BACK

20041025(月) 伊東ライオンズV1ヽ(゚▽゚*)ノ 日本シリーズ第七戦 中日×西武@ナゴヤドーム

今シーズンの集大成ということで、各紙のみなさん、見逃してやってくださいm(_ _)m


サンケイスポーツ
西武12年ぶり日本一!涙あふれる伊東監督5度の舞い

両手を突き上げて笑顔で宙を舞う伊東監督 (日本シリーズ第7戦、中日2−7西武、西武4勝3敗、25日、ナゴヤドーム)西武は7−2で中日を下し、通算4勝3敗で平成4年以来、12年ぶり9度目の優勝。伊東勤監督(42)は就任1年目での日本一で、新人監督の日本シリーズ制覇は史上7人目。レギュラーシーズンで2位だった西武は今季から導入されたプレーオフで1位のダイエーを退け、大逆転で日本一を手にした。70周年を迎えた今年、再編問題、ストなどで大揺れした日本プロ野球は、西武優勝で波乱のシーズンの幕を閉じた。またシリーズ最高殊勲選手(MVP)には2勝をマークした石井貴投手(33)が選ばれた。〔写真:両手を突き上げて笑顔で宙を舞う伊東監督。西武の第2期黄金時代到来を期待させる、若き指揮官の胴上げシーンだった=撮影・塩浦孝明

試合結果へ

 両手でガッツポーズを作り、歓喜の輪に飛び込んだ。頼もしくて、誇らしい選手たちの太い腕で5度、宙に舞った。自然と涙があふれていた。

 「選手の一生懸命な姿を見れただけで、満足していました。勝っても負けても、悔いのないように戦ってほしかった」

 伊東監督の目は真っ赤だった。コメントは謙虚だが、最後までどん欲に勝利にこだわった。石井貴から長田につなぎ、7点リードの八回、肩に違和感のある小野寺ではなく松坂を投入。九回からは守護神・豊田。レオ投の誇る最強の豪華リレーで締めくくった。

 喜びと同時に安心感で体中の力が抜けたような気がした。あれは激戦のプレーオフを終えて、福岡から東京へ戻った13日のこと。都内の自宅に戻るとすぐ横になった。知らぬ間に眠りについていたが「うなされていたらしい。(家族が)言っていたよ」。42歳ながら監督として初めて体験する修羅場の連続。体力的にも精神的にも疲労はピークに達していた。

 首位を独走していた6月上旬にも体調を崩したことがあった。歯茎が腫れ、38度を超す発熱。関係者にも内緒で病院から直接、球場にクルマを飛ばした。自分のことよりも、選手に余計な心配をかけたくない。ずっとその一心だった。

 伊東監督にとって初めて指揮官として臨んだシーズン。はからずも日本球界も、未曽有の球界再編問題に直面した。

 9月24日の西武の今季最終戦は、近鉄の大阪ドーム最終戦だった。試合後、伊東監督は礒部、中村を抱きしめ、一緒に涙を流した。避けられぬ時代のうねり。悲しすぎる結末に胸を痛めた。

 リーグ優勝を決めた10月11日、福岡ドームから宿舎に戻る途中、携帯電話が鳴った。自分を監督に“指名”した堤義明オーナー(70)だった。

 「おめでとう。ライオンズを伊東監督にしてよかったよ」

 グループ総帥から直々の激励を受け「日本一になってやろうという意欲がわいた」と奮い立ったはずが、直後の13日、その堤オーナーがシリーズ後の辞任を表明する。

 先の見えない状況、試合をしている自分たちさえ、明日はどうなるかという激動の球界。「現場の自分にできることは日本一になること」。浮足立つ選手たちに訴えかけるように、同じ言葉を何度も繰り返した。

 開幕から148試合目でつかんだ栄光。日本シリーズは2年連続でパ・リーグが制した。球団売却がささやかれるダイエー、札幌に移転してブームを巻き起こした日本ハム、その一方で合併を余儀なくされたオリックスと近鉄…。消滅の危機にあったパ・リーグの意地を見せたかった。

 「勝ったぞぉー!!」

 お立ち台の最後に、お立ち台で、心の底から叫んだ。かつての黄金時代を知る熱血監督が“新たなレオの時代”到来を予感させる。まだ激動が続くプロ野球界。その中心で伊東西武の新たな息吹が聞こえてきた。

湯浅大

西武ライオンズ
 パ・リーグ発足の昭和25年、福岡市を本拠地に誕生した西鉄クリッパーズが前身。翌年から西鉄ライオンズに改称。黒い霧事件を境にチームが弱体化した40年代半ばには、太平洋クラブ、クラウンライターと経営母体がかわり、53年10月に西武が買収。本拠地を埼玉県所沢市に移した。広岡監督を迎えた57年から2年連続日本一。61年に就任した森監督の下、9年間で8度のリーグ制覇(うち日本一6度)と黄金時代を築いた。平成7年から東尾監督が指揮を執り、7年間で2度のリーグ優勝。14年に就任した伊原監督も同年にリーグ優勝。今季、伊東監督がコーチ兼選手から昇格。球団創設以来、リーグ優勝20度、日本一12度(西鉄時代を含む)。オーナーは堤義明氏。

伊東 勤(いとう・つとむ)
 昭和37年8月29日、熊本県生まれ、42歳。熊本工高−所沢高から西武球団職員を経て、57年ドラフト1位で西武に入団。リーグ優勝14度、日本一7度など正捕手として西武の黄金期を支えた。ベストナイン10度、ゴールデングラブ賞11度。捕手として歴代2位の2327試合に出場。22年間の現役通算成績は、2379試合出場で打率.247、156本塁打、811打点。1メートル81、83キロ。家族は夫人の加代子さんと1男1女。背番号83。

その時
 伊東監督夫人の加代子さん(41)は、都内の自宅でふたりの子供とテレビ観戦。歓喜に身を震わせた。「1試合1試合が本当に長くて、お疲れさまでした、と言ってあげたいです。シーズン中、主人がプレーしているわけではなかったけど、常にドキドキ、ハラハラしてみていました」。西武ドームでの第4、5戦はスタンドで観戦したが、チームが負けたため、名古屋行きを断念したという。落合監督夫人の信子さんとは対照的な“内助の功”だった。

 ◆西武・山口弘毅オーナー代行 「伊東監督、コーチ、選手のみなさん、日本一おめでとうございます。今季のスローガン通り、チーム全体で『挑戦』し、そしてつかんだ栄冠でした。応援していただいたファンの方々にお礼申し上げます」

 ◆根来泰周コミッショナー 「西武はプレーオフを通じて、もまれてきた強さがあったのではないか。中日にしても新人監督でリーグを勝ち抜いてきたのは大変だったと思う。(コミッショナーに就任して)初めてのシリーズだったが、非常に面白かった」

 ◆パ・リーグの小池唯夫会長 「プレーオフを勝ち抜いての日本シリーズ制覇は長い道のりでした。ファンの皆さまにも白熱したポストシーズンを楽しんでいただけたことと思います」

 ◆セ・リーグの豊蔵一会長 「驚異的な西武打線のパワーに脱帽です。中日もセの覇者の名に恥じない堂々たる戦いぶりだった。野球の面白さをアピールしてくれた意義深い7試合でした」

データBOX
 (1)西武の日本シリーズ優勝は平成4年(4勝3敗=ヤクルト)以来で12年ぶり12度目(西鉄時代の3度を含む)。日本一12度は巨人の20度に次ぐ。3位はヤクルトの5度。

 (2)伊東監督はシリーズ初さい配で日本一となった。これは平成14年の巨人・原辰徳以来で史上14人目。就任初年度の日本一も原以来で7人目。42歳の日本一は、阪急・上田利治(38歳=昭和50年)、巨人・川上哲治(41歳=同36年)に次ぐ歴代3位の年少記録。

日本シリーズ結果
第1戦
10・16
西 武○2−0●中 日 ナゴヤドーム
(勝)石井貴(敗)川 上
第2戦
17
中 日○11−6●西 武 ナゴヤドーム
(勝)バルデス(敗)松 坂
第3戦
19
西 武○10−8●中 日 西武ドーム
(勝)大 沼(敗)岡 本
第4戦
21
西 武●2−8○中 日 西武ドーム
(勝)山 井(敗)張誌家
第5戦
22
西 武●1−6○中 日 西武ドーム
(勝)川 上(敗)西 口
第6戦
24
中 日●2−4○西 武 ナゴヤドーム
(勝)松 坂(敗)山本昌
第7戦
25
中 日●2−7○西 武 ナゴヤドーム
(勝)石井貴(敗)ドミンゴ

日本シリーズ初さい配の優勝監督
年度 監 督 球団 星取り 相手
昭25 ★湯浅 禎夫 毎日
○○●●○○
松竹
26 水原  茂 巨人
○○○●○
南海
29 天知 俊一 中日
○○●●○●○
西鉄
36 ★川上 哲治 巨人
●○○○●○
南海
49 金田 正一 ロッテ
●○●○○○
中日
50 上田 利治 阪急
△○○△○○
広島
53 広岡 達朗 ヤクルト
●○●○○●○
阪急
56 ★藤田 元司 巨人
●○●○○○
日本ハム
60 吉田 義男 阪神
○○●●○○
西武
61 ★森  祇晶 西武
△●●●○○○○
広島
平10 ★権藤  博 横浜
○○●●○○
西武
13 若松  勉 ヤクルト
○●○○○
近鉄
14 ★原  辰徳 巨人
○○○○
西武
16 ★伊東  勤 西武
○●○●●○○
中日
】★は就任1年目


石井貴MVP獲得!シーズン1勝男がシリーズ2勝

誰よりも早くベンチを飛び出したMVPの石井貴(中央) (日本シリーズ第7戦、中日2−7西武、西武4勝3敗、25日、ナゴヤドーム)目の前に広がる劇的な空間にベテラン右腕は陶酔し、そのまま身を委ねた。タカシに始まってタカシが締めた12年ぶりの日本一。MVP獲得を知らされると、万感の思いが全身を貫いた。

 「こんなに苦しい戦いは初めてでしたが、昨日の大輔(松坂)の力投に便乗しました。起用してくれた伊東監督に恩返しできてよかった」

 第1戦は7回無失点でチームに先勝をもたらした。3勝3敗で迎えたこの日も6回を無失点。二回一死一塁では谷繁のライナー性の打球が右ひざを直撃するアクシデントもあったが、約5分間、ベンチ裏で患部を冷やす応急処置だけで再び姿を見せ、鬼気迫るマウンドさばき。レギュラーシーズン2年間でわずか2勝の男が日本シリーズ13イニング無失点で2勝。長い眠りから覚めた先には栄光が待っていた。

 昨年5月4日のオリックス戦で1勝した後、右肩痛で離脱。今年5月18日のオリックス戦で380日ぶりの復活白星をつかんだ。翌19日−。石井貴を支える夫人の美保さん(28)あてに大きな花束が届いた。贈り主は伊東監督。温かい気遣いに思わず涙がこぼれた。

 その後もローテーションを守り続けたが惜しい敗戦が続き、結局は1勝どまり。「この2年間オレは結局ダメだった。けれど、最後に貢献したいと思っていた」。世代交代が進む中で、ベテランの自分に気配りをしてくれる伊東監督を何としても男にしたかった。そしてこの日、その男の思いは現実となった。

 前夜24日の第6戦。第2戦で黒星を喫し、4度目の挑戦で初の日本シリーズ白星を挙げた松坂の姿に刺激を受けた。「アイツの“男”を見た。自分も大輔の男気に便乗していきたい」と、胸の内の炎をたぎらせた。

 その夜、ホテルの部屋ではDVDを見た。シリーズ第1戦、自分が中日打線を相手に7回2安打無失点で抑え、マウンドで絶叫している姿。「自分の気持ちを高める意味でもね」。気迫で投げる男・石井貴らしい“最後の調整”だった。

 「まさか賞をもらえるとはね。この2年間、故障しても我慢してリハビリしてきた結果だと思っている」。誇らしい復活のMVPロード。その右腕でつかんだ日本一のフラッグは、まばゆい輝きを放っていた。

山下千穂

写真:優勝決定の瞬間、誰よりも早くベンチを飛び出したMVPの石井貴(中央)。アッという間に歓喜の輪ができあがった=撮影・榎本雅弘

★松坂が1回無失点…プロ初体験の先発−中継ぎ連投

 スタンドがどよめいたのは八回だ。「ピッチャー、松坂」。第6戦で8回2失点勝利のエースが登場。荒木に二塁打を浴びたが、1回を無失点に抑え、豊田に日本一のバトンをつないだ。

 「五回に荒木さん(投手コーチ)から『行くぞ』といわれた。みんなも疲れているんで…。点差もあったし、これが日本一かな、という気もしました」

 プロ入り後、中継ぎ−中継ぎでの連投はあるが、先発−中継ぎでの連投は初体験。それでも熱い身体は疲れを感じなかった。

 プロではじめて経験する日本一。松坂にとってはプレッシャーの連続だった。2年前の巨人とのシリーズは2戦2KO。今回も第2戦でKOと、精神的に追いつめられたが、終わってみれば第6戦でシリーズ初勝利。6年目にして、初の日本一を味わった。

豊田は駆け寄るフェルナンデス(手前)、カブレラ(右)とともに歓喜のガッツポーズ 「6年かかってやっとです。かなり大きいものです。今後? (自分の)スイッチを切って休みます」。怪物・松坂の今季の戦いが、尾張名古屋で終わった。

★守護神・豊田が初の胴上げ投手に

 シリーズの個人最多タイとなる3セーブをマークした守護神・豊田。九回、7点差で登場、味方の失策もあって2失点を許したが、初の胴上げ投手となった。「マウンドでは舞い上がっていました。ボクのことを当てにしていないから、(打線は)7点も取ってくれたんですね」。セーブ新記録はならなかったが、満面の笑みを浮かべた。

写真:胴上げ投手となった豊田は駆け寄るフェルナンデス(手前)、カブレラ(右)とともに歓喜のガッツポーズ=撮影・浅野直哉


データBOX
 (1)石井貴は今シリーズ2試合に登板し、計13イニングを無失点。2勝を挙げた。1シリーズ13イニング無失点は、これまでのシリーズ記録(昭和41年、巨人・益田昭雄=12イニング無失点)を更新。1シリーズ2勝は、西武では平成2年の石井丈裕(2勝)以来。1シリーズ最多勝は、稲尾和久(西鉄=昭和33年)、杉浦忠(南海=34年)の4勝。

 投手のMVP獲得は、昨年のダイエー・杉内俊哉に続いて史上21人目。西武の投手としては、平成4年の石井丈裕以来で6人目。

 (2)前日の第6戦で先発勝利を挙げた松坂が、救援マウンドに立った。シリーズで2試合に先発した投手が、その後に救援登板したのは平成5年の西武・工藤公康(現巨人)以来で11年ぶり。

日本シリーズ表彰選手
【最高殊勲選手賞】
石井  貴(西)
トロフィー、賞金200万円、自動車クラウン・マジェスタ
【敢闘選手賞】
井上 一樹(中)
トロフィー、商品券30万円、ノートパソコン、米120キロ、
野菜詰め合わせ、高級腕時計
【優秀選手賞】
カブレラ(西)
トロフィー、賞金30万円、高級オーダースーツ
和田 一浩(西)
谷繁 元信(中)
】ホームラン賞としてナゴヤドームでは賞金3万円、西武ドームでは
商品券3万円


打線引っ張った!4発和田と3発カブレラが優秀選手賞

松坂と抱き合って喜びを分かち合う和田 (日本シリーズ第7戦、中日2−7西武、西武4勝3敗、25日、ナゴヤドーム)和田が静かに喜びをかみ締めた。堂々の優秀選手賞。打の大黒柱として、打線を引っ張った。

 「なんとか日本一になれました。自分が打とうが打つまいが、勝てればいいんです」。派手な笑顔はない。大仕事をやってのけた男の精かんな顔だった。

 16日の第1戦、川上から左翼ポール際に放った1号ソロでチームに勢いをつけた。あとのない第6戦では逆転の3号2ランに、とどめの4号ソロ。2年前、巨人とのシリーズで15打数無安打に終わった男が、26塁打、8長打のシリーズ新記録に4本塁打の同タイ記録をマーク。歴史に名を残した。

 『男は子供が女房のおなかにいるとき、強い運気になる』。そんな話をどこかで聞いた。すでに22日の出産予定日を過ぎているが、夫人の絵美子さん(24)は臨月。きょう、あすにも待望の第1子が生まれる予定だ。

カブレラ チャンスに強い和田。。アテネ五輪がきっかけだった。1、2戦で7タコも第3戦のキューバ戦で先制2ラン。その夜、受話器に手が伸びた。国際電話で伊東監督に「ようやく1本出ました」と報告。「頑張れ!」というゲキに力がわいた。

 キャプテンが引っ張った今年のシリーズ。この日の主役はカブレラだ。三回、左中間に3号2ラン。「真ん中のスライダー。狙いどおりだよ」。一挙5点のビッグイニングを呼んだ。

 「監督を胴上げしたかった。日本一になれて自信にもなります」。男になった。そして、父になる。和田にバラ色のオフが待つ。

大塚功

写真上:連投の松坂と抱き合って喜びを分かち合う和田。まさにMVP級の活躍だった=撮影・浅野直哉。同下:三回に豪快な特大2ランを放ったカブレラ。自慢の長打力で中日の投手陣を震えあがらせた=撮影・榎本雅弘

★赤田が大一番で3安打

 プレーオフから2番打者として好調を維持していた赤田が、大一番で3安打の大活躍。「最後の最後に一番、いい仕事ができました。シリーズに出場できたのが大きかったです」。シーズン中は1番打者として39試合に出場した赤田だが、来季は2番定着を狙う。

 ◆三回、中前タイムリーを放った勢いで一、二塁間に挟まれたが、それが井端の失策を誘い、2者を生還させた西武・フェルナンデス 「暴走だったけど、赤田まで生還できてよかった」

 ◆三回に先制タイムリー内野安打を放った西武・佐藤 「先制点が欲しかった。あれで相手も焦っただろうし、大きかったと思う」

 ◆七回、7点目となる1号ソロを放った西武・平尾 「たまたまですけど、うまくライトに打ち返せました」

データBOX
 (1)西武の今シリーズ、チーム合計68安打は、昭和53年の阪急、57年の西武に並ぶ1シリーズ最多安打記録。また、チーム11本塁打は(1)ヤクルト(13本塁打=昭和53年)(2)巨人(12本=同56年)に次ぐ歴代3位タイ。

 (2)西武のチーム28長打(本塁打11、三塁打2、二塁打15)はシリーズ最多新記録。従来の記録は昭和53年の阪急、平成10年の横浜がマークした23長打。チーム120塁打も、昨年のダイエー(113塁打)を更新するシリーズ最多新記録。

 (3)優勝決定試合で5点差がついたのは、平成12年第6戦(巨人9−3ダイエー=6点差)以来で4年ぶり。優勝決定試合の最多得点差は「14点差」(昭和38年第7戦=巨人18−4西鉄)。

★ビール1200本が10分間で空き瓶に

 名古屋市内の宿舎に設置された祝勝会場で、ナインは日本一の喜びを爆発させた。伊東監督が「シリーズで頑張れなかった人は、ここで頑張ってください」とあいさつ。選手会長・和田の掛け声をきっかけに、さあ、スタート! スパイダーマンやドラゴンボールのコスプレで参加した中島、赤田らは大ハッスル。用意されたビール1200本は約10分間で空き瓶になった。

★「感謝セール」を26日から3日間開催

 西武の日本一を記念した「感謝セール」が所沢、池袋、横浜地区のそごう、西武百貨店、全国のパルコ17店舗で、26日から3日間、開催される。西武線沿線のレジャー施設(西武園ゆうえんち、としまえんなど)でも同期間で謝恩サービスが行われる。そのほか、西武グループのゴルフ場や西武観光など、各グループ社で特別企画が展開される。

名言迷言

 ◆中日のマスコット・ドアラに、頭を下げて握手する西武・赤田 「きょうも打たせてね」


12年前はビッグネームずらり…東尾、工藤、秋山、清原

 平成4年以来、12年ぶりの日本一。前回は昭和57年から平成4年までの11年間で9度のリーグ優勝、8度の日本一を達成した“第1期次黄金時代”の終わりだった。

 広岡、森両監督の下、投手では東尾、工藤ら。打者では秋山、清原、デストラーデらの大砲に加え、石毛、辻といった足と守備のスペシャリストもいた。日本シリーズで藤田巨人を4タテした平成2年と平成16年を比べてみた=別表。

 当時に比べると小粒で若手中心。ネームバリューもない。しかし、18年間、打撃投手を務め、秋山、松井稼、現在は和田らを担当する中島打撃投手は「黄金期のチームは、個々が完成されていた。それに比べて今のチームは試合を重ねるごとに自信をつけている。まだ“伸びしろ”はあるし、この先が楽しみ」。第2期黄金時代の幕は開くのか−。

平成2年
 【主なニュース】▽東西ドイツ統一▽日本人初の宇宙飛行▽大阪で「花の万博」▽トリカブト殺人事件▽千葉県で竜巻が発生、1700戸以上の家屋が倒壊▽長崎県雲仙普賢山噴火

 【世相】▽ゲーム機スーパーファミコン発売▽流行歌『おどるポンポコリン』など▽映画『プリティー・ウーマン』など▽人気テレビ番組『マジカル頭脳パワー』など▽流行語『アッシーくん』『ボーダーレス』『成田離婚』

1990(平成2年)日本シリーズ・スタメン
選 手 シーズン成績 年俸
(30)
.266 3本 39点
6000
平 野 (34) 13
.267 2本 42点
5500
石 毛 (34) 10
.298 8本 47点
9000
清 原 (23)
.307 37本 94点
6800
デストラーデ (28)
.263 42本106点
6500
秋 山 (28) 10
.256 35本 91点
8400
吉 竹 (29) 12
.260 1本 10点
4250
伊 東 (28)
.281 11本 43点
5100
工 藤 (27)
9勝2敗 防3.36
4600
】数字は平成2年当時のもの。年棒は推定で単位は万円

2004(平成16年)日本シリーズ・スタメン
選 手 今季成績 年俸
佐 藤 (26)
.317 2本 27点
2700
赤 田 (24)
.259 9本 41点
1300
フェルナンデス (29)
.285 33本 94点
10700
カブレラ (32)
.280 25本 62点
40000
和 田 (32)
.320 30本 89点
17000
平 尾 (28) 11
.307 4本 20点
4000
中 島 (22)
.287 27本 90点
1000
細 川 (24)
.217 11本 39点
1900
石井貴 (33) 11
1勝5敗 防4.65
6000
】年棒は推定で単位は万円


中日50年ぶりの夢逃げた…ドミンゴ4失点、打線も沈黙

落合監督(右端) (日本シリーズ第7戦、中日2−7西武、西武4勝3敗、25日、ナゴヤドーム)半世紀も待ち続けた竜党に、応えられなかった。50年ぶりの日本一を公約した今季。落合監督は計145試合目に、笑うことができなかった。

 「選手は約束を果たしてくれたが、監督が最後の約束を果たしてやれなかった。こっちの責任。宿題を2005年に残してしまったな」

 二回一死二塁から、ドミンゴが石井貴への投球中にボーク。二死三塁から佐藤の内野安打で先制される。その後、適時打を放ったフェルナンデスの暴走を挟殺しようとした井端が、悪送球。代わった山井がカブレラに2ランを被弾。まさか、まさかの一挙5失点。

 「7戦目の難しさ? それはない。ただ、勝負どころを見誤っていた。7戦すべてを通して」

 ブルペンには第5戦先発で中2日のエース川上もいた。総動員できる第7戦。代えどきは正しかったか? 別の方法はなかったか? 何よりも悔やんだのは、この日の先発になってしまったドミンゴ。精神的にもろい右腕。今年唯一といえる補強選手は、勝負どころで耐えてくれなかった。

 ダイエーか西武か。パのプレーオフ期間中、何度も西武と戦う夢をみた。中日で現役時代の昭和63年、初出場の日本シリーズで西武相手に1打点も挙げることなくジ・エンド。シリーズ3度出場で通算打率.286、本塁打0、1打点。短期決戦の怖さを知る男が、またも跳ね返された。

 「選手には、お疲れ様といったよ。69年の歴史のなかで誇れるチームだ。もっともっと、たくましくなる。ただ、きょうは何も考えたくない。あしたから考えるよ」

 妻・信子さん(60)には「負けちゃってゴメン」と謝った。散ってしまったオレ流の夢。もう1度、はいあがるのみだ。

兼田康次

写真:50年ぶりの日本一を逃したオレ竜。落合監督(右端)が下を向けば、コーチ、ナインは唇をかんだ=撮影・榎本雅弘

試合結果へ

 ◆中日・白井文吾オーナー 「勝てなかったのはファンに申し訳ないが、僕はあまりがっかりしていない。大変よくやったと思うし、来年はもっといい試合をお見せできるんじゃないかな」

データBOX
 中日は昭和49年から57、63、平成11、そして今年と5回連続で日本シリーズに敗れ、阪急(現オリックス)と西武の持つワースト記録に並んだ。阪急は西本監督がV9巨人の厚い壁にはね返された。西武は今回、ワースト記録にピリオドを打った。

風呂場でビールよ
 スタンドで声援を送り続けた落合監督の夫人・信子さんは「去年の監督就任からあっという間の1年でした。セ・リーグの優勝も成し遂げたし、よくやったという気持ちでいっぱいです」と戦い終えたチームをねぎらった。日本一は来年までお預け。歓喜のビールかけはできなかったが「風呂場でビールかけをしてあげたい」

★谷繁9打点も日本一逃し涙

谷繁 7試合のシリーズで最多打点記録10にあと1と迫っていた谷繁はこの日、打点なし。九回、左翼への打球が拙守にも助けられて二塁打となり、優秀選手に選ばれたが、横浜時代の平成10年(対西武)に続く日本一を逃して無念。「来年、再来年と同じ舞台に立てるようにやっていきたい」と雪辱を誓った。

写真:9打点と大暴れの中日・谷繁だが、日本一を逃して試合後は涙ぐむ姿も見せた=撮影・榎本雅弘

★井上が完封負け免れる意地の一打

 意地の一打は井上。九回無死二、三塁で豊田から、詰まりながらも中前に落とし、完封負けを免れた。「0点で終わりたくないという気持ちだった」。打率.412で8打点。敢闘賞に選ばれ「負けたことは仕方ない。自分はシリーズを通して集中できていたから、賞は素直にうれしい」と顔をほころばせた。

★川上無念…ブルペン待機で終了

 第5戦先発から中2日だったエース川上は、ブルペン待機で終了。「よほどのことがない限り(出番は)なかったと思う。でも、だれも手を抜いていない。みんな一生懸命やったよ」。今季17勝の沢村賞男は「来年は日本一? リーグ優勝が難しい。甘くない。今年以上に頑張らないと」と早くも気持ちを切り替えた。

 ◆3度目のシリーズも敗れた中日・立浪 「全力でやった結果だけど…。今ひとつ働けず、申し訳ないです。これを肥やしに、来年は調子の波がないようにしたい」

 ◆7戦中5試合登板で無失点の中日・岩瀬 「残念ですけど、こればかりは仕方ない。7戦やって、本当にいい経験ができたと思います」

 ◆今シリーズで打率.389、2本塁打と活躍した中日・リナレス 「来年のこと? まだわからない。30日の(リーグ優勝)パレードには出る」

名言迷言

 ◆女子アナウンサーに満面の笑みで話しかけられた中日・谷繁 「おれもゲーム中、あんなにニコニコしたいよ…」

 ◆試合前の取材に答える中日・井上 「笑っても笑ってもきょうで最後」

★タイロン・ウッズ獲得へ

 中日は、横浜退団が決定的なタイロン・ウッズ内野手(35)の獲得に動くことが25日、わかった。昨年オフは落合博満監督(50)の方針で補強を封印していたが、一塁手は昨年からの補強ポイント。同内野手には阪神も興味を示しているが、水面下では好感触をつかんでいる。また、ドミンゴ・グスマン投手(29)は残留の方向。マーク・バルデス投手(32)、マーチン・バルガス投手(27)は退団が濃厚。オマール・リナレス内野手(37)の去就は未定。


【バトルトーク】西武はプレーオフでたくましくなった

 江本 「最後は西武が実力の差を見せつけた。もともと中日は得点能力が低いんだから、西武にとっては楽なはずだったんやけどね」

 大久保 「ボクはこれほど勝負の行方が分からなかったシリーズはないです。西武の疲れは極限にきていると関係者から聞いてたのに…」

 江本 「まあ、西武は最後に松坂、石井貴がキッチリ放ったということや。中日はキッチリした投手はそう打てないんやから。あとは本塁打の脅威という点で西武が上回っていた。これも中日にはプレッシャーになってたと思うで」

 大久保 「伊東監督もずっと言ってましたが、プレーオフの影響が大きいですよ。シリーズ直前まで、真剣な戦いができていたわけですから。それで勢いがついたんでしょう」

 江本 「まあ、それにしてもさい配では、どちらも目立ったものはなかったね。いつものメンバーを並べて…。投手がやられたら、やられっぱなしというか、本当の意味での競り合いがなかったんじゃないか」

 大久保 「それでも“ピンチはチャンス、チャンスはピンチ”ですよ。これは西武時代、根本元監督(故人)の教えなんですが、巨人戦でもないのに、視聴率が20%を超えたんですよ。この数字はプロ野球にとってチャンスなんです」

 江本 「まあ、確かに個々のプレーではシリーズらしいファインプレーもあったな」

 大久保 「西武はプレーオフでたくましくなった。来年はセ・リーグもやるべきですよ。西武の日本一はパ・リーグファンにとって最高の喜びでしょう」


【レオ様vsオレ様】明暗…カブレラvsドミンゴ

 運命の糸に導かれていたのか。ナゴヤドームの一、三塁側ベンチには、同じ境遇をたどった助っ人がいた。日本球界最高峰の日本シリーズでぶつかるとは、想像もできなかった。

 「カブレラは台湾でも、いいバッターという評判だった。台湾時代? うん、あまりいい思い出はないね」。第7戦の先発マウンドに立った中日・ドミンゴがつぶやいた。平成13年の1年間、台湾・和信でプレー。5勝8敗、防御率3.39を残した。

 西武・カブレラは2年前の平成11年、和信で打率.325、18本塁打、64打点と堂々の成績を残した。「特にないよ。今の野球が大事だから…」。2人とも、台湾時代を多くは語らない。

 夢だったメジャー昇格を果たせず、挫折を感じながらの台湾球界入り。それだけに口は重い。だが、逆境で得た技術、精神力がいまを支えている。カブレラは、ヒビの入ったバットにテープを巻いてティー打撃を行うこともある。用具にも恵まれない厳しい状況があったからこそ、バットを大事にする。

 今季、10勝(5敗)を挙げたドミンゴは言った。「野球人生の中で初の2ケタ勝利。今年は最高のシーズン。いまが最高に幸せなんだ。この気持ちはほかの(日本人)選手とは違うはずだ」。

 三回、そのドミンゴが3失点で降板した直後、カブレラが3号2ラン。くしくも、すれ違いのコントラストは日本シリーズで再現された。

特別取材班



ニッカンスポーツ



伊東流がオレ流に勝った/日本シリーズ

12年ぶり12度目の日本一に輝き、祝勝会でビールを浴びる伊東監督(撮影・塩畑大輔)

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 42歳の青年監督が5度、宙に舞った。ヤングレオ軍団を率いる、伊東勤監督の「一丸野球」が開花した。3勝3敗の五分で迎えた敵地での最終決戦。3回にカブレラの1発などで5点を先制。投げては先発石井貴が6回無失点でシリーズ2勝目。8回からはエース松坂を連投で起用し、最後は守護神・豊田を投入する豪華リレーで逃げ切った。50年ぶり日本一をもくろんだ中日を打ち砕き、西武が12年ぶり12度目の頂点に。球界再編で揺れた04年シーズンの幕が下りた。

 カブレラがウイニングボールをつかむ。ナインがマウンドに駆け寄る。伊東監督は、少し遅れて歓喜の輪に向かった。ナゴヤドームの天井が、近づいては離れて行く。2度目の胴上げは5度。リーグ優勝より1回多い浮遊感覚に、すべての疲れが吹き飛んでいた。

 普段は冷静な指揮官が、お立ち台で最後に雄たけびを上げた。「勝ったぞー!」。就任1年目の伊東監督が日本一を奪い取った。リーグ2位から2度のプレーオフを勝ち抜き、中日も撃破。それもすべて最終戦にもつれこむ死闘だ。選手時代に7度、味わった頂点の座。チーム12年ぶり、監督として初めて味わう美酒は、格別のものだった。

 少し声を詰まらせながら振り返る。「ここまで来るには日本ハムに勝ちまして、ダイエーにも。感謝してますし、シリーズの中日にも感謝してます。今ここにいることが信じられないんですが、感謝したいと思います」。最も好きな「感謝」という言葉が、何度も口をついて出た。

 悔いは残したくない。できることは、すべてやる。シリーズ中、関係者に投打走とも「中日が上」と吐露していた。だからこそ石橋をたたく継投に出た。前日134球を投げた松坂を8回から投入した。「あの点差だったけど、早めにトヨ(豊田)の前につなごうと思っていた」。シーズン中には考えられない仰天継投は、信頼感の高い投手を逆算して投入する、熟慮の末の采配だった。

 00年4月23日。選手として2000試合出場を達成した試合で、松坂の球を受けた。試合後、野球人としての「喜び」について「最近は松坂くんとバッテリーを組むことかな」と言っている。常勝時代、幾多の名投手の球を受けてきたが「(松坂は)5本の指に入る」。日本球界を背負うエースになってもらいたい、最高の喜びを味わわせたい−。チームを支えてくれた右腕への、感謝の連投指令でもあった。

 チーム初の生え抜き監督だった。昨年10月、堤オーナーと会談した際「ずっとやっていただいた方がいいと思います」と“永久政権”を示唆された。その直後、堤氏は球団関係者に「私が伊東をかわいがっていることが伝わっただろうか」と、もらしている。愛情を注がれたが、西武鉄道の問題で、同オーナーは今シリーズ後の辞任を表明していた。日本一が、せめてもの恩返し、そして「感謝」のしるしだった。

 148試合目。シビアな日々が終わった。「すべてうまくいったというか。選手たちが、ついてきてくれたというか、それに尽きると思います」と選手をほめあげた。2位からの日本一は、常勝復活の始まりを予感させる。いくつもの課題を克服しながら、強くなってきたヤングレオ軍団。伊東監督の心は、ファン、そして選手への感謝の念であふれていたに違いない。【今井貴久】

[2004/10/26/09:09 紙面から]

写真=12年ぶり12度目の日本一に輝き、祝勝会でビールを浴びる伊東監督(撮影・塩畑大輔)


伊東監督、就任1年でV/日本シリーズ

ナインに胴上げされる西武・伊東監督(共同)

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 5度、宙を舞った西武伊東監督の目は真っ赤だった。就任1年目で日本一。「実感がわかない。すべてがうまくいった。どっちに転んでも、選手が一生懸命やっている姿だけで満足していたよ」と謙虚。プレーオフ、日本シリーズと計15試合の激戦を戦い抜いた選手に感謝した。

 捕手として日本シリーズに13度出場、日本一を7度と西武の黄金期を支えた。ベンチのすぐそばに広岡、森という名将がいた。

 自らの考えと両監督の選手起用を比較し「おれだったらこうする」で片付けず、自宅に戻って冷静に「なぜ?」と考えた。勝利に徹する両監督の起用法を書き留めた。その7、8冊のノートも参考に、プレーオフを日本シリーズと想定し、日本ハム、ダイエーとの激闘を制した。この日の松坂の連投での投入も、すべては勝つために万全を期すための策。今シリーズ、新人監督同士の戦いではあったが、短期決戦での「経験」と「実績」では伊東監督が1枚上回っていた。

[2004/10/25/23:31]

写真=ナインに胴上げされる西武・伊東監督(共同)


今季1勝の石井貴がMVP/日本シリーズ

MVPに輝いた石井貴(中央)は、犬伏(左端)にユニホームを引っ張られながらも、真っ先にベンチを飛び出す。後方は拍手する松坂(撮影・清水貴仁)

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 故障に泣いた男が、最後に笑った。シーズン1勝に終わった右腕が、MVPに輝いた。西武石井貴投手(33)が第1戦に続く好投で2勝目をマーク。チームを12年ぶりの日本一に導いた。前半の大量リードにも気を緩めず、6回を3安打無失点。第1戦と合わせ13イニング無失点の完ぺきなピッチングを披露した。前日第6戦の松坂の好投に刺激を受け「あの男気に便乗した」。肩痛からはい上がった苦労人が、大輪の花を咲かせた。

 お立ち台に足をかけると、左足のすねがうずいた。2回に谷繁の打球が左足を直撃。冷却スプレーで応急処置を施しマウンドに戻ったが、試合後に「相当痛いよ、無理だよ」と言うほど、本当は痛かった。それほどの激痛も忘れるほど、試合中は集中した。2試合、13回を投げ中日打線に1点も与えなかった。シリーズMVPを受賞し、石井貴はようやく現実に引き戻された。

 公式戦わずか1勝の投手が、シリーズで2勝をマークした。シリーズの勝ち星が、シーズンを上回るのは史上初だ。「まさかね、こんな賞をいただけるとは。この2年間、肩が痛くて、我慢した結果、いい仕事ができた」。本音だった。

 芸術的な投球だった。前夜の松坂の好投を受け「大輔のおとこ気に便乗した」という。だがその松坂が変化球主体の投球に活路を見いだしたのとは対照的に、直球を多投した。4回無死二塁のピンチでは、制球力を生かし、内外角をフルに活用してしのいだ。2番井端の初球、外角低めにボールのスライダーで入った。2球目は内角に141キロのシュートをズバリ。続いて内角高め、外角低めの直球でストライクを取る。カウント2−2。焦点を絞らせない。勝負球は外角低め、138キロのスライダーだ。井端に1球もバットを振らせず、見逃し三振を奪った。

 復活を期したシーズンだった。昨年5月に右肩を痛め、昨季は1勝2敗。シーズンオフはなかった。11月、無人の西武第2球場を黙々と走り続ける石井貴の姿を、多くの関係者が目撃していた。年明けには熊本で山ごもりにも挑戦した。

 右肩に負担のかからない投球フォームにも挑戦した。アドバイスを求めたのは、投手コーチや選手ではなく、用具係の熊沢当緒琉氏だった。外野手だった熊沢氏は98年に現役を引退。将来の指導者を目指し、球団に残っていた。その熊沢氏と野球談議をしている時、ヒントを得た。専門家でなくても、身になる話には素直に耳を傾けた。そんな石井貴の姿勢が、最終決戦での制球力を生んでいた。

 後ろポケットには25年前に他界した、父秀さん(享年42)の数珠を忍ばせていた。小学生だっただけに「会話した記憶はない」と言う。そんな石井貴にも、今では3才の愛娘、百合花ちゃんがいる。「彼女もオレが何をやってるか分からないだろうけど…」。そう笑う「石井貴」の3文字は、シリーズ史の記録と記憶に確実に刻まれた。【中村泰三】

[2004/10/26/09:10 紙面から]

写真=MVPに輝いた石井貴(中央)は、犬伏(左端)にユニホームを引っ張られながらも、真っ先にベンチを飛び出す。後方は拍手する松坂(撮影・清水貴仁)


監督に恩返し、石井貴MVP/日本シリーズ

シリーズ2勝目を挙げ、MVPに選出された石井貴(共同)

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 初戦と第7戦で勝ち投手となり、シリーズMVPとしてお立ち台に上がった石井貴は「まさかこんな賞を取れるとは…」と口にした。計13イニングを無失点の抜群の安定感。レギュラーシーズンで1勝の投手が、大舞台で2勝を挙げた。

 第1戦は気迫を前面に出し、7回を2安打、無失点で大事な初戦をものにした。この日は疲れからか、直球が走らない。それでも、数年前から肩の衰えをカバーするために覚えたシュートやスライダーで揺さぶる投球でしのぐしたたかさで6回無失点で切り抜けた。

 前日は、弟分の松坂が134球の熱投で希望をつないでくれた。「大輔に便乗したって感じかな」と照れたが、心の中には当然、期すものがあった。

 「なかなか勝てずに迷惑をかけた。これで使ってくれた監督に、少しは恩返しができたかな」と、笑顔を見せた。

[2004/10/25/23:20]

写真=シリーズ2勝目を挙げ、MVPに選出された石井貴(共同)


6年目の悲願だ松坂/日本シリーズ

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 6年目の悲願達成だった。西武松坂はプロ初の日本一を実感するのに少し時間がかかった。「あっけないというか…。最後に(スコアボードに)日本一と出ているのを見て、実感がわいてきました」。98年に横浜高で甲子園春夏連覇の経験はあるが「そのときとは全然違いますね。プロ入って6年でやっとですから」。

 伊東監督の起用に疲れも吹き飛んだ。「5回ぐらいに、『7回か8回にいけるか』と言われました」と喜んで連投を受け止めた。日本一チームの大黒柱は、最後まで仕事をまっとうした。今年はアテネ五輪も、プレーオフもあった。今、1番したいことに「自分の中のスイッチをしっかり切ってしまうことですかね」と話す。04年の戦いは最高の形で終わった。

[2004/10/26/07:31 紙面から]


松坂、連投にも充実感/日本シリーズ

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 第6戦に先発し、134球を投げた西武松坂が8回からリリーフで登板。2人の走者を出したが無失点で切り抜け、守護神の豊田にバトンをつないだ。

 松坂は「5回ぐらいから準備をしていた。一人一人の打者に集中して、普段通りに投げられた」と充実感いっぱいの表情を見せた。

 入団6年目で初の日本一をつかみ取った“怪物”は「オーロラビジョンに(日本一と)映し出されたのを見て、実感がわいてきました」と喜びをかみしめていた。

[2004/10/25/23:34]


カブ日本一導く特大2ラン/日本シリーズ

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 優勝は、日本一は、オレが手繰り寄せる。3点を先制した3回2死二塁。西武カブレラは狙っていた。第4戦でまったく打てなかった山井のスライダー。その軌道の残像をはっきりと脳裏に浮かべていた。外角低め。決して簡単な球ではなかったが、イメージ通りだった。打った瞬間、結果が出た。バットを放り投げ、両腕を突き上げた。4階席を直撃し、勝負の行方を決定づけた特大2ラン。やっぱり頼れる男だった。

 「第4戦でやられた時に、自分の中では、山井はスライダー投手というイメージだった。だからスライダーを狙っていたんだ」。敗戦の中から学んでいた。もう、やられるはずがなかった。完ぺきに対応し、チームを日本一に導いた。「2年前、日本一を逃した悔しさがあった。今年は絶対優勝しようってみんなに言ってたんだ。最高にハッピーだ」。達成感が、体全体にあふれ出た。

 有言実行だった。ダイエーとのプレーオフ第2ステージを控え、カブレラの右腕が悲鳴を上げた。3月に骨折した右腕尺骨に痛みが出た。欠場も考えた。そんな時、ともにチームを支えて来たフェルナンデスが声を掛けてくれた。「君はラインアップにいるだけでいいんだ。それが重要なんだ。後ろに君がいれば、相手は僕と勝負してくれる」。その言葉に、カブレラは出場を決めた。「今は60%の状態だけど、日本シリーズまでには必ず100%にする」と誓っていた。

 プレーオフでは、そのフェルナンデスが打ちまくった。そして、迎えた日本シリーズで、カブレラは約束を果たすかのように100%の活躍を見せた。3本塁打、9打点。最後の瞬間、投手の豊田の頭上に上がった打球を必死に捕りに行った。奪うようにしてウイニングボールをつかんだ。「これは宝物。ウチに持って帰るんだ」。伊東監督に渡すこともせず、そっとバッグに忍ばせた。最後に1つだけ、わがままを貫いた。最強の助っ人は無邪気に、心から優勝を喜んだ。【竹内智信】

[2004/10/26/08:22 紙面から]


カブレラ2ランでV貢献/日本シリーズ

3回に2ランを放ちバットを投げ手を上げるカブレラ、天を仰ぐ捕手・谷繁(共同)

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 日本に来て4シーズン目。初めての日本一となるウイニングボール、渡辺の飛球をカブレラが自らつかみ捕りにいった。豊田と抱き合い、押し寄せたナインの歓喜の輪にもみくちゃにされた。

 昨季までの3年間で154本塁打、今季も64試合で25本塁打した豪打は、今シリーズでも十分に発揮された。第3戦の満塁本塁打を含む2発に続き、この夜は3点リードの3回に左中間席はるか上の4階席を直撃する特大2ラン。「ウイニングボールはうれしかった。チャンピオンになれてうれしいよ」とほえるように、まくしたてた。

 巨人に4連敗した2年前のシリーズでは2本塁打と孤軍奮闘。今回は自身のバットが、チームの9年ぶり日本一につながった。観客をその猛打で今季も魅了してきた怪力カブレラは「今度こそ日本一になる、とみんなに言い続けてきたからね」と、目を輝かせて勝利に酔いしれた。

[2004/10/25/23:53]

写真=3回に2ランを放ちバットを投げ手を上げるカブレラ、天を仰ぐ捕手・谷繁(共同)




ムンクの「叫び」…ではなく祝勝会でビールをかけられる西武和田(共同)

大忙しの和田に優秀選手賞/日本シリーズ

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 西武自慢の選手会長・和田が優秀選手賞に選ばれた。第7戦こそ無安打だったが、第6戦まで26塁打、長打8本はシリーズ新記録で、4本塁打はタイ記録。これだけ打ちまくれば、3併殺打の新記録があっても立派な優秀選手賞だ。「勝ててよかったですよ。短期決戦だったしね」。「疲れましたか」の質問には「もう疲れは出てます。疲れた〜」と、苦笑いもこめて思いっ切り表情を崩した。

 忙しくて、大活躍の1年だった。カブレラの故障で開幕当初は4番を任された。いくら打っても「4番はカブレラですから」と答え、主砲が帰ってくると5番に戻り、また打った。8月にはアテネ五輪でまた打った。長嶋ジャパンに白星をもたらす一発もあった。

 強行日程を終え、帰国すると球界再編問題でも奔走した。西武は堤オーナーが1リーグ推進派だけに、球団と選手会の板挟みにもなった。「僕らはオーナーとケンカしようと思っていたわけじゃない。選手会として12球団を維持した方がいいということになったから。だから活動したんです」と、複雑な立場にも負けなかった。

 迎えたプレーオフ。第1ステージ第3戦でサヨナラ本塁打を放つなど、またも打ちまくった。2年前に無安打に終わった日本シリーズでも記録ずくめの大暴れ。こんなに立派な選手会長はどこにもいないのに、一息つく間もなく、ソワソワし始めた。第1子誕生の予定日から4日が過ぎている。オフは、新米パパとして忙しくなる。【久我悟】

[2004/10/26/08:22 紙面から]


和田、シリーズタイ4発/日本シリーズ

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 投のヒーローが石井貴なら、打では和田が断然光り、優秀選手賞に選ばれた。第7戦は無安打に終わったが、シリーズタイ記録となる4本塁打を放った。「なんとか日本一のチームの力になれたのは良かった」と、誇らしげに胸を張った。

 チームの先頭に立ってプレーオフと日本シリーズを戦い抜き、ようやく重圧から解放された。プレーオフから15試合、すべてのシリーズを1勝差で勝ち抜く、胃が痛くなるような戦いを終え「本当に疲れた」とぐったりとした様子で話した。

[2004/10/25/23:42]


佐藤、日本一の1番打者/日本シリーズ

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 打ち取れそうで打ち取れない。3回2死三塁、打席に立った西武佐藤が、ドミンゴの繰り出すストレートをことごとくカットした。ただでさえ、ボークを取られてイライラする右腕の球が、徐々に上ずっていく。連続10球続けた真っすぐを、ついにセンター方向へはじき返す。ドミンゴのグラブに当たった打球はセカンドへの内野安打。今シリーズ、絶好調の佐藤が、先制タイムリーをたたき出した。

 優勝を決める大一番でも4打数2安打。日本シリーズ7試合で放ったヒットは13本で日本一チームのシリーズ首位打者だ。「自分の仕事はできたと思います。いい流れをつくれたんじゃないですか」と笑顔で話せる大活躍の裏には、打撃スタイルの確立にあった。

 ボールを引きつけて打つ徹底した右打ちだけではない。配球を読み、状況に応じて打つ方向を決めたり、球種を絞ったり、内外角のコースにヤマを張ることもある。頭を駆使した打撃を見せつけたが「シーズンの起用法を見てくれれば分かりますが、まだレギュラーじゃない。日本シリーズはレギュラーになるための試練みたいなもんなんです」と気持ちは来年の戦いに向かっている。日本シリーズだけでなく、来季こそ松井稼頭央(メッツ)が抜けた「1番打者」という大きな穴を埋めてみせる。【小島信行】

[2004/10/26/08:22 紙面から]


西武が祝勝会、ビール1200本が泡

 西武の祝勝会はチームが宿泊する名古屋市内のホテルの駐車場で行われた。まず伊東監督が「シーズンで活躍できなかった選手はこの場で活躍してくれ」。ナインの爆笑を誘った。

 和田選手会長は「新潟は地震で被害に遭われ、大変なこの時期だが、われわれも日本一を目指して頑張った。皆さんも頑張ってください」と配慮しつつ威勢良く「乾杯」の音頭を取ると、恒例のビールかけがスタート。1200本のビールは瞬く間に泡と消えた。

[2004/10/26/00:36]


日本シリーズ関連コメント集

 西武豊田「きょうは舞い上がってしまった。リードがあったし、最後だからいいでしょう。勝てばいいんです」。

 西武フェルナンデス「パ・リーグの強さを証明できた。来日中の父の前で優勝できて最高の気分だ」。

 西武中島「最後まで全部出場できたんで、いい経験でした」。

 西武高木浩「 ほっとしている。うれしい。今季は主軸がしっかりしていた。強かったと思う」。

 西武赤田「最後の最後で一番いい仕事ができてよかったです。今年1年、いい経験と勉強ができました」。

 西武細川「日本一の瞬間はボーッとしてしまって、輪の中に入れませんでした。本当にうれしい」。

 西武長田「きょうの登板は7点差があったし、シーズン通りストライク先行で行けた」。

 西武佐藤「先制点を取れたら、流れは来ると思っていた。ボチボチ仕事が出来て良かった」。

 西武平尾「(7回の)本塁打はたまたま。シーズンは駄目な時もあったけど、最後に貢献できて良かった」。

 根来泰周コミッショナー「見どころの多いシリーズだった。西武はプレーオフを通じて、もまれてきた強さがあったのではないか。中日にしても新人監督でリーグを勝ち抜いてきたのは大変だったと思う。(コミッショナーに就任して)初めてのシリーズだったが、非常に面白かった」。

 パ・リーグ・小池唯夫会長「12年ぶりの日本一おめでとう。プレーオフを勝ち抜いての日本シリーズ制覇は長い道のりでした。緊張の連続で、窮地を乗り越えての日本一に喜びも倍加したことでしょう。ファンの皆さまにも白熱したポストシーズンを楽しんでいただけた事と思います」。

 セ・リーグ・豊蔵一会長「驚異的な西武打線のパワーに脱帽です。中日も50年ぶりの日本一はなりませんでしたが、シリーズを通してみればセの覇者の名に恥じない堂々たる戦いぶりだったと思います。野球の面白さをアピールしてくれた意義深い7試合でした」。

 西武・山口弘毅オーナー代行「伊東監督、コーチ、選手のみなさん、日本一おめでとうございます。今季のスローガン通り、チーム全体で“挑戦”し、そしてつかんだ栄冠でした。応援していただいたファンの方々にお礼申し上げます」。

 中日・白井文吾オーナー「勝てなかったのはファンに申し訳ないが、僕はあまりがっかりしていない。大変よくやったと思うし、来年はもっといい試合をお見せできるんじゃないかな」。

[2004/10/26/00:08]


オレの敗北、オレの宿題/日本シリーズ

50年ぶりの日本一を果たせず厳しい表情で西武の優勝セレモニーを見つめる落合監督(撮影・清水貴仁)

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 50年ぶりの日本一は、ならなかった。中日は3回に先発ドミンゴが突如崩れると、試合の主導権を取り戻せなかった。持ち味の守備、走塁でミスが出た。しぶとかった打線も8回まで0行進。9回に意地の2点を奪うのが精いっぱいだった。就任時に日本一を公約し、オレ流采配で選手の力を引き出してきた落合監督だったが、夢は05年に持ち越しとなった。

 長い1年は、敗戦で幕を閉じた。試合終了の瞬間、ベンチの落合監督は穏やかな笑みをたたえていた。1度は王手をかけ、手の中に入れたかに思えた50年ぶりの日本一が、すり抜けていった。オレ流と呼ばれた監督は、悔しさと少しの満足感が交錯する感情を笑みで包み隠した。表彰式終了後にはコーチと選手とともに右翼席前で一礼。内野席にも一礼。腰を90度に曲げて深々と頭を下げた。熱い声援を送ってくれたファンへの感謝のあいさつ。その目は少し潤んでいた。

 落合監督 勝負事で負けて悔しくない人はいないでしょ。選手は去年の秋からよくここまでたくましくなってくれた。選手は約束を果たしてくれたけど、監督が最後の約束(日本一)を果たせなかった…。オーナー、選手、ファンとの約束を果たせなかったな。

 逆王手をかけられて迎えた最終決戦。大一番に慣れていないナインは、硬さからミスを連発した。3回の一挙5失点は、守りの要だった荒木、井端の送球ミスがからんだ。ドミンゴのボークに始まり、自滅による大量失点だった。攻めても、走者は出すがかえせない。2回には二塁走者リナレスが、まさかのけん制死。井端は4回無死二塁の打席で、見逃し三振を喫した際にカウントを間違えたようなしぐさ…。最後に2点を返したのが、せめてもの意地だった。

 王手をかけて戻った名古屋。しかし「あと1勝」が遠かった。最初で最後となっている日本一は54年。これが50年という時間の「重み」なのだろう。5度続けてシリーズに敗れたのは、ワーストタイとなった。呪縛(じゅばく)とは無縁と思われたオレ流野球でも「ナゴヤの呪(のろ)い」を解くことはできなかった。

 それでも落合監督は前を向いた。「05年の宿題として(日本一を)残してくれたということかな。課題? これから考える。今日は何も考えたくないな。明日からまた考えるよ」。日本一という重い宿題を残したオレ竜軍団は、11月1日の沖縄秋季キャンプから再出発する。【伊藤馨一】

[2004/10/26/09:10 紙面から]

写真=50年ぶりの日本一を果たせず厳しい表情で西武の優勝セレモニーを見つめる落合監督(撮影・清水貴仁)


落合監督、試合回顧を拒否/日本シリーズ

帽子をとり、ファンに一礼してグラウンドを後にする中日・落合監督

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 中日の落合監督はこの試合を振り返ることを拒んだ。小さなほころびから悪夢は始まった。3回1死二塁。打ち気のない投手、石井貴への3球目。見逃し三振と思われたが、ドミンゴがボークをとられ走者が三塁へ進んだ。

 2死、佐藤のゴロをドミンゴがグラブに当て、二塁手・荒木が捕ったが間に合わない。これでドミンゴが崩れた。連打でもう1点。さらに送球を走者に当てる失策でもう1点。そして、カブレラの2ランで致命的な5失点を喫した。中日の最大の武器、守りが最後に乱れた。落合監督が振り返りたくない気持ちも分からないではない。

 「勝負どころを見誤った。7試合を通してだ」と、努めて無表情を貫く。「最後の約束を果たしてやれなくて残念。それはこっちの責任。誰も責められない」と淡々と口にしたが、「負けて悔しくない人は1人もいない」と本音をのぞかせた。

[2004/10/26/00:38]

写真=帽子をとり、ファンに一礼してグラウンドを後にする中日・落合監督


立浪3度目挑戦実らず/日本シリーズ

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 中日山本昌と立浪は3度目の日本一挑戦も実らなかった。

 第5戦で王手をかけて優位に立ったが、本拠地ナゴヤドームで返り討ちに。立浪は「向こうは短期決戦を勝ち抜いてきた。ピッチャーもいいし、クリーンアップもしっかりしている」と西武の強さを認め、39歳の山本昌は「(88年と99年は)あっという間に終わったけど、今回はもつれるすごさを経験した。ぜひもう1度チャレンジしたい」と雪辱を期した。

[2004/10/26/00:35]


井上が意地のタイムリー/日本シリーズ

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 選手全員の執念を乗せた打球が、センター前に落ちた。最終回、井上が意地を見せた。7点差をつけられてはいたが無死二、三塁。豊田の変化球に詰まりながら、フルスイングで放ったタイムリーだった。「0点で終わりたくないという気持ちでボールが落ちてくれたんじゃないですか」。一矢報い、地元ファンで埋まったスタンドを初めて沸かせた。

 ラッキーボーイとしての存在感は抜群だった。勝った3試合すべてで貢献した。第2戦のスーパーキャッチ、第4戦は張から3ラン、第5戦も西口から2点タイムリー。4試合連続打点はシリーズタイ記録だ。敢闘賞にも選ばれた。「すごく集中してプレーできていたので、その点は素直にうれしい」。無安打に終わった99年のシリーズからは見違えるほどたくましくなっていた。

 悲願の日本一を逃し、笑顔はない。悔いがないと言えばウソになる。ただ、全力を出し切った実感はある。「負けたけど、みんな手を抜いていたわけじゃないから仕方がない。勝ち負けは必ずつくもの。またこの上を目指して頑張ります」。充実感をチームの結果に変える戦いが、また始まる。【北村泰彦】

[2004/10/26/07:29 紙面から]


中日井上が敢闘賞/日本シリーズ

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 中日井上が9回に意地の適時打を放って、シリーズタイとなる4試合連続の打点を挙げた。

 第2戦では守備で流れを呼び戻す好プレー。第4戦では3ランを放つなど、効果的な一打も評価されて敢闘賞に選ばれた。

 「負けたことはしょうがないが、自分では集中できていたので賞は素直にうれしい」と話した。「来季への宿題を残してしまったので、その上を目指して頑張ります」と日本一奪回を誓っていた。

[2004/10/25/23:37]


落合監督夫人、風呂場でビールかけを

<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム

 球場で声援を送り続けた落合監督の信子夫人は「去年の監督就任からあっという間の1年でした。セ・リーグの優勝も成し遂げたし、よくやったという気持ちでいっぱいです」と戦い終えたナインをねぎらった。

 日本一は来年までお預けに。歓喜のビールかけはできなかったが、「風呂場でビールかけをしてあげたい」と話した。

[2004/10/25/23:32]


スポーツニッポン




ポストシーズン15戦制し 伊東西武が日本一


 
 
<中日−西武>12年ぶりの日本一となり、ナインに胴上げされる西武・伊東監督(共同)  

<中日−西武>12年ぶりの日本一となり、ナインに胴上げされる西武・伊東監督(共同)

 【西7−2中】レオの舞いだ。西武が148試合目に有終の美を飾った。3勝3敗で迎えたシリーズ第7戦。西武は3回、カブレラの左中間3号2ランなど打者10人で5点を奪い、先発の石井貴も気迫で6回無失点に抑えた。8回にはエース松坂も投入。133試合のレギュラーシーズン2位からプレーオフ、シリーズの15試合を戦い抜き、12年ぶり12度目の日本一をつかんだ。伊東監督は史上7人目の新人監督日本一、MVPには2勝を挙げた石井貴が選ばれた。

 無邪気にはしゃぐナインがまぶしい。伊東監督の目が潤んだ。三塁側ベンチから力強く、ゆっくりと歩を進める。148試合を戦い抜いての栄冠だ。1度、2度…。両手をめいっぱいに広げながら5度宙に舞った。

 「なんかウソみたい。信じられない気持ちです。プレーオフからすべて消化して全試合をクリアした選手たちは一戦一戦力をつけてくれたと思います。みんなに感謝したいです。勝ったぞーっ!」

 優勝インタビューの声は、興奮で上ずっていた。第7戦までもつれたシリーズを制して、たどり着いた12年ぶりの日本一だ。中日・落合監督との1年生監督同士の対決。現役時代、シリーズでは88年に顔を合わせた。第5戦でサヨナラ打を放って優勝を決めた指揮官は「最後まで分からない戦いになる」。戦前の予想通りに展開し、「レオの頭脳」が再び「打撃の職人」を下した。

 シーズンは2位だった。だが、今季からパ・リーグで導入されたプレーオフで日本ハム、ダイエーを撃破。シリーズを含めた計15試合の負けられない戦いの中で、選手の力ははぐくまれた。

 「リーグ優勝とは違う喜びがあるので選手に味わってもらいたい」

 第1戦から頑固な“肥後もっこす”は勝負にこだわった。誤審をめぐって49分間の中断の際には、ベンチ裏で球団首脳に「退場してもいいです」とまで言い切った。2勝3敗と追い込まれた第6戦の前日は移動休みに当てた。第5戦では和田の緩慢なプレーが致命傷となって王手を許したが、シーズンと同じ普段着野球を貫いた。

 カバンの中には常に1冊の本を忍ばせていた。86年に新人監督として日本一を遂げた森元監督の著書「監督の条件決断の法則」だ。春季キャンプ中には読み終えた。

 「そのときはまだ実戦でやってないからピンとこなかった。でも実戦をやるうちに“そう言えばあそこにこういうことが書いてあったな”と分かるようになってきた」

 マスクをかぶって8度の日本一を経験した男も監督としては新人。かつて常勝軍団を築いた恩師の教えは、1年生監督を何度も救った。第2戦での松坂起用は、広岡達朗元監督の「第2戦必勝主義」に基づくものでもあった。

 「これからは選手のことだけを考えるから家族の時間が少なくなるかもしれない」

 シーズンの開幕直前。都内の自宅で加代子夫人(40)に、そう告げた。球宴期間中の7月13日。和田、松坂が参加したアテネ五輪日本代表の壮行試合(キューバ戦)を見るため、家族全員で東京ドームを訪れた。プロ生活23年目で、初めてプライベートの時間を割いて観戦するほど、選手へ情熱を注いだ。

 激動の1年だった。オリックス、近鉄の合併問題に端を発した再編問題。史上初のストライキも決行された。リーグ優勝直後の13日には堤オーナーが辞任の意向を表明。シリーズ期間中も、明大・一場に対する「裏金問題」で球界は揺れた。

 「お客さんが見て面白いと言ってもらえるような試合をしたい」

 プロとして野球の素晴らしさを追求した1年。日本一を手にした42歳の青年監督は真っすぐに、未来を見つめた。黄金時代の復活へ。この栄冠はまだ序章にすぎない。


男気で13回を無失点 石井貴が涙のMVP


 
 
<中日−西武>MVPに選ばれた石井貴はカブレラの手荒い祝福を受ける  

<中日−西武>MVPに選ばれた石井貴はカブレラの手荒い祝福を受ける

 【西7−1中】足の痛みも忘れて何度も歓喜の輪の外で跳び上がった。石井貴の目には涙がたまっていた。第1戦の7回無失点に続く、6回3安打無失点で2勝。文句なしのMVPでお立ち台の声は震えた。

 「きのう(24日)大輔がつないでくれた。何とか“男気”に便乗することができた。まさかこんな賞が頂けるとは思わなかった。リハビリに苦しんで、頑張って本当によかった」

 2回、谷繁の打球を左すねに受けたが、冷却スプレーをかけただけで投げ続けた。「痛みを忘れてた。その代わり今は痛くて無理だけどね」。引きずる足は激闘の代償。突き抜ける喜びがその痛みを癒やしてくれた。

 大一番を前に宿舎で小学2年生の時に脳出血で他界した父・秀さん(享年42)の形見とした数珠を握り締め、祈った。「力を貸してくれ」。左尻のポケットにその数珠を入れて投げ抜いた90球。「数珠は親父そのものだからね。これでいい投球ができたし、いい報告ができる」と天に目線をやってつぶやいた。

 シーズンわずか1勝に終わった男が83年松沼雅(西武)以来2人目の防御率0・00を達成。シーズン1ケタ勝利の投手がシリーズMVPを獲得するのは史上初だ。すべては伊東監督を胴上げするためだった。5月18日のオリックス戦(ヤフーBB)で白星を挙げた翌日、指揮官から自宅に花束が届けられた。その時の花は枯れたが「監督を男にする」との思いは心に広がった。その心を知ってか指揮官は「大一番でチームを代表していい投球をしてくれた」と最大級の賛辞を送った。

 11日のリーグ優勝時は「体が冷える」として日本シリーズを見据え、ビールかけを自粛。この日の祝勝会も足の痛みもあって、乾杯だけで退席した。だが、満足だ。右肩痛で苦しんだ2年間のつらい思いも、一時はトレード要員にも挙げられた悔しさも、すべてをシリーズMVPという勲章が忘れさせてくれた。

 

 


松坂 プロ6年目で初の頂点に


 
 
<中日−西武>ポーズをとり記念写真に納まる松坂(左)と豊田(共同)  

<中日−西武>ポーズをとり記念写真に納まる松坂(左)と豊田(共同)

 【西7−2中】松坂は最後までグラウンドに残り、何枚も記念写真を撮った。これが夢にまで見た日本一の味だ。「点差もあったし、最後は何だかあっけなくて…。これで日本一なのかな、と思った」。プロ6年目。ついに怪物が頂点に上り詰めた。

 前日には8回2失点でシリーズ初勝利。「もちろん、あしたも投げます」と宣言し、有言実行で8回のマウンドに立った。1死から荒木に右翼線二塁打。立浪に四球を与えて2死一、二塁としたが、最後はこん身の150キロ直球でアレックスを左飛に仕留めた。22球。松坂が最後に成し遂げた“大仕事”だった。

 「甲子園と比べて?やっぱり長さが違う。プロに入って6年やってきて、その長い年月を考えると、やっぱり大きいです」

 98年夏、しゃく熱の甲子園では連投に次ぐ連投で横浜を全国制覇に導いた。プロ入り後、2日連続の登板は02年8月4日のダイエー戦、5日の近鉄戦の1度だけ。いずれも中継ぎだった。先発の翌日にリリーフ登板。その情熱に、勝利の女神がほほ笑んでくれた。

 プレーオフ、日本シリーズと25日間、15試合の激闘。松坂はそのうち6試合に投げた。「次?自分の中のスイッチを切って休みたいです」。戦い抜いた怪物は、ようやく休息の時を迎える。






王手から本拠で連敗…落合竜 夢かなわず


 
 
<中日−西武>帽子をとり、ファンに一礼してグラウンドを後にする落合監督  

<中日−西武>帽子をとり、ファンに一礼してグラウンドを後にする落合監督

 【中2−7西】歓喜の西武ナインが遠くに見えた。ゆっくりと右翼スタンドに向かった落合監督は、帽子を取って深々と頭を下げた。こんなはずではなかった。手をかけていた50年ぶりの日本一。悔しさを押し殺すのに必死だった。

 「悔しい?勝負事に負けて悔しくない人間はいないだろ。勝負どころを7試合通して見誤った。選手は約束を果たしてくれたのに、一番最後の約束を果たせなかったのはこちらの責任」。落合監督は日本シリーズを含めた今季の145試合を静かに振り返った。

 逆王手をかけられて迎えた第7戦。投手11人をベンチ入りさせて総力戦で臨んだ。ところが、ドミンゴが3回1死二塁からボークをきっかけに3点を失い、代わった山井がカブレラに特大2ランを浴びた。重い5点。逆境を何度もはね返してきた打線も石井貴に封じられ、エース川上を投入するチャンスもなかった。

 昨年10月。落合監督は就任会見で「こういう野球、こういう練習をやったことないんじゃないのっていうような野球を目指す」と言って、1年目の日本一を宣言した。春季キャンプでは1、2軍を撤廃し、初日からいきなり紅白戦実施。シーズンでも右投手に対して左打者へ、あえて右の代打を送るなど“球界の常識”を覆した。「いきなり日本一なんて、何を言ってるんだろうと思った」と井端は振り返ったが、その違和感は厚い信頼から確信に変わり、リーグ優勝。結果を残すことで周囲の雑音を封じたのは現役時代と変わらぬ“オレ流”そのものだった。

 来季に向けた秋季キャンプは11月1日にスタートする。「これだけいい選手を預かってよかった。2005年に宿題を残した。もっともっと、たくましくなるよ、このチームは。ドラゴンズは誇れるチームだと思う」。指揮官は1年間を戦い抜いた選手を称え、来季について聞かれると「きょうはなーんにも考えたくない。あしたから考えるよ」と笑みをこぼした。

 夢は05年へ。中日は“オレ流”でさらに強く、たくましくなる。




スポーツ報知



伊東西武日本一 12年ぶり12度目
2004年日本シリーズ第7戦

 パ・リーグのシーズン2位からプレーオフ、日本シリーズをすべてフルセットの戦いで勝ち抜き、西武が12年ぶり12度目(西鉄時代の3度を含む)の日本一に輝いた。3勝3敗で迎えた第7戦は、先発・石井貴の好投とカブレラの3号2ラン、さらには松坂が3番手でリリーフ登板するなど西武が快勝。今シリーズ終了後に辞任する堤義明オーナー(70)に“最後の日本一”を贈った。


  1 2 3 4 5 6 7 8 9
西武 0 0 5 0 0 1 1 0 0 7
中日 0 0 0 0 0 0 0 0 2 2
[勝]石井貴 2試合2勝
[敗]ドミンゴ 2試合1敗
[本]カブレラ3号2ラン(山井・3回)、平尾1号(平井・7回)


伊東監督の体が歓喜の輪の中で何度も宙を舞った(カメラ・斉野 民好)
伊東監督の体が歓喜の輪の中で何度も宙を舞った(カメラ・斉野 民好)
 焦る必要はどこにもなかった。勝敗はとうに決している。歓喜の瞬間、ベンチをゆっくりと出た伊東監督は、守護神を中心にできた輪の中に静かに身を委ねた。1度、2度…、5度。02年の巨人・原監督以来7度目となる就任1年目の新人監督が再び宙に舞い、至福の時に酔いしれた。

 「プレーオフからすべての試合をクリアして、選手がひと試合、ひと試合成長してくれた。やってくれると信じてました。ここに立っているのは信じられない」王手を掛けられてからの逆転V。インタビュアーからファンへのメッセージを求められ「勝ったぞ〜」とお立ち台で絶叫して勝利監督インタビューを締めくくった。

 シーズン2位からの“成り上がり”日本一。公式戦で勝率が2位以下のチームがシリーズを制するのは3度目のことだ。今季両リーグで最多となる148試合目でつかんだ栄光への道のりは長く、険しいものだった。9回、選手会長・和田のサヨナラアーチで日本ハムを粉砕したプレーオフ第1ステージ。第2ステージでは粘る王者・ダイエーを延長10回、振り切った。常に最終戦までもつれ込む、タフな戦い。激闘を制していくうちに、たくましく成長していった“弟”たちの姿を指揮官は頼もしげに見つめた。

 “オレ流”と相まみえるのは2度目。16年の時を経て、再び勝利を収めた。88年、中日との日本シリーズ。捕手・伊東は円熟の時を迎えていた主砲・落合を打点0に封じ、日本一を呼び込んだ。時を同じくして任を受けた新人監督。表にこそ出さなかったが、ライバル心はメラメラと心の奥底で燃えていた。

 日本シリーズ第1戦、審判の判定を巡って試合が49分間、中断した。火の国、熊本の生まれ。体に流れる肥後もっこすの血が煮えたぎった。筋の通らないことは許さない。強い信念に基づいて簡単には譲らなかった。諭すように、冷静に審判に対する敵将とは対照的な姿で士気を鼓舞した。

 引退後、即監督に就任。選手に近い位置で物事を考えた。「選手の時はオレもその方がよかったから」と2日試合が空く時は1日目に練習して、2日目は完全オフにした。控え選手とも積極的にコミュニケーションを取り、2軍から上げた選手をすぐにスタメン起用した。「誰かがいなくなっても、誰かが出てきた」選手のモチベーション維持に努めた結果が実を結んだ。

 「ライオンズにとってAクラスは何の意味もない。優勝あるのみです」2月の春季キャンプ。宮崎・南郷を訪れた堤オーナーはナインを前に訓示を行った。待望の生え抜き監督を誕生させたその年、オーナーは西武鉄道株の虚偽記載問題で職を辞す。去り際に12年ぶりの日本一という花を添えることができた。

 球界の新盟主として、ひとつの時代を形成した「常勝西武」はオーナーが表舞台から去ることで一時幕を閉じる。だが、若いチームは無限の可能性を秘めている。西武に、再び黄金期が訪れた。(田中 俊光)

 西武・伊東監督「胴上げは信じられない気持ち。今日は悔いのないようにとだけ思っていた。プレーオフから1試合1試合選手が大きく成長してくれたのが実感。4、5戦と連敗した時も負ける気はしなかった。プレーオフで戦った日本ハムとダイエーに感謝したい。そして、第7戦までしのぎを削った中日の選手にも敬意を表したい」  

5回2死三塁、代打・森野を三振に打ち取り雄たけびをあげる石井貴(カメラ・津高 良和)
5回2死三塁、代打・森野を三振に打ち取り雄たけびをあげる石井貴(カメラ・津高 良和)

石井貴MVP 6回3安打無失点
2004年日本シリーズ第7戦

 持てる気力は全て使い果たした。マウンドからベンチへ、震える足取りで歩を進めた。無失点でまとめた6イニング。戻ったベンチの中で、石井貴は大きく息を吐き出した。「きのう、ダイスケ(松坂)がいいピッチングをしてつなげてくれたので、その男気に便乗して投げました」エースから受け取った男気を大一番でみせて、チームに12年ぶりの日本一をもたらした。

 あふれ出る気迫をボールに込めた。「大切な試合だから、最初から飛ばしていきました」集中力を切らさずに、速球、スライダーを低めに集めて連打を許さない。6回をわずか3安打無失点。7回を無失点に抑えた第1戦に続き、日本一の行方を決める第7戦も点を与えず、無傷で2勝。初のシリーズMVPを手にした。「まさかこんな賞をいただけるなんて…。たまたま投げる機会をいただいて、たまたまいいピッチングができました」感激のお立ち台で声を弾ませた。

 レオ投を引っ張るリーダーも、ここ数年は故障続きだった。「この2年は肩が痛くて我慢してリハビリしてきました」99、00年と2年連続2ケタ勝利をマークしながら、右肩痛で昨年はわずか1勝。復活をかけて体質改善に取り組んだ。栄養士と契約して食事のメニューを作り、サプリメントを摂取した。ウエートトレーニングもやみくもにこなすのではなく、プレーに必要なものだけを取り入れた。レギュラーシーズン1勝の右腕がシリーズで2勝。第5戦でもブルペンに入り、フル回転する覚悟で臨んだ。「この大一番で、チームを代表していい仕事をしてくれた」伊東監督も、ベテランの好投にただ頭を下げるばかりだった。(秋本 正己)


 

松坂は8回から登板、連日の熱投を見せた
松坂は8回から登板、連日の熱投を見せた

松坂連投リリーフ 気合で抑えた
2004年日本シリーズ第7戦

 そのアナウンスに、ドラゴンズ党で埋まったスタンドが、どよめいた。「ピッチャー・松坂」―。第6戦で134球を投げたエースの、まさかの連投。7点リードの8回、松坂はゆっくりとマウンドに上がった。「第7戦? もちろん投げます。連投? 大丈夫でしょう」第6戦の試合後に宣言した通りの怪物右腕の登場。1死から荒木に右翼線二塁打を浴びるなど、2死一、二塁のピンチを招いたが、最後はきっちりと4番・アレックスを左飛に打ち取った。魂を込めた22球。無失点で、バトンを最終回の豊田につないだ。

 初めての日本一の瞬間。歓喜の輪には、すぐには加わらなかった。その感激は、まず静かに味わった。そして、ベンチ前で、伊東監督と交わした握手。シドニー、アテネと連続で出場した五輪では、周囲が期待した金メダルをつかめなかった。そして、日本シリーズでも、第6戦に先発するまで0勝3敗。大舞台に弱いというレッテルは、自らの手ではぎとった。「きょう勝てたのも、ダイスケ(松坂)で勝った第6戦があったから」と伊東監督。高校時代はトップであり続けてきた男が、プロでもついに頂点を極めた。  
◆西武西口残留へFA行使せず

 今季、フリーエージェント(FA)権を取得した西武・西口文也投手(32)が、権利を行使せず、西武に残留する意向であることが分かった。25日、ナゴヤドームで「球団と話をしてからになるが、多分使わないと思う。まず球団と話をしてから」と話した。同じく権利を所有する上田浩明内野手(35)は「球団の話を聞いてから」と権利行使に含みを持たせた。
 

3回2死二塁、カブレラは左中間に2ランを放ちバットを放り投げた(捕手・谷繁=カメラ・斉野 民好)
3回2死二塁、カブレラは左中間に2ランを放ちバットを放り投げた(捕手・谷繁=カメラ・斉野 民好)

カブ弾!! 特大2ラン3回大きな5点
2004年日本シリーズ第7戦

 力なく上がった渡辺の打球を、守護神・豊田から奪うように後ろからミットに収めた。プレーオフを制した時のような爆発する喜びはない。ただ、ほっとしたような笑みを浮かべ、チームメートと次々と抱き合った。

 大一番でもカブレラであり続けた。3回、中日の先発・ドミンゴをKOし、なお2死二塁。2番手・山井の甘く入ったスライダーを左中間席にたたき込んだ。打球は4階席レストランのテラスを直撃する2ラン。ダメ押しの特大弾に、フルスイングした直後に両手を高々と挙げた。

 この男が4番に座る意味は、今シリーズの3本塁打という数字だけでは計り知れない。カブレラのパワーを恐れるあまり、中日が「一番ポイントになる選手」に挙げていたはずの和田への集中力が欠けた。その結果、和田も4本塁打。日本シリーズタイ記録となるチーム計68安打が示す波状攻撃へとつながった。

 3月オープン戦に右手尺骨骨折で戦線離脱し、6月に復帰。そこからの64試合で25本塁打と、故障前と変わらない驚異的なペースでアーチを量産した。すべては出遅れて迷惑をかけたチームに貢献したい一心だった。

 2年前の巨人との日本シリーズでは4連敗の屈辱を味わった。「オレたちはボーイでいちゃダメなんだ!」巨大な波にのみ込まれ、自分たちの力を出し切れないまま終えた悔しさをバネに、レオ・ナインを少年から男へと成長させたのだ。

 来日4年目の今季はフェルナンデスの“教育係”の役割も任された。ロッテ時代にはあまり見られなかった全力疾走など、西武スタイルの野球を相棒に植え付けていった。27日には長男・ラモン君(15)の待つ母国・ベネズエラに帰る予定。最愛の息子に、チャンピオンになった報告ができる。(河井 真理)  

7回無死、平尾は右越えにソロを放つ
7回無死、平尾は右越えにソロを放つ

中島!!佐藤!!赤田!!若獅子ほえた
2004年日本シリーズ第7戦

 伊東レオの申し子たちが、一気に頂点まで駆け上がった。青年監督に見いだされた若獅子は、試合に出られる喜び、大舞台を戦える幸せを体全体で表現した。長く、充実した1年間。激闘の果てに味わう至福の瞬間は最高だった。

 待ったなしの第7戦。若い力が日本一への道を照らした。3回。先頭の中島がチーム初安打を右前に運んだ。2月の南郷キャンプで土井ヘッドコーチが「清原になれる」と評した逸材。「1年間使い続ける」という指揮官の言葉に、22歳の中島は全試合フルイニング出場で応えた。今季27本塁打、シリーズでも2アーチ。背番号3は、もう重い番号ではなくなっていた。

 2者が倒れ、2死三塁。0―0の均衡を破ったのは、新生レオのリードオフマン・佐藤だ。ドミンゴとの力勝負。全球直球の10球目、「エラーでもいいから塁に出よう」と151キロを気持ちではじき返す。ピッチャー強襲の先制打は、この回5得点の猛攻へつながった。「シリーズでMVPをとるのが夢」と話していた26歳。ひざを中心に、足の疲労は限界に達していた。満身創痍(い)の中、シリーズ通算13安打。西武の1番に君臨してきた松井稼頭央とタイプは違う。だが西武にとって、佐藤は紛れもなく理想の1番打者となった。

 2番に定着した24歳の赤田も、3安打1盗塁と縦横無尽に駆け巡り、伊東野球を体現した。シーズン、プレーオフ、そして、日本シリーズ…使われることで力を培い、大きく羽ばたいた。手に入れた日本一。若獅子たちの大いなる可能性は、西武黄金時代の再来を告げた。(宮脇 央介)  
◆首脳全員残留

 西武の1、2軍スタッフ全員が残留の方向であることが25日、分かった。世代交代を迫られたチーム状況の中、投手陣は帆足、大沼、小野寺らが力をつけ、リーグトップの防御率を誇るまでに成長。打撃陣も佐藤、赤田、中島ら若手がレギュラーに定着するなど、コーチ陣の高い指導力を球団は評価した。11月上旬に宮崎・南郷町で行われる秋季キャンプでV2への再スタートが切られる。
 

1200本ビールかけ 仮装祝勝会

 西武の祝勝会はチームが宿泊する名古屋市内のホテルの特設会場で盛大に行われた。赤田、中島ら若手選手はスパイダーマンや孫悟空、鬼太郎などにふんして登場。まずは伊東監督が「シリーズで活躍できなかったやつはここで頑張ってくれ」という言葉で場内を盛り上げた。和田選手会長は「新潟は地震で被害に遭われ、大変なこの時期だが、われわれも日本一を目指して頑張った。皆さんも頑張ってください」と被災地に配慮しつつ威勢良く「乾杯!」の号令でビールかけが一斉にスタートした。

 松坂は乾杯してすぐに退場したが、用意されたビール1200本はわずか15分で消えた。また、ファンの乱入などを防ぐため周辺道路を封鎖し、警備員約30人を配置する厳戒態勢がとられた。
 
◆堤オーナー沈黙

 西武鉄道の持ち株比率虚偽記載問題でこのシリーズ限りでの辞任を発表している西武・堤オーナーは日本一決定にも沈黙を貫いた。球団買収後、9度目の日本シリーズ制覇だが、堤オーナーがコメントをしなかったのは初。代わりに山口弘毅オーナー代行(67)が「伊東監督、コーチ、選手のみなさん、日本一おめでとうございます。今季のスローガン通り、チーム全体で“挑戦”し、そしてつかんだ栄冠でした。応援頂いたファンの方々にお礼申し上げます」とのコメントを広報を通じ、発表した。
 

竜50年ぶりの悲願ならず
2004年日本シリーズ第7戦

 感謝と懺悔(ざんげ)の気持ちだった。セレモニーの終了後、落合監督が右翼スタンドへ向かって歩き出した。チームが一列に並ぶのを待ち、スタンドに向かって帽子を取り、深々と頭を下げた。「最後まで残ってくれて、あれが礼儀でしょ。選手は約束を果たしてくれたけど、監督が約束を果たせなかったことがすべて。勝負ごとに負けて悔しくない人間はいないよ」自分の悔しさは押し殺し、ファンへ最後のけじめをつけた。敗軍の将へ温かい「落合コール」が降り注いだ。


  1 2 3 4 5 6 7 8 9
西武 0 0 5 0 0 1 1 0 0 7
中日 0 0 0 0 0 0 0 0 2 2
[勝]石井貴 2試合2勝
[敗]ドミンゴ 2試合1敗
[本]カブレラ3号2ラン(山井・3回)、平尾1号(平井・7回)


3回2死二塁、3点を取られたドミンゴ(左から2人目)に交代を告げる落合監督(左から3人目=カメラ・朝田 秀司)
3回2死二塁、3点を取られたドミンゴ(左から2人目)に交代を告げる落合監督(左から3人目=カメラ・朝田 秀司)
 144試合かけて築き上げてきたものが、たった1イニングで崩壊した。3回、ボークが絡んで先制点を許すと、名手・井端の失策も飛び出して3点目を献上。慌てて指揮官がドミンゴから中3日の山井にスイッチしたが、直後、カブレラに勝負を決める2ランを浴びた。「勝負どころを見誤った。シリーズ7戦を通じてそうだった」と、オレ流監督は悔やんだが後の祭り。鉄壁の守備陣が、今年最大の大一番で自滅してしまった。

 昨年10月8日、監督就任会見で「セ・リーグを制して、日本一になる」と宣言。東京の自宅の仏壇には「リーグ優勝 日本一」と今年の目標を記した封筒が供えられている。色紙に好きな言葉を添えるときは、迷わず「日本一」と書いた。望んでやまない勲章。3冠王に3度輝くなど、打撃タイトルを総なめにした現役時代に、しかし、その称号とは不思議と縁遠かった。

 選手で3度経験した日本シリーズで、残した打点はわずか1。94年、FA移籍した巨人で唯一頂点を極めているが、自身はリーグV決定戦で左足内転筋を断裂したため、わずか1試合の出場に終わった。初出場の88年は、中日の主砲として打点を挙げられずに敗退。第5戦で西武の日本一を決めるサヨナラ打を放ったのが、伊東監督だった。「4番で負けた…」と、涙してから続いた苦い記憶…。17年越しの因縁対決でも、結局、リベンジを果たすことはできなかった。(橋本 純己)  
◆名古屋のファンV逸記念ダイブ

 名古屋市中区の中日ビル1階に設置された37インチワイドテレビの前には1000人以上の中日ファンが観戦、悲願の日本一の夢は実らなかった。敗戦の瞬間は悲鳴とため息がもれたが、直後には大きな拍手が。「よかったぞー、ドラゴンズ!」と、最後はねぎらいの声が響いた。興奮した一部のファンが胴上げや応援歌を熱唱したが、大きな混乱もなし。また、リーグ優勝時に飛び込みが相次いだセントラル公園の噴水には警官約40人が警戒したが、数人のファンが飛び込んだ。
 
デイリースポーツ



西武が12年ぶりの日本一
12年ぶりの日本一となり、ナインに胴上げされる西武・伊東監督=ナゴヤドーム
12年ぶりの日本一となり、ナインに胴上げされる西武・伊東監督=ナゴヤドーム

 中日2−7西武

 日本シリーズ第7戦は25日、西武が7―2で中日を破り、通算4勝3敗で12年ぶり9度目の日本一となった。

 いくつかの幸運も交じり、三回の西武の5点がしるされた。まず二死三塁からドミンゴがはじいた内野安打で先制。さらに失策などで2点を加えた後、カブレラが特大2ランで締めた。

 石井貴も好投した。六回まで3安打で得点を与えず、勝利を確かなものにしていった。西武は六、七回にも平尾の一発などで加点し、リリーフ陣も反撃を2点に抑えた。

 中日は不本意な完敗だった。序盤の5点が重くのしかかり、50年ぶりの夢がついえた。

 なお、リーズの最高殊勲選手(MVP)には、西武の石井貴投手が選ばれた。


伊東監督絶叫!勝ったゾ〜
12年ぶりの日本一を決め、西武ナインに胴上げされる伊東監督
12年ぶりの日本一を決め、西武ナインに胴上げされる伊東監督

 5度も宙に浮いた。支えてくれるナインたちの手から熱き思いが伝わってきた。夢心地。決して涙は流さない。だが歓喜の胴上げを終えた西武・伊東監督の両目は赤く充血していた。「信じられない。実感がわいてこない」。新人監督としてつかんだ栄冠は、これまでに経験した頂点の味とは違った。だからお立ち台ではつい「勝ったぞー!」の絶叫が口をついた。

 先に王手をかけられた苦しいシリーズ。だが、選手を信じていた。「悔いが残らないように一生懸命やってこいと、それだけを伝えて送り出した」。プレーオフを含めて計15試合の戦いでたくましさを増したチームに、余計な言葉は必要なかった。そしてナインは見事に期待に応えてくれた。

 どうしても、堤オーナーの「花道」を飾りたかった。公式戦中は電話でさい配や監督論について意見を交わした。リーグ優勝直後に「お前を監督にしてよかった」と、初めて褒められ、目頭を熱くした。

 監督1年目。悩んだときは肌身離さず持ち歩いていた森元監督著の「監督の条件」を読み返した。「選手たち、そしてみんなに感謝したい」。新人監督が1年目で日本一の座に就くのは史上7人目。だが、伊東監督の歴史はここがスタートだ。かつての「黄金時代」を取り戻すまで、青年指揮官の戦いは終わらない。


松坂 笑った!日本一
悲願の日本一を決め、伊東監督を胴上げして喜ぶ西武・松坂
悲願の日本一を決め、伊東監督を胴上げして喜ぶ西武・松坂

 「怪物」が、ついに日本の頂点に立った。西武が、リリーフ登板した松坂大輔投手(24)の好投などで中日を下し、通算4勝3敗で1992年以来、12年ぶり9度目の優勝。日本シリーズでの敗退も5で止めた。伊東勤監督(42)は就任1年目で、新人監督が日本一になるのは02年の原辰徳前巨人監督以来、7人目。最高殊勲選手(MVP)には2勝をマークした石井貴投手(33)が選ばれた。


 プロ入りして6年目。初めて経験する日本一の味をかみしめるように、松坂はゆっくりとマウンドへと向かった。これまでの苦しみや喜びが、走馬灯のようによみがえった。伊東監督を胴上げした両手は、感動で震えていた。

 前日は8回を2失点、134球の熱投でチームを勝利へと導いた。最終決戦もベンチで待機。八回、ナゴヤドームに「松坂」のコールが鳴り響くと、ざわめきの中でマウンドに向かった。

 チームのため、疲れも忘れ、汗だくになりながら投げ込んだ。速球は最速152キロを計時。二死一、二塁。アレックスを左飛に仕留め無失点に抑えると、いつもと変わらぬ淡々とした表情でマウンドを降りた。

 「マウンドに上がったときは普段どおりを心がけました。初めての日本一?やっぱり違いますね。やってきた期間が違いますから」。初めての頂点の経験は、やはり格別だった。

 昨年、同じ55年会のメンバーで、よきライバル、よき友のダイエー・和田が、阪神との日本シリーズで胴上げ投手になった。「自分があの場にいたかった。和田に先を越されたわけですから。今度は自分の番という気持ちで」。テレビ観戦をしながら、悔しさをかみしめた。

 年頭に最多勝、金メダルと、日本一を誓った。しかし最多勝はならず、五輪では金メダルを逃した。どうしても日本一の勲章が欲しかった。

 五輪から帰国後、江戸川南シニア時代の幼なじみが、慰労会を開いてくれた。その時、親友に誓った、日本一の座。悔しいときはいつもかばんに忍ばせている銅メダルを見て、自分を奮い立たせた。

 「今後はスイッチを切って、とにかく休みたい」。シーズン、アテネ五輪、プレーオフ、日本シリーズ…。フル回転してきた激動の年。球界再編や、ストもあった。そんな1年が、ようやく終わった。ささやかれるメジャー挑戦は、来季は封印。松坂は来季も、西武のユニホームでチームを引っ張る。


石井貴 2勝でMVP

 仲間に祝福されると、こわもての表情が緩み、最高にいい笑顔になった。西武・石井貴が、計13イニング連続無失点、シリーズ2勝でMVP。「使ってくれた監督に恩返しができたかな」。2年間、右肩痛に泣き続けた男が、最後に大仕事をやってのけた。

 熱い男がさらに燃えた。「大輔(松坂)のおとこ気に便乗させてもらった」。前日の松坂の好投が刺激になった。そしてもう一つ、第5戦後、勝利監督インタビューで落合監督が見せた涙があった。「あそこで泣いちゃいけなかったんだよ。まだシリーズは終わってないのに」。敵将の感涙で、闘争心に火がついた。

 二回には谷繁の打球が左すねを直撃したが、耐え抜いた。亡父の数珠をポケットに忍ばせ、6回無失点。試合後は左足を引きずったが、「空回りしてもいいから勝ちたかった」。第1戦に続き、シーズン1勝の男がチームを救った。


カブレラ 決着弾
三回西武、左中間に2ランホーマーを放ち、バットを投げ両手を上げるカブレラ
三回西武、左中間に2ランホーマーを放ち、バットを投げ両手を上げるカブレラ

 打った瞬間、バットをほうり投げ、両腕を天に突き上げた。三回、3点を先制し、なお二死二塁から打席に立った西武・カブレラは、代わったばかりの山井のスライダーを左中間上段の外壁にぶつけた。「万歳」ポーズのまま、一塁へと歩き出した。

 これでシリーズ3本目。優秀選手賞にも輝いた。第4戦で3打数無安打に抑えられた。この日はスコアラー陣から「中3日でキレも前回ほどではない。スライダーを狙うべき」とアドバイスを受けていた。「スライダーを狙っていたよ。感触はバッチリだった」と喜んだ。

 九回二死から、ウイニングボールとなる代打・渡辺の一飛をつかんだ。そして、ナインと抱き合って喜びを爆発させた。02年の日本シリーズでは惨めな4連敗。その悔しさは忘れていない。「あのときと比べ、みんな成長したよ。うれしい」。

 大リーグで660本塁打を記録したウィリー・メイズにあこがれて始めた野球が、遠い日本で実を結んだ。「最高にハッピーだよ」。史上最強の助っ人は、子供のような笑顔を見せた。


和田4発!優秀賞ゲット
美酒に酔う西武・和田
美酒に酔う西武・和田

 西武・和田が4発の実績を評価され、優秀選手賞をゲット。この試合こそ不発に終わったものの「短期決戦でもチームの力になれたという実感がある」と満足げ。かつての“逆シリーズ男”返上の働きに「初めてだし、遠いところにあったものだから」と喜びを爆発させていた。


豊田 仁王立ち
日本一を決め、バンザイをして喜ぶ西武の守護神・豊田
日本一を決め、バンザイをして喜ぶ西武の守護神・豊田

 両手を高々と突き上げた。セーブこそつかなかったが、堂々の胴上げ投手だ。西武の守護神・豊田がシリーズタイ記録の3S。すべての勝ち試合に登板して日本一に導いた。

 松坂からバトンを受け九回のマウンドに上がった。不運な当たりもあり3連打で2点を失った。だから最後はウイニングボールをつかみたかった。二死三塁から渡辺の打球はマウンド右へ。一塁手・カブレラとの奪い合いに敗れ「ボールが捕れなかったのが残念」と悔しがった。

 7点のリードに「みんながオレをあてにしていなかったからいっぱい打ったんでしょう」と軽口をたたいたが、グラウンドに一礼した後「正直怖かったんで、みんなに感謝している」と本心を吐露した。

 愛妻と2人の娘をスタンドに招待した父親は、マウンドでの緊張感から解かれ、日本一の喜びだけをかみしめていた。


カブ フェル 張は来季残留

 西武は伊東監督の来季続投、コーチ陣の全員残留が決定済み。外国人に関してはアレックス・カブレラ内野手(32)、ホセ・フェルナンデス内野手(29)、張誌家投手(24)の来季残留が内定している。来季が2年契約の最終年となるカブレラ、契約切れのフェルナンデスとは代理人を通して交渉を開始しており、既に大筋で合意。張とも近日中に条件面の交渉に入る。許銘傑投手(27)との来季契約は未定。なおカブレラは27日、フェルナンデスは26日に帰国する。


【戦評】中日2−7西武
12年ぶりの日本一となり、ナインに胴上げされる西武・伊東監督=ナゴヤドーム
12年ぶりの日本一となり、ナインに胴上げされる西武・伊東監督=ナゴヤドーム

 西武が7―2で中日を破り、通算4勝3敗で12年ぶり9度目の日本一となった。

 いくつかの幸運も交じり、三回の西武の5点がしるされた。まず二死三塁からドミンゴがはじいた内野安打で先制。さらに失策などで2点を加えた後、カブレラが特大2ランで締めた。

 石井貴も好投した。六回まで3安打で得点を与えず、勝利を確かなものにしていった。西武は六、七回にも平尾の一発などで加点し、リリーフ陣も反撃を2点に抑えた。

 中日は不本意な完敗だった。序盤の5点が重くのしかかり、50年ぶりの夢がついえた。


堤オーナー正式退任

 日本シリーズ終了に伴い、西武・堤義明オーナー(70)が正式にオーナー職を退任する。西武鉄道による有価証券報告書の虚偽記載問題の責任を取り、既にグループ企業の全役職を辞任。球団オーナー職に関しては日本シリーズへの影響を考慮し、終了後に退く意向を示していた。堤氏は78年にクラウンライターを買収して西武ライオンズを創設以来、オーナー職を務めていた。


落合竜 力尽く…
日本一を逃し表彰式でうつむく中日・落合監督
日本一を逃し表彰式でうつむく中日・落合監督

 敗北の瞬間、中日・落合監督は一目散にロッカールームへ足を向けた。敵将の胴上げをその目に焼き付けることなく。グラウンドに西武軍団の輪が広がる中、全選手、コーチを集め、今季の労をねぎらった。「お疲れさまでした」。悲願の日本一は逃したが、日進月歩の勢いで進化し続け、最終ステージに駒を進めた選手に感謝した。

 「宿題をひとつ2005年に残したってことだ。選手はリーグ優勝して、約束を果たしてくれた。ただ、監督が最後の約束を果たしてやれなかった。これは監督の責任だ」。昨年の10月8日、50年ぶりの日本一奪回を宣言した。マニフェストを守れなかった。素直に頭を垂れ、謝罪した。

 「勝負事に負けて悔しくない人間なんかいない。勝負どころを見誤った感じだな。7戦すべてを通してな」。天国ではなく、地獄の底に突き落とされた敗軍の将は、全責任をその身で受け止めた。

 表彰式後、全選手を率いて外野まで足を運び、右翼席、左翼席に深々と感謝のお礼をした。一塁側ベンチに戻る最中、ネット裏ブース席に信子夫人を見つけた。「負けちゃってゴメン。今回はゴメンな」。最愛の妻に向けた最初の言葉も謝罪だった。

 「許さないよ、来年頑張らないと。来年こそは日本一を取らないと」。耳に届いた信子夫人の声。歯を食いしばった。こぼれ落ちそうになる涙を必死でこらえた。シリーズ制覇に王手をかけた3日前、涙は見せまいと心に誓った。悔し涙は来年、うれし涙に変える。

 「世の中の下馬評がBクラスや最下位だったけど、選手は予想以上にたくましくなった。胸を張って誇れるチーム。選手の力はまだこんなもんじゃない。来年もっと伸びるよ」。視点を05年に切り替えた。日本全国に宣言した日本一は目前で逃したが、落合竜の快進撃と大躍進が色あせることはない。逆襲のフレーズを胸に秘め、オレ流指揮官は51年ぶりの日本一を目指す。


おっかあ 涙なし

 夫の中日・落合監督が宙を舞う姿は見れなかったが、信子夫人の目に涙はなかった。「充実した1年でした。あっという間に過ぎました。ファンの方も、来年がんばろうと言ってくれてましたから」。晴れ晴れとした表情で振り返る1年。最後に敗れても、ファンの期待を肌で感じられたことが、何よりうれしい。「お疲れさまと言ってあげたいです。いい経験になったと思います。お風呂場でビールかけしてあげようかな」。戦い抜いた指揮官の裏に、この妻あり。信子夫人の激動の1年も幕を閉じた。


井上敢闘賞!意地の適時打

 敢闘選手に選ばれた中日・井上は、ラッキーボーイとしてチームを盛り上げた。「受賞できたことは素直にうれしいですね」。九回に、意地を見せる適時打を放つなど「このシリーズは集中してできました」と自らのプレーに関しては、満足した様子だった。


落合竜 ウッズ獲得へ

 日本一を逃した落合竜が新助っ人獲得に動く。最大の目玉は横浜のT・ウッズ内野手(35)だ。横浜との残留交渉が難航しており、退団は決定的。阪神も同選手の獲得を狙っているが、代理人のファンタ氏はドミンゴの代理人も務めており、横浜との交渉が決裂次第、中日サイドは速攻でウッズサイドとコンタクトを取る方針だ。

 ほかの外国人選手は、アレックス・オチョア外野手(32)とドミンゴ・グスマン投手(29)の来季残留が決定。オマール・リナレス内野手(37)に関しては今後、キューバ側と処遇を話し合うことになる。


東京中日スポーツ



落合監督 悲願の日本一再挑戦

まだ伸びる もっと強くなる!!


中日−西武 試合終了後、スタンドのファンに一礼する落合監督(河口貞史撮影)=ナゴヤドームで

 中日が50年ぶり2度目の日本一を逃した。3勝3敗で迎えた25日の日本シリーズ、西武相手の第7戦(ナゴヤドーム)。中日は最終回に反撃したが、2−7の敗退。落合博満監督(50)は1年前の就任会見時から日本一を公約していたが、その約束を、あと一歩で果たせなかった。お預けとなった日本一の胴上げは来年こそ…。西武は12年ぶり9度目のシリーズ優勝に輝いた。

ファンに感謝の一礼

 今季のすべてが終わった時、落合監督の心にあったものは、言葉に表せない感謝だった。負けはした。それでも選手、裏方、コーチングスタッフ、球団関係者、そして何より、監督の目を何度もうるませたファンの激励、拍手、うねるような熱狂的声援に、ただありがとうを言いたかった。

 セレモニーを見届けると、全員を引き連れてライトスタンドに歩いていった。一直線に並んで全員で頭を下げた。次に左翼スタンド。もう一度、感謝の気持ちを態度で示した。

 「(ファンへのあいさつは)当たり前のことだ。感謝をしたかったんだ。当然の礼儀だろ」。落合監督は、うるんだ目でそれだけ言った。

 悔しくないわけがない。日本一になると宣言しながら、あと一歩が届かなかった。手を伸ばせば届いた距離まで近づきながら、屈した。

 「選手はよく頑張ってくれた。オレの想像を超える成長で(戦力10パーセントの底上げという)約束を果たしてくれた。日本一になるという約束を果たせなかったのは、すべて監督の責任だ。今はそれを感じる」。ゆっくりと、かみしめるように話した。

 第1戦から最終戦まで、大きく揺れ続けたシリーズの流れという名の振り子は、最後の最後に西武に大きく傾いて、止まった。ドミンゴの乱調、鉄壁を誇った内野陣のまさかの守乱。レギュラーシーズンで1勝しかできなかった石井貴を最後までとらえきれなかった打線。敗因はある。それでもあえて、一切を落合監督は口にしなかった。負けた理由はたったひと言。

 「第1戦から第7戦まで、すべての勝負どころを、オレが見誤ってしまった。負けた責任はすべてオレにある」

 貫いたスタイルに後悔はない。下馬評は決して高くなかったこのチームを、リーグ優勝に導いた自負はある。投手を中心とした守りの野球をさらにレベルアップしていくことで、今季は果たせなかった約束を来季こそは成就させる。

 「このスタイルだけは絶対に変えない。課題は確かにある。けどこのチームはまだ伸びる。もっと強くなる。忘れ物は来年、必ず取りに戻ってくるよ」。来季への思いを語ったその瞬間、激戦で落ちくぼんだ監督の瞳の奥が強く光った。敗れてなお、オレ流が浮かべる不敵な笑みは健在だ。 

  (青山卓司)


ボークから悪夢…ドミンゴ自滅4失点


3回表1死二塁、ボークをとられマウンドでぼう然とするドミンゴ

 1つのミスをきっかけに、悲願の日本一が遠のいていった。3回1死二塁。カウント2−0からの3球目。ドミンゴ・グスマン投手(29)の剛球に、打席にいた投手・石井貴は微動だにしない。見逃し三振。だれもが思った瞬間だった。

 「ボーク」。シーズン中にも、リーグでダントツの4個のボークを犯していたドミンゴ。不満そうな背番号「42」をよそに、走者は三塁へ進む。

 大一番で出てしまった悪癖。「あんなに練習したのに、ここぞの場面で出てしまった」と肩を落としたお目付け役の森投手コーチ。小さなほころびから、歯車が狂いだしてしまう。

 2死後、佐藤の打球は投手左へのゴロ。打ち取ったはずが、差し出したドミンゴのグラブに当たり、打球方向が変わる。内野安打となり先制点を許してしまう。

 こうなっては、不幸の連鎖反応はもう止まらない。さらに2死一、二塁とされ続くフェルナンデスにも中前打で2点目。この時、バックホームの間に飛び出した打者走者を一、二塁間で挟んだが、今度は名手・井端の送球がフェルナンデスの頭部に当たってしまった。アッという間に3点を献上。試合の流れまでも、完全に西武に渡してしまったドミンゴは、下を向いてマウンドを降りるしかなかった。継いだ山井も、カブレラに特大2ランを被弾。この回、5失点。この時点で、50年ぶりの栄冠は風前のともしびとなっていた。

 大き過ぎた代償にコメントを発せず、人知れずナゴヤドームを後にしたドミンゴ。「またキャンプで鍛え直す」。森コーチの言葉が、夜空に吸い込まれた。 (高橋隆太郎)


井上、敢闘賞 

シリーズタイ連続試合打点「4」


西武・石井貴(手前)とともに表彰式に臨む井上(中)と谷繁(左)=ナゴヤドームで

 「敢闘賞は中日ドラゴンズ、井上一樹選手!」。場内アナウンスと同時に、大歓声と五色のテープがスタンドから飛んだ。背番号9が丁寧に頭を下げながら、一つ一つ賞品を受け取る。最優秀選手賞に続く個人表彰にも、やはり笑みはない。日本一を逃した悔しさで胸がいっぱいだった。

 0−7で迎えた9回裏無死二、三塁。今季最後の打席に立った。初球を振り抜くと、フワッと上がった白球がポトリと中前に落ち、土谷がホームにかえる。「0点のまま終わりたくないという気持ちが、ボールを落としてくれた」。最後まであきらめない、33歳ベテランの一振りに、ともに夢を追い続けた竜党は心からの拍手を送った。

 開幕時の先発からシーズンが進むにつれ、若手の台頭で徐々に出番が減っていた。「誰だって試合に出たい」。熱い思いを秘め、試合後、人知れず打撃マシンに向かってきた。いつかその気持ちが落合監督に届くと信じて。

 1安打も打てずに終わった99年の日本シリーズから5年。第2戦では値千金のダイビングキャッチで終盤の逆転劇を呼び込み、第4戦ではシリーズ初安打が3ラン。シリーズ男の名にふさわしい活躍だったが、一番ほしかった日本一には届かなかった。

 「みんな手を抜いたわけではないし、勝負は必ずつくもの。敢闘賞は素直にうれしいが、来季への宿題を残した。さらに上を目指して、頑張ります」。試合が終わるまで竜魂を見せた井上は、来季の飛躍を約束した。 (関陽一郎)








谷繁、優秀選手賞

オフからやり直す

 歓喜の胴上げを、ジッと見つめていた。フーッとため息を1つ。谷繁元信捕手(33)は日本一を逃した現実を受け止めるように、最後までベンチに残って西武の勝ち時を目に焼き付けた。

 「精いっぱいやったが、こういう結果になってしまった」

 シリーズ記録にあと「1」と迫る計9打点。マスクをかぶれば第4、5戦は西武の中軸打者を封印。その功績に優秀選手賞の名誉が与えられた。攻守にわたり活躍した谷繁だったが、横浜時代の1998年以来の頂点には立てなかった。

 フリーエージェント(FA)移籍後、じくじたる思いがあった。投手王国との合体。セ界制覇は簡単と思っていた。なのに…。

 「僕は優勝するために中日に来たのに、なかなか役に立てなかった。それが申し訳なかった」

 いら立ちを感じ始めたころ、落合監督が就任。痛烈な一言が飛んだ。「おまえは古田に負けているのか?」。同時に、当時の背番号「7」からの変更を言い渡された。「22」と「27」を並べられ、選んだのはヤクルト・古田と同じ「27」。同じ土俵で勝つ。そう決めた。

 2月の沖縄キャンプ。「1、2軍すべての投手の球を受ける」と目標を設定した。厳しさと、全投手陣を包み込む優しさを持ってチームを引っ張り、ついにセ・リーグを制圧した今季。だが、シリーズではタイ記録となる68本の安打を浴びた竜投。12球団の頂点には至らなかった。

 「もう一回、考え直す。来年、再来年と同じ舞台に立てるように、このオフからやり直します」

 投手王国を掌握し、成し遂げたセ界制覇。だけど、完結はしなかった。もう一度、この舞台に…。竜の要を請け負う背番号「27」は、また新たな戦いに身を投じる。 (寺西雅広)


<ドラ番記者>

 この日の練習が終わった時、立浪が平沼打撃投手に深々と頭を下げていた。それから、感謝の思いを込めてこう伝えてから、ラストゲームに出陣していった。

 「1年間、どうもありがとうございました。泣いても、笑っても今日で最後。精いっぱい頑張ります」

 立浪が打つ時は、必ず平沼さんがパートナーだった。右ひじが張ろうが、腰が痛かろうが立浪が打席に立つ限り、平沼さんも投げ続けた。お互いに仕事かもしれない。だけど、謙虚さと支えてくれたスタッフへの感謝の心を忘れたら、人と人の関係は成り立たない。

 138プラス7。長いシーズンが終わった。最後まで戦えた幸せ者たちにも、ようやく、休息の時間が訪れる。選手諸君、本当にお疲れさまでした−。


西武日本一 カブ「幸せ」

苦闘シーズン一発締め


中日−西武 3回表2死二塁、左中間に2ランを放ち両手を上げるカブレラ

 ロッカールームに雄たけびが響きわたる。「ウオー」。西武のアレックス・カブレラ内野手(32)のオレ流喜び方だ。涙は似合わない。骨折した右手首との戦いを強いられた波乱のシーズン。来日4年目、最大の試練を乗り越えて、ようやく味わう美酒だ。「もう、幸せとしか言いようがないよ」

 ビッグゲームで最高の集中力を見せた。3回、3点先制し、なおも2死二塁。中日2番手の山井の代わりばなを捕らえた。中日ファンを一振りで黙らせるフルスイング。シリーズ第3号となる2ランを左中間中段へぶち込んだ。

 山井には第4戦で3打席、完ぺきに抑え込まれていた。だからこそ、冷静だった。「前回、スライダーピッチャーというイメージが強かった。だからスライダーを狙った」。言葉通り、打ち砕いたのは真ん中のスライダーだった。

 3月のオープン戦で死球を受け、骨折した右手首は、ダイエーとのプレーオフ第2シリーズで痛みが再発。シリーズに至っても万全とまでは回復しなかった。それでも、大舞台での興奮が痛みを忘れさせてくれた。

 今シリーズは3本塁打9打点で優秀選手賞に選ばれた。シリーズ記録の10打点には届かなかったが、打点を挙げた3試合は、すべて白星に結びついた。2002年、巨人とのシリーズでは2本塁打を放ったが、4戦全敗の屈辱。この2年で、勝負強さを兼ね備えた真の4番に成長した。

 9月下旬に一足早く帰国した長男・ラモン君との「日本一になる」という約束も果たせた。「ウイニングボールはカバンの中にあるよ。家に持って帰る」。豊田が捕球しようとしたところを上から“横取り”。27日に最高のお土産を持って、故郷ベネズエラに帰国する。

  (堀川敏毅)



石井貴、MVP

竜斬り13イニングピシャリ


12年ぶりの日本一を決め、ベンチから飛び出す石井貴(中央)ら西武ナイン。左から3人目は松坂=ナゴヤドームで

 言葉にできない。いつまでも快感に酔っていたかった。最後も主役を演じた西武・石井貴投手(33)が歓喜の中心にいた。「我慢して使ってもらった伊東監督に少しでも恩返しできたと思っています」。文句なしでMVPを受賞した背番号21が、敵地のナゴヤドームで輝いた。

 負けが許されない。その重圧にも勝った。2回、谷繁の打球が左スネを直撃したが、気合で持ちこたえる。「相当痛かったけど、試合中は忘れたよ」。3回までノーヒット。憎らしいばかりの配球で竜打線を手玉に取る。6イニング3安打無失点。第1戦と7戦の先発で通算13イニング連続無失点。33歳のベテランが胴上げの舞台でも熱いハートを見せつけた。

 苦しんだ分だけ熱いものがこみ上げた。右肩痛に襲われ必死のリハビリに取り組んだのは、ちょうど1年前だった。昨年10月、故障再発を心配しながら西武第2球場で孤独な練習に耐える毎日。「もし来年もダメならオレは終わりかもしれないな」。苦悩から抜け出せなかった。だが、1年後に日本一を決めるマウンドにいた。生まれ変わった石井貴だった。

 「2年間、リハビリで我慢しながらやったからね。こうして勝てて本当によかったです」

 復活をあきらめなかった。2000年を最後に2ケタ勝利から遠去かった。その間、故障が追い打ちを掛けたが、スランプの時期にチェンジアップ、フォークを本格的に覚えようとしたこともある。転換期に試みた賭けだった。しかし、試行錯誤を繰り返した末に原点を思い出した。このシリーズのピッチングが、追い求めていた本来の姿だった。

 シーズンではわずか1勝だった男が、シリーズでは2戦2勝。ユニホームのポケットには少年時代に亡くなった父・秀さんを思い、数珠を忍ばせていた。10イニング以上投げての防御率0・00は1983年の大先輩・松沼博(西武)以来史上2人目の快挙だった。「苦しい戦いを勝ち抜いた。最後に勝ってよかったよ」。まだ33歳、完全復活をアピールした石井貴の挑戦に終わりはない。 (梶原昌弥)


松坂、炎の連投

前夜134球の熱投


日本一を決め、ポーズをとり記念写真に納まる西武の松坂(左)と豊田=ナゴヤドームで

 中日ファンで埋まるナゴヤドームがどよめいた。7点リードの8回裏「ピッチャー、松坂」のコール。前夜、8イニング134球を投げたばかり。決着を最終戦に持ち込んだ西武・松坂大輔投手(24)が、今度は竜にとどめを刺すためにマウンドに上がった。

 一昨年の巨人との日本シリーズで0勝2敗。今回も第2戦で、6イニング1/3で8失点と大きく崩れた。「シリーズで勝てない」「大一番に弱い」。高校時代の無敵のイメージからは信じられない酷評も受けた。

 しかし、王手をかけられて迎えた第6戦で8イニング2失点の好投。自身は登板4戦目でシリーズ初勝利を挙げるとともに、がけっぷちのチームに流れを引き戻した。「一度はリードを許しても、そんな雰囲気がなかったよ」。荒木投手コーチは感服した。

 一夜が明け「連投? 体の張りはあまりないので大丈夫ですよ。ここまできたので、全員で頑張りたいです」。試合前、ノックを受けて体をほぐした松坂には、かすかな笑みがあった。実際に巡ってきた登板は「5回にベンチで監督から言われた。点差は頭になくて、一人ひとり打ち取ることだけ」。二塁打と四球で走者は2人許したものの、最高152キロを出して、1イニングを無失点に封じた。

 横浜高時代に、春夏連覇などチームとしての栄冠を総なめにした平成の怪物。6年目にして、やっとプロでも頂点に立った。甲子園でのそれと比べて「やっとここ(プロの日本一)まで来たことを思えば、やはり違います。最後に一番で終われたんですから」。怪物も本音を口にした。呪縛(じゅばく)から自力で抜け出した松坂の笑顔は、誰よりも輝いていた。 (林原弘)





前日

前日(日本シリーズ第六戦 中×西@ナゴヤD&一場問題&東西対抗出場選手発表 ほか)
同日

同日(日本シリーズ第七戦 中×西@ナゴヤD情報&ダルビー情報&仁志、清水FA関連 ほか)
翌日

翌日(岩隈情報&ダルビー情報 ほか)
BACK