸してくれるそうだ。
一寸悩んだ俺達。
しかし他にいい話もなかったこともあり、正直者の俺達は言われるまま彼についていくことにした。

そしてたどり着いたところは、人気の少ない通りであった。
標識をみると「ファングーラオ・ストリート」とある。
彼の店には他に細身のベトナム人(トンの兄・クン)と謎のイギリス人がいた。

やがて交渉が開始された。
まず彼らは「トン・クン最高」等の胡散臭い日本語の感想が書かれた奇怪なノートを取り出し自分達の信頼性をアピールしてきた。
さらに謎のイギリス人までもが彼らがいかに正直であり、いかに立派であるかを熱く語りだした。

「やばいなこりゃ・・・」
俺達は即座にそう思った。
しかし日本では貧乏学生である俺たちも、物価が極端に安いここベトナムにおいては城戸沙織並みの金持ちである。
さらにこの時点で既にバイク=冒険の方程式が確立されていたこともあり、俺達は「ぼったくられてナンボ」ということで意見が一致した。

かくして契約は締結された。

俺たちに渡されたものは、見るも無残なオンボロ・バイク。
料金は無論、前払いである。

さらにあろうことか、トン・クンはこのバイクの担保に俺たちのパスポートを要求してきた!
どうやらこの胡散臭いベトナム人が俺たちを疑っているのだ!!バイクを持ち逃げすると!

この時点で彼らは悪霊たる地位を与えられた。
さらに謎のイギリス人はもはや売国奴といっても過言ではあるまい。

そうこうして俺達は渋々、パスポートを預けファングーラオを二人乗りバイクで駆け抜けていった。逃げ出すように。
そして5分後、案の定ガソリンが空っぽであることが判明した!
もちろん自費で補充だ。ちなみにベトナムではガソリンは非常に高価である。
しかも勝手に満タンにされたるという、ナイスぼったくられっぷりである。
しかし、それでも無事バイクをゲットした俺達は歩いて観光をしている日本人たちを尻目にバイクにのってホーチミン市内に突入していった。
大冒険を求めて!


 バイクにまたがり興奮を抑えきれない若人の図         ホーチミンポーズ開発中

続く

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