Gregory G. Butler (Ed.)
"J.S. Bach's Concerted Ensemble Music, The Ouverture"

Univ of Illinois Pr (2006/10/30) amazon.co.jp

 

最新のバッハ研究の成果をテーマ別に毎年出版してる「Bach Perspectives」が、第6巻として『バッハの協奏的合奏音楽、序曲』を出版したので、早速読んでみた。本編は以下の3つの論文(順不同)を掲載している。いずれもバッハの管弦楽組曲(バッハ自身は「序曲」と呼んでいる)について述べている。

  1. J. Rifkin. The B-minor Flute Suite Decomposed: New Light on Bach's Ouverture BWV1067(ロ短調フルート組曲を分解する―バッハの管弦楽組曲BWV1067への新たな光)
  2. S. Zohn. Bach and the Concert en Ouverture(バッハと協奏的序曲)
  3. J. Swack. A Comparison of Bach's and Telemann's Use of the Ouverture as Theological Signifier(バッハとテレマンの神学的意味づけとしての序曲使用の比較)

3つの独立した論文であるが、1と2は管弦楽組曲第2番についてのものであり、さらにZohnの論文は、Rifkinの論文に対する論考を含むものである。3篇まとめて読むことで、バッハの管弦楽組曲の協奏的部分の認識が広がってくる。また、著者3名とも学者であると同時に、演奏家でもあり、その面でも興味深い。

Rifkinの論文は約100ページ、本書の半分以上を占める長大なものである。管弦楽組曲2番(ロ短調フルート組曲)は、1730年代おわりにバッハおよびバッハ・サークルのコピイストにより作成されたパート譜が現在に残された唯一の直筆譜であるが、そのパート譜の記述、誤りやその訂正を詳細に検討することによって、「ロ短調組曲は、もともとイ短調の曲を移調したものであること」および「音域および表題記述の面で、ソロ楽器はフルート(トラヴェルソ)ではなく、ヴァイオリンであったこと」を説明、検証している。さらに、この時期にバッハと親交のあったベルンハルト・バッハ(バッハの従兄弟)によるヴァイオリン独奏付の組曲との相似性も、間接的にヴァイオリン独奏を示唆するものとしてとりあげている。

また、パート譜は1730年代後半(38年ころ)のものであるが、オリジナルの組曲の成立年代は、30年前後であることを、独奏パートをもつ組曲の流行時期、バディネリなど特殊なギャラントリ(舞曲でない楽曲)の作曲時期などとあわせて、説得力高く説明している。

あわせて、Penzelによる筆写譜(ロ短調組曲の異稿)と上記パート譜との差を分析し、イ短調の原曲からロ短調フルート版にいたる作曲推敲の過程を論考している(本件は、残っている資料が限定されていることから、仮説の域を超える結論には至っていないが)。

また、このロ短調組曲への編曲に関連して、「バッハは比較的少数のアンサンブル曲(ソナタ、組曲、協奏曲)を作曲し、それをいろいろな用途に使いこなしていたのではないか」という仮説を提案し、従来一般的な「バッハは(多作家であり)アンサンブル器楽曲も多数作曲した(はずだ)が、多くがケーテン宮廷楽長時代に作曲されたために散逸し、現代に伝承されていない」という定説に警鐘をならしている。

本論文は1997年にRifkinが講演したものに基いているので、その後、Rifkin説に従った「イ短調ヴァイオリン組曲」もいくつかの論文で追加議論され、CD化もされている(本HPのCD評のページを参照ください)。そのCDを聴いた印象と論文の論理の納得性から、自分がトラヴェルソを演奏する贔屓目もあるが、原曲はヴァイオリン独奏というのに若干違和感を感じていたところ、3篇目のZohnの論文が、その疑問についての答えを提供することになった。どちらの論理に分があるかは断定できないと思うが、以下にZohnの論文のポイントを記してみたい。

Zohnの説では、Rifkin説の「原曲はイ短調」「成立は1730年頃」については、異論なしとしているが、ソロパートがフルートでないという説については、反証を挙げて論じている。(ヴァイオリン独奏の可能性を否定しているわけではない)

イ短調版がフルートでないというRifkinの論証の最も大きな根拠は、通常のトラヴェルソの音域外である第1オクターブのC、C#が数箇所出てきてしまうことであるが、Zohnはそれが必ずしもフルートを排除しない理由を説明している。

まず、演奏不可能と思われる大部分の音は、第1ヴァイオリンとのユニゾンであり、ヴァイオリン・パートをフルートがユニゾンで合わせる際には特別に記述しなくても、音域を変えたり、省略したりすることが当時は一般的だし、テレマンの曲でも見られることを示している。また独奏パートでのこれらの音についても、当時流行のC管フルートの可能性、当時の楽器の第1オクターブDは非常に低く、吹き方でC#とDを両方演奏できること、をあげている。同時代の他の作曲家のヴァイオリン独奏の協奏的組曲では、ヴァイオリンの音域の幅を使いこなし、重音奏法など弦楽器に相応しいソロが使われており、ヴァイオリンの名手でもあったバッハがヴァイオリン的な独奏を書かなかったことも、フルート独奏を示唆しているとしている。また、ロ短調をイ短調にすることで、独奏パートの指使いの問題はなくなり、むしろ容易になる部分もあるなど、演奏者らしいコメントも面白い。

自身がトラヴェルソ演奏家でもあるZohn氏なので、実感・経験によるものではないかと思われるが、当時のドレスデンやベルリンでのトラヴェルソの楽器や彼の地での楽曲の傾向である、高音域を避け、低音域を重視することとも合致しており、通説のようにこの曲がビュッファルダンを念頭に置いたとすれば、Zohnの説も説得力があると感じた。

もうひとつのSwackの論文は、テレマンとバッハのカンタータにおける管弦楽組曲(正確にはフランス風序曲)の様式の融合について述べたものである。バッハの200曲あまりのカンタータはよく知られるようになったが、まだほとんど知られていないテレマンの150曲以上現存する(バッハと同時期の)カンタータの分析を通じて、当時の先端的作曲家2人の様式融合による新たな創造の秘密に迫るものである。

Swackは、バッハとテレマンのカンタータでのフランス風序曲様式の利用は、1715年ごろに始まっており、それは1714年のテレマンとバッハの出会い、そしてステファーニのオペラ(序曲)からのテレマン、バッハへの刺激(テレマンは確実、バッハは推定)が原点になっているのではないかと推論する。

カンタータでの利用については、バッハによる序曲の使用は、文字通りカンタータの始まりの曲に限定しているだけでなく、カンタータ自体も新年やある期間の最初の礼拝日など使用目的も「始まり」であることに限定して様式と用途を結び付けているのに対し、テレマンは様式混合の魅力の方に重きを置き、楽曲の最初、中間、最後に関わらず使用し、コラール、アリアなど多くのカンタータの様式との融合を試みていることを、例を挙げて説明している。

テレマンのカンタータを聴いたことのない身としては、視界が開けると同時に、改めてバッハの言葉に奉仕する音楽、音楽を通じた礼拝であるカンタータというものへのこだわりを痛感した。カンタータでの音楽と言葉の結びつきを深く考えさせる優れた論文だと思う。

大変素晴らしい論文集ではあるが、もう少し簡素な体裁で手ごろな価格帯にしていただけたらありがたい。

(SH、2007年5月)