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退 屈 な 人 へ 第26回定期演奏会より 2002.6.22
今年の2月,生まれて初めて外国に行った。これまでにも何度か機会があったが忙しさと,貧困でこの歳になるまで日本から外に出ることはなかった。それが今回,関係者のご尽力により実現した。とりわけK氏には現地との打ち合わせ,移動や演奏に関することに至るまでお世話になった。
出発は名古屋空港で,その国際線は初めて。到着して驚いた。ほとんどが横文字でどこで何をして良いのやら皆目見当がつかない。案内所で聞くが意味不明。困惑しているところにK氏が登場して安堵。
異国の文化をこの体で直接感じることができると思うと胸がときめく。当然機内で眠ることなどできない。隣のK氏はシートベルトをしたまま爆睡,1年に何度も外国に行ってる彼にとって機内は格好の安息地なのだろう。
機内食を食べ終えたらアッという間にタイの飛行場に到着した。南国の地だけに通路やロビーを飾っているのはデンファレやバンダなどの欄である。思わず立ち止まりしばし時を忘れてしまう。入国手続きを済ませ玄関を出るとカメラとビデオのフラッシュで戸惑った。現地ホーワン高校の校長先生をはじめ,関係の方々の熱烈な歓迎を受け,初めて異国の地に降り立った。
以前からタイの高校と交流のあるK氏は,流ちょうな英語で再会を喜び情報の交換をしているらしかった。ところが私は,握手と最上級の笑顔で対応する事しかできない空しさと懸命に戦いながら,耐えることしかできない。
2月の日本と30度を超えるタイの暑さは予想以上に大きかった。(名古屋ではその時に雪が舞った)日本車のワゴンに乗りバンコク市内に向かった。ところが私が期待していた異国の文化とは裏腹に沿道の看板はソニー・ナショナル・トヨタ・日産など日本企業の看板ばかりが目に付く。道路の整備もされ高速道路も日本と同じである。私の想像とはずいぶん違っていた。
噂には聞いていたが,凄まじいまでの渋滞である。日本のお盆や年末年始の渋滞を思わせるような混みようである。その渋滞を縫って花やアクセサリー・新聞を売り歩く人がいてなぜかホッとした。
ホテルについて冬服から半袖の夏服に着替え,いよいよ私の苦手な歓迎パーティーだ。ホーワン高校の教職員や,タイ航空の役員,ジョイントコンサートに参加される関係の高校の方等,その歓迎に再び困惑した。念のためにと思っておみやげを余分に持ってきてはいたがそれでも足りない。言葉は全然分からないし習慣も違うので,何が何だか訳が分からない。K氏は相変わらず流ちょうな英語で多くの方と接している。こうなったらもう奥の手の笑顔と握手だ。顔の筋肉がけいれんしそうになるぐらい笑顔の大安売りだ。
プレゼントの交換が終わると,待ちに待った食事だ。辛いとは聞いていたがやっぱり辛い。生水も危ないと聞いていていたからビールだ。そのビールも以外にハイネケンで,日本と変わらない。二次会に行こうと何度も誘われたが,伏してお断り申し上げ,ホテルに戻った。
翌朝レストランの朝食は旨かった。みそ汁もあり日本のレストランとそう変わらない。ただフルーツの種類と味には舌を巻いた。あまりの美味しさにフルーツで満腹となった。 朝食を終えると本番会場の下見だ。ところが本番一月前というのに演奏会場が正式に決定されていない。本当に生徒を連れてタイに来られるだろうかと,とてつもなく大きな不安に駆られる。ところが現地の方はさして大きな問題と感じていないのが表情から伺える。時間の流れ方が日本とは違うようだ。
30度を超すうだるような暑さの中,候補となっている会場を見てみてまわった。ただ,コンサート会場といっても,少々勝手が違い,数ある中からセレクトできるといった環境ではない。それはタイ国内にプロのシンフォニーオーケストラはバンコクシンフォニーただ一つしかないとうから,容易に想像できよう。
3つほど会場を見てまったが,猛烈な渋滞と暑さは体力の消耗と判断力を著しく低下させるに十分で,10万馬力の気合いと根性を必要とした。当初は2000人収容できるタイのミスコンテストが開催される会場を考えていたが,設備や金額の折り合いがつかず大学のコンサートホールを借りることとなった。タイに来て良かったと安堵したが現地の人も安堵したに違いない。
会場が決まるとまたそのお祝いにパーティーだ。とにかく我々に対して最上級の歓迎をしてくれる。車で走ること1時間。川沿いのビアガーデンのようなレストランに案内された。水槽には川エビが沢山いた。どうやらそのエビを食べるらしい。
日本と同じようにウエイトレスが注文をとりにくる。言葉の通じない私は出されるモノを食するしか他に手がない。最初は全員ビールを飲んでいたのだが,彼らはすぐにボトルをキープしてウイスキーを飲みはじめた。タイ二日目ともなると多少は慣れてきたのか,ウイスキーだけは勘弁してもらった。
屋外では水割りと同じようにビールにも氷を入れて飲むらしい。これもタイの暑さから生まれた習慣なのだろうか。そんなに飲めない私はビールをちびりちびり飲んだ。ジョッキが汗をかき時間をかけて半分ぐらい飲んだところで追加の氷とビールが注がれる。先ほどの川エビもテーブルに乗せられ,勧められるがままに皮をむいて口に運んだ。熱帯特有の川の匂いがぷんと鼻を突いたが,ビールと共に食べた。彼らはビールを飲むような勢いで水割りを飲んでいく。アッという間に追加のボトルが持ち込まれる。相変わらず汗をかいたジョッキがお友達の私は,ビールをおちびりちびり飲んだ。間もなくパーティーは終わり,ホテルに戻った。
バンコク市内で目に付くのが野良犬と屋台である。野良犬といっても特定の飼い主がいないだけでタイでは手厚く保護されている。人間を見て逃げるような犬は一匹もいないどころか,人間以上に悠々と市内をかっ歩している。夜になると歩道はまるで犬に占領されているかのような有様だ。
いうまでもなく私を強く引きつけるのは屋台の方である。この屋台が実に多い。人の数より屋台の数が多いとも思えるほどなのだ。これで果たして採算がとれるのか心配なった。通訳に聞いてみると,彼らは利益を出そうとは思っていないので,その日食べる分だけ売れればそれでよいとのこと。
南国だから果物が多いのは当たり前だが,意外にもラーメンも多い。但し,日本のラーメンとは少し違い麺が細い。味付けも薬味も違い,砂糖を入れて食べるところが決定的な違いである。これが風変わりで,実に美味い。
大満足でホテルへ向かっている時,一瞬我が目を疑った。交通量の少なくなった道路を像が歩いているではないか。動物園でしか見たことのない像が,こともあろうに我々と同じ道路を歩いているのだ。改めてタイに来たのだ,と実感した。
翌朝,朝食の時間になってもお腹がすかない。何か変だとは思ったが,さして気にもとめずに朝食のためレストランへ行った。お腹はすいていないが食欲だけはあった。
そして,最後の打ち合わせに,受け入れ校のホーワン高校とコンサート会場へ行った。待つこと30分,我々とは時間の感覚が決定的に違うが,非常に親切で頭の下がる思いでコンサートに向けて急ピッチに準備を進めることができた。
ところが昼食時になっても一向に腹が減らない,それはK氏も同様だった。珍しく食欲もない。きっと食べ過ぎたのだ,と二人で昼食を抜くことにした。
しかし,タイでの下見を終えた夕方から体調の崩れが現実のものとなった。激しい嘔吐と下痢だ。その時に脳裏をかすめたのがビアガーデンのビールだ,氷が解けた頃を見計らって飲んだのと結果的に同じだ,と。もしかしたらあのエビも?活きエビだから火の通りは今ひとつだった。きっとそうだ。
最後の晩餐で失礼とは思ったが,トイレとの往復ではパーティーに出席もできず,我々を空港まで送ってくれるために手配されたワゴンの中で,半分意識を失いながら耐えていた。
その時に分かったことだが我々の移動のためのドライバー達はパーティーが終わるのを窓を開けた車の中でエアコンもつけずにずっと待っていてくれたのだった。私の不調を見るやいなや窓を閉めエアコンをつけてくれた。座席を倒し,私に尽くしてくれた。異国の地で体調を崩してしまい,これからタイを飛び立って日本に帰るだけの力が残されているのか,大きな不安を抱え横になった。水を差し入れてくれたり声をかけてくれる彼らに対し,心から感謝した。
そして深夜,タイの方々の篤いもてなしとドライバーの心温まる介抱,その感謝の気持ちを大きなおみやげに,日本に向けて飛び立った。 桐田正章
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