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そうそう、ライヴを見て、ピックで弾いてたんで、ちょっとびっくりしたんですよ。

Mike:Jに頼まれてね。ミニットメンの初期には使ってたけど――パンクはテンポが速いからね。『DOUBLE NICKELS ON THE DIME』ではピックで弾いた曲は1曲だけで、他のは全部、指で弾いた。そうしたら、ピックで引けなくなってた。使わないと忘れる、ってやつだね。

なんでJはピックで弾くように指定したんでしょうか?

Mike:サウンドが違うからだよ。ルー(・バーロウ)もピックで弾いてたし。なんでそう頼まれたかは理解できるよ。他人に『何故あいつに言われるままやってるんだ?』って訊かれることもある。でも、常に自分が大将、っていう状態ばかり続くのは発展性がない。オレは自分のバンドを幾つも持ってる。そこでは自分中心に、やりたいことをやってきた。他人の指図を受けることは、自分を磨く機会にもなる。両方を交互にできるのがちょうどいいんだよ。ピックで弾くとか弾かないとかが、バンド内の権力闘争かなんかだと思ってるやつがいるんだよね。そんなバカなことはないよ。音楽はプレイヤー同士の力学関係で成り立ってることを理解してないからだ。こういうインタビューはその辺りを説明するいい機会だね。誰か独裁者がいて、他のメンバーに命令してるイメージがあるのかもしれないけど、そうじゃない。頼まれたからやったまでだ。

なるほど。どんな人たちにそういう質問をされたんですか?

Mike:メディアもそうだし、ファンに訊かれることもある。多分、MTVや『ローリング・ストーン』がバンド内の力学っていうものの説明をしないからだろうね。貴族社会かなんかみたいに、王様がいて家来がいて、っていうイメージでバンドを取材するからだよ(笑)。

あなたの言うバンド力学というのは、サウンド面のことですよね。

Mike:そう。こう説明しようか。夢というのは委員会で審議して見れるもんじゃない。一人の人間の夢を実現するためにみんなの力を合わせるんだ。Jには逆に力を貸してもらってもいるしね。例えば『BALL-HOG OR TUGBOAT?』の中の12分ある“Maggot Brain”。あれはファースト・テイクだよ! こういう力の貸し借りはオレには自然なことなんだ。いっつもボスでいるのはよくない。とは言ってもこのツアー、そんなに簡単だったというワケではなくてね。自分のバンドでフロリダのオーランドでライヴをやった直後、Jのツアーに参加した。二つのツアーの間には1日しか間隔が開いてなくて、一気に曲を覚えた(笑)。無茶苦茶大変だった。でも、人生には時には大変なことがあった方がいいと思うね。

かつて、fIREHOSEのアルバムをJがプロデュースしたり、あなたのソロ・アルバム『BALL-HOG OR TUGBOAT?』にJが参加したりと、あなたと彼の交流は長いわけですが、そもそも彼と付き合いはじめた馴れ初めはどんなものだったのでしょう?

Mike:もう11年のつき合いになるね。SST(ブラック・フラッグ、ミート・パペッツ、ハスカー・ドゥ、ソニック・ユースらのレコードをリリースし、最初期のアメリカン・インディー・シーン形成に重要な役割を果たしたレーベル)に所属してたからそこで知り合ったんだよ。実際、D・ブーンが事故で死ぬ直前に(ダイナソーJrの)ファーストを手に入れていて、『おい、これ聴いてみな。狂ったミート・パペッツみたいだぜ』ってオレに薦めてたのを覚えてる。Jがまだティーンエイジャーの頃だ。初めてJのことを知ったのはD・ブーンのおかげだった。アメリカのパンクは、最初はすごく小さなシーンだったから、他のバンドと直接面識を持つようになるまでそんなに時間がかからなかった。だから、マサチューセッツ州出身の若者であった彼とも、親しくなれたんだ。

では今回、彼のソロ・ツアーに参加することになったいきさつについて教えてください。

Mike:ただJが電話をくれただけだよ。1年くらい前にアルバム(『モア・ライト』)を彼は一人で作った。イギリス人のケヴィン・シールズに手伝ってもらいながら、ほとんど一人でやってる。電話をもらった時は、さっきも言ったように自分のバンドでツアー中だったけど、即OKした。気が乗ったらすぐ実行に移すのが好きなんだ。その方がエキサイティングに過ごせるからね。……ああ、これも話しておかなきゃいけないな。去年、オレはある病気にかかって死にかけたんだ。6ヵ月間、床に伏せてた。初め誤診されて悪化して、下手したら助からないところまでいった。その間、ベースを全然弾けなかった。身体にいろんな管が刺さってたからから、物理的に無理だったんだよ。やっと回復して、弾こうとしたら、完全に弾けなくなってた。スケールも何もできなくなってた。13歳の時に弾き初めてから初めての経験だった。戦慄を覚えたよ。それでまず、ストゥージズを練習することにしたんだ。そして、ニューヨークでストゥージズのカバーだけのギグをやった。NYCで3夜限りのショーで、その時にJも参加してくれたんだ。Jとオレとマーフの3人で、ストゥージズの『FUN HOUSE』から全曲と、ファースト・アルバムから何曲か選んでね。リハビリを兼ねたギグだった。まだ歩くのも困難で、黄疸気味で肌が黄色くて、とても全快とは言えなかったけど、どうしてもまたプレイしたかったんだ。ありがたいことに、Jも協力してくれた。もしかしたらJは、その時の印象からこのツアーにオレを誘うことを思いついたのかもしれないね。直接彼に訊いてないから、本当のところは分からないけどね。

しかし、そんなことがあったとは……このように復活されて、本当に良かったです。

Mike:まだ42歳だしね。信じられなかったよ。体重が120ポンド(55キロ位)まで落ちて…ヤブ医者どもが何もできなくて。そしたら、郡の救急医療のスタッフが命を救ってくれたんだ。銃弾の傷とかを治療する、学校を出たての若いやつらだった。アメリカの医療は妙なことになっていて、オレの場合も未だに3万5千ドルの医療費を借金している状態だ。高くついたけど、命には代えられないし、働ける状態だから頑張るしかない。同情してもらいたくて話したわけじゃないけど、ヘヴィな経験だったことは事実だ。高熱が39日間も続いて、『そろそろD・ブーンに再会か…』ってマジで思ったよ(笑)。

いったい何の病気だったか判明したんですか?

Mike:結局、原因不明。手術で深さ6インチ(15センチ)ほどの穴を開けられた。部位が股間にあったから大変だったよ。その後、傷口が塞がるまで開脚で固定されて6ヵ月。想像できる?。

内臓関係ですか?

Mike:えいん部っていう柔らかい部分に膿瘍ができて、直腸の回りが馬蹄形に蝕まれてたんだ。毎朝20マイル自転車に乗ってたせいかもしれないって言ってた。鞍ずれの一種だろうって。だんだん大きくなるのに、初めに診た医者は薬しかくれなかった。最終的には膿を強引に取り出すことでやっと治ったんだ。まいったよ……。

大変だったんですね……。さて、今回のライヴで、あなたの歌声を生で聴き、あらためて素晴らしい声の持ち主だと思いました。

Mike:自分では全然聞こえなかった。

(笑)。こちらは聞こえてましたから大丈夫ですよ。

Mike:自分もパンクだし、文句は言いたくないと思うけど、自分が出してる音が聞こえないっていうのは恐怖なんだよ。

他の日は大丈夫だったんですか?

Mike:いや、どこも同じだった。祈るしかなかったね。ここだけの話、Jはいつもギターの音量がすごいからさ、それでいちいちアンプが壊れるんだ(笑)。

あなたは今のところの最新アルバム『Contemplating The Engine Room』まで、アルバム全曲を通して歌うことがありませんでした。これはどうしてだったのでしょう。やはり「自分はまずベーシストである。という意識が強かったということなのでしょうか?

Mike:ミニットメンで少し歌ったけどね。『Contemplating The Engine Room』の場合は、全部自分で歌う必要があった。ものすごくパーソナルなストーリーのあるアルバムだから。ミニットメン物語。オレにしか歌えない。『BALL-HOG OR TUGBOAT?』は、全曲メンツを変えたりして、普段と違うことをやってみた変則的なアルバム。お遊びと言っていい。ベース・プレイヤーが持ってきた曲を、誰と組んでも演奏できるか?っていう試みだった。タイトルのBALL-HOGというのは、バスケットボールの用語で『誰にもパスしない奴』っていう意味だ。TUGBOATは、港で大きな船を引く小さな船のこと。大きな船は港では小さい船のヘルプが必要。誰にもパスしない奴は、自分の栄光のことしか考えない。どっちの存在になる?っていうテストを自分に課したのがあのアルバムだったんだ。分からなくて大丈夫だよ。アメリカでもみんな分からなかったから。オレの作るものは内面的すぎて楽屋オチっぽい世界になってしまうことが多くてね(笑)。だからパンクに向いてるのかも。昔から集団が苦手だった。自分の故郷にいる時でさえそうだ。小さい頃からどこかズレてたんだ。

『Contemplating The Engine Room』では、あなたが初めて自らのことを歌にしたそうですが、ここで歌われていることの背景について、日本人向けにもう少し説明してもらえますか?

Mike:自分ではオペラって呼んでるんだけどね。アルバム全体がひとつの曲みたいなものだから。全体で1日、24時間を表している。朝から始まって、夜に終わる。ミニットメンというバンドのメタファーにもなってるんだ。実はCDジャケットの内側にヒントが隠されている。円グラフに時間がふってあって、06:00というのがすべてが始まる朝の6時。04:20というのがD.ブーンが事故死した午前4時20分だ。円の仕切りひとつひとつが1曲になっている。そしてそれぞれがミニットメンの活動の一時期を表している。それを、親父の海軍での話に例えてるんだ。ややこしいことは分かってるよ。あまり説明してこなかったけど、聴き手が謎を解いてくれればいいと思ったんだ。このアルバムのアイディアは、ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』から取ったんだ。ある人物の1日の行動を書いた小説だよ。1日のサイクルって普遍的なものだと思う。1週間のサイクルは不定だ。1日というサイクルは、一生のサイクルの象徴になりうる。バンドの一生でも、人間の一生でもね。D・ブーンはオレの親友だった。だから、彼の死についてはなかなか語ることができなかった。このアルバムが初めての機会になったんだ。

ジャケットの写真はお父さんですか。

Mike:そう。1969年に機関室で撮られた写真だ。ベトナム沖でね。親父は10年前に癌で死んだ。原子力エンジンの放射線にさらされて働いたからだろうね。親父は音楽やアートに縁がない環境で育った。だから、オレがいくら音楽で身を立てて、何年それで食ってようと、親父には理解されなかった。そこでオレは、ツアーで行った土地から絵葉書を送ることを思いついたんだ。絵葉書を受け取る内に気づいてくれたよ。自分の息子も船乗りと同じだ、ってね。親父が海軍に入って世界を見て回れたのと同じように、オレもバンドをやって世界を回ってる。そこに共通項が生まれた。軍の船と、楽器を詰めたバンの違いだけだったんだ、ってね。

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