(第2回) ベルギーとルクセンブルグ

2nd page  Belgium and Luxembourg

こうして思い出を綴ろうとしてみると、案外、写してきた写真というのも少なかったと思う。というのも、ベルギーとルクセンブルグでの写真がほとんどなかったのです。 困った!ベルギーの写真がゼロ! ルクセンブルグでもスナップ1枚ぐらいでして、ごめんなさい。そのかわり そのぶん今回はドイツへと進んで行こうと思います。少ない写真と文だけで、うまく雰囲気が伝わればいいのですが・・・。 それから、これまで「私は」という口調で書かせてもらっていましたが、あまりにも自分に似あわずに、読んでて可笑しいので、今回から「僕は」に変えさせて貰いました。 ご了承ください。



ロンドンの道路事情

ロンドンの警察はうるさい。街中だというのに、馬に乗ってパカパカと警邏している姿はまさにロンドンならではののんびりした光景でよいのだけど、僕が宿屋の前の歩道にバイクを留めておいたら、「駐車違反」のキップを切られてしまった! なんてことでしょう。バイクで駐車違反だなんて、日本では考えられないんだけど、ロンドンでは歩道の上でもそれが徹底されているんですね。日本のように点数制度はないものの、罰金を郵便局まで払いに行きました。12ポンドだったかな。  (日記が出てきたら詳しく書きましょう)

到着して早々にパスポートをなくしたお陰でロンドンには10日以上も滞在した。でもその間にバイクは手に入ったし、フランスのビザも取得。いよいよ大陸へ渡る準備が出来たのだった。1日目はロンドンからフリーウェイを南下、ドーバーからドーバー海峡を船で渡って、ベルギーのオステンドか首都ブリュッセル辺りで一泊、という予定をたてた。僕は全部の荷物をバイクに載せてロンドンを後にした。



フェリーの色は、上が白、下が紺色で、とても大きい。
ドーバーの港に入港するフェリー
船体に”PRIDE OF DOVER”の文字が読み取れる


イギリスの道路は左側通行。日本の道路交通法はイギリスの物を元にしたそうで同じ左側通行なのだそうだ。しかし、日本ではおなじみの有料道路(高速道路)というのはイギリスでは見かけない。確かに高速道路に近いものは張りめぐらされているのだけど、無料であった。 交差点といえば、日本では信号のある四つ角が基本。だけど、イギリスではロータリー式の交差点が多かった。いくつかの道がドーナッツ状のロータリーに接続していて、ロータリーに侵入するとぐるぐる回り、行きたい道が近づくとロータリーから出て行くという、信号の無い交差点。 大阪で言えば、松原にある「三原ロータリー」にちょっとだけ似ている。


船でイギリスを出国

ドーバー港の待合所では、フェリーを待つ人でごったがえしていた。ちょうどサマーバケイションの時期でもあるし、夫婦や家族で外国の避暑地へ出かける人も多かったのではないだろうか。船のキップを買いにいくと、どうやら今日のフェリーは数時間も遅れているとのことだった。僕はもう退屈。船を待っていると、ハノーバーのナンバーを付けた大きなバイク(BMW)2台の人が近づいてきた。彼らはドイツ人で、どうやら僕と同じようにバイク・ツーリングを楽み、ドイツへ帰るところだった。小さな僕のバイクを見て、ホンダも好きだよ、ドイツではCBXも所有しているし、とホンダのバイクを誉めていた。 初めてイギリス国外の人と話したこの時、向こうも片言の英語なのであんまり(文法とか)気を使わないなぁ、と思った。 何時間待っただろうか、やっとオステンド行きのフェリーが入港した。フェリーには、僕ら3台のバイクが一番乗り。3台とも嬉しさのあまり、ピーピー、パーパー、とホーンを鳴らしながら船へのスロープを駆け上って行った。愉快な瞬間だった。







国外運転免許証 これは事前に日本の運転免許センターで取得していきます。(試験不要)
表紙には日本でいつも見慣れている自分の 運転免許番号 が印字されています。
当たり前かもしれないけど、この免許番号は、約30年経った現在も変わっていません。

※更新: 2018年ごろ紛失して再発行したため 現在は運転免許番号の最後の1ケタだけ数値が1増えています





船がドーバー海峡を渡ってベルギーのオステンド港に着いたのは夜の9時ぐらいだったろうか。もうまっ暗。こんな時間について、どうしろというのだろうか。宿を探さねばならないのだけど、船が遅れて欲求不満だった僕は首都ブリュッセルへ向けて、そのままバイクを走らせた。 あっ、右側通行だ! みんな右側を走ってるぞ。 道路は片側3車線で広い。例によって無料だ。道路を照らす黄色いナトリウム・ランプが、ネックレスのように暗闇のかなたへと、うねって続いていた。夏といえどもさすがに夜は寒かった。僕はすぐにパーキングエリアに入って、トイレで革ツナギ(バイク用の革の服)に着替えた。 この服は、万が一転倒した場合でも身を守ってくれる。



バス・ストップの悪夢
首都ブリュッセルは夜中に走っても綺麗な町並みであった。時間はもう12時近く、ぐるぐると走ってみたが開いている店など一軒も無く、街は真っ暗だった。これ以上走ってもとうぶん街はない。今日はこの辺で野宿するしかないなァ・・・ 寒いけど。テントこそなかったけど、寝袋を持っていたので、バス停留所の屋根の下にバイクを置いて、ベンチに寝袋を広げて、暗闇の中、眠ることにした。 実はこのことが後々忘れ得ぬ思い出をつくる事になるとも知らずに・・・。とにかく、寒い暗闇の中、僕は眠りについたようだ。熟睡に近かったのだろうか、次に目がさめたのは朝だった。僕は寝袋のチャックを閉めていたのだが、どうも周りが、車の騒音やらで、騒がしい。それと同時に、何かいやな予感を覚えながらチャックをそっと開けて顔を覗かせてみた。なんと、僕の寝ているベンチの前に、10人ぐらいのベルギー人が立っていた。しっ、しまった。 もしかして、この人達は、バスを待っているの!?(汗) 僕のバイクにはカッティング・シートで自作した JAPANというステッカーが貼ってある。恥ずかしい。穴があったら入りたい・・・と祈るような気持ちでチャックを閉め、寝袋の中で バスが来るのをひたすら待った。寝顔が見えていなかったのがせめてもの救いだっただろうか。バスが来て人々が去った後、一目散に片付け、バイクでその場を離れたのは言うまでも無い。







江波戸さんに撮ってもらった、ルクセンブルグでは唯一の写真
リュックサックの前にあるボトルは、2サイクル・エンジン用のオイル
これを切らすとエンジンが焼きつくので、長距離走行では常に携帯した


ルクセンブルグはベルギーと隣り合わせの小さな国だ。入国は高速道路の料金所のようなところでパスポートを見せるとハンコを押してくれるだけで、簡単なものだった。ルクセンブルグの首都は小さな町で、丘から丘へ橋がかかり、毎日丘を渡り 谷をくぐって人々は生活している、そんなイメージのところ。 駅でみやげものの絵ハガキなんかを買っていると、一人の日本人に出会った。 江波戸さんという青年で、フランスの方から列車で来たようだった。 その晩は同じホテルにワリカンで泊まることにした。 地名は忘れたけど江波戸さんの滞在したフランスの街での話を聞かせて貰いながら一緒にスパゲティをゆでて食べたのが忘れられない。ルクセンブルグのテレビ放送はドイツ語、フランス語、オランダ語が混じっていた。こんな環境で育つ子供達はきっと若いうちから国際的な感覚を身につけているんだろうなぁ。


西ドイツへ
1988年当時はベルリンの壁があって、ドイツはまだ西ドイツと東ドイツに分れていた。僕は西ドイツの方だけをこのツーリングの計画に入れていた。今はもったいないことをしたと思っている。もっともっと、色々な国を、ゆっくりと、じっくりと時間をかけて回ればよかったなと。 もし、次に行くことがあれば、是非そうしたいと思っている。


道がカーブして、急に下り坂になったかと思うと、美しい川が流れていた。川の幅は、60メートルぐらい、あるように見える。空は晴れていて、沢山の雲が流れている。

ルクセンブルグから東へ。 西ドイツに入ると、写真の場所でモゼール川に当たる
今回の見どころは、この丘からの写真かなぁ。 とっても綺麗でしょう?
これからモゼール川に沿ってさらに東へ、有名なライン川に合流する予定だ。





カーブの横は絶壁になっていた。下には3階建てぐらいの、とんがった屋根の、ヨーロッパらしい住宅がたてこんでいる。川に面した、のどかな住宅街だ。

上の急カーブから右側を眺めると、下の写真のような光景が広がっている。
電柱や電線がほとんど邪魔をしない、この眺めはなんて美しいんだろう。








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