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無限懲罰房 第2話 【TEXT TOP】

「それで、件の…いわれのない苦情が来るというのは?」
「ああ、ちょっと待っとくれ。そこに座っててくれや」
私が切り出すと、女将は食器を洗いながら側にある食卓とイスをアゴで指した。つい先程誰かが食事を済ませたのか、
食卓の上には白飯、味噌汁、煮魚、菜っ葉のおひたしなどの食いかすが残っている皿がのっている。
銭湯からは相変わらず複数の激しい怒声が聞こえてくる。
いくら元が刑務所だったからといって来客を全く想定していない下宿の粗末な内観に半ば呆れながら、私は座り心地の悪いイスに腰掛けた。

やがて皿洗いを済ますと、女将はお茶をいれて私にすすめた。
「晩飯の残りの煮魚もあるけど、食うけ?」
「いや結構」
御世辞にも綺麗とは言えない食堂の乱雑っぷりは言わずもがな私の食欲を促すに程遠い。
「早いとこ話を聞かせてもらおうか」
「ああ、分かった」
しばしの沈黙。時計の針は23:36を指している。
「実はな…何と言っていいやら」
女将はやけに勿体ぶった口調でため息をついて続けた。
「この建物にな、この建物の真下にな、化け物が住んでるんだよ」
「何、化け物?」
あまりに突拍子もない女将の言葉に私はしかめっ面をしながら女将の顔を覗き込んだ。
再度ため息をついて女将はポケットからタバコを取り出し火をつけた。
「…共同スペースの食堂で、いいのか?」
私は壁の「禁煙」の張り紙を指差した。
「ケッ、そんなもんここの連中は誰も守りゃしねえよ。張り紙が黄ばんでるのはヤニのせいさ」
女将は苦笑いをしながら“化け物”の話を始めた。

「まあアンタがそんな顔するのも無理はねえ。人類が火星に移り住んでクローンで自分の分身をいくらでも増やせるこの御時世、
化け物なのは他ならねえあたしら人間なのかも知れんのだからな。あたしがアンタの立場でもバカこくんじゃねえと言い飛ばしてただろうよ」
「まあまあ、話は最後まで聞こうじゃないか」
「む、そうだな」
女将は少し間を置いて大きくタバコをふかした。
「3ヶ月ぐらい前になる。ある日の晩突然この建物の真下あたりから、巨大な木槌か何かで床を思い切りブッ叩かれるような音と振動が鳴り響いた」
「ほう」
「その時は結構大きめな地震だろうと思って、誰もが気に止めなかったんだ。特に何かの被害こうむったワケでもなかったしな」
銭湯が静かになった。恐らく入浴していた全員が風呂から上がったのだろう。浴室では窓ガラスが割れているであろうというのに、
女将はそんな事は全く相手にしないといった様子で話を続けた。
「しかしその次の日もまたその次の日も、再三同じ音と振動が鳴り響いた。住民の一人が引きつった顔で言ったね、
これは地震なんかじゃないって。ま、あたしも他の連中もそいつが言う前にそんな事ぐらい分かっていたけど、
みんな口に出してもどうしようもない事を分かっていたのさ」

突然、食堂の出入り口の引き戸が開いた。髪がボサボサでメガネをかけたパジャマ姿の不健康そうな20歳前後の少年がけだるそうな顔をして立っている。
私個人の印象であるが、いかにもガリ勉タイプで虚弱体質といったその少年はコワモテ揃いであるこの下宿の住民とはとても思えない。
「なんだい、サイダーだったらとっくに切らしてるよ。さっさと部屋に戻って勉強しな」
「ゲヘヘ、休憩休憩」
少年は食堂に散乱している弦が錆びきった小汚いフォークギターと週刊誌を手に掴むと、自分の部屋へと戻っていった。
「4浪中の受験生でね。勉強も働きもしないで下らない弾き語りばかりやってるどうしようもないバカさ。
何かにつけて食堂へやって来ては菓子やジュースにたかろうとする」
心底蔑むような口調で女将は言った。

タバコを一本吸い終わるまで女将が話を中断している間に、やがて先程の少年の部屋と思しき方向から
リズムと調律が狂いきったギターの音と音痴な歌声が聞こえてきた。
音楽にあまり詳しくない私でも、彼には音楽の才能など微塵もない事がハッキリと分かった。

続く

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