J.S. Bach: The Early Overtures
Nova Stravaganza, Siegbert Rampe

バッハ/序曲(初期稿)/ランペ/ノヴァ・ストラヴァガンツァ

(MDG 341 1131-2)

 

バッハの管弦楽組曲の初期稿(作曲稿)は、これまでにもヘンゲルブロック指揮フライブルク・バロック・オーケストラによる第4番の録音(DHM)があったが、ここで紹介するのは初の全曲盤。ピッチは a' =394Hz。なお、カンタータBWV97とBWV110の冒頭合唱曲の「原曲」が併録されている。


現存楽譜資料と作曲稿

これらの組曲はその宮廷的な華やかさからしても、バッハが世俗器楽曲を多数作曲したケーテン時代(1718〜23)の作品と思われがちだが、現存する楽譜資料はすべて1724年以降のものだ。また、とくに3本のトランペットを含む第2番と第3番は、ケーテン宮廷のオーケストラでは演奏が困難。これらの作品はむしろライプツィヒにおけるコレギウム・ムジクムの演奏会(1729〜37、39〜41)のプログラムにふさわしいと思われる。

しかし、最後の点は作曲の動機としてはむしろ否定的である。なぜなら、一連のチェンバロ協奏曲の例でもわかるように、コレギウム・ムジクムの演奏会では当時の習慣からしてバッハには演奏に対する報酬のみが支払われた可能性が高いため、コレギウムのためにわざわざ新作を用意したとは考えにくいからだ。しかも第1番の楽譜の成立年代はコレギウムの活動時期よりもかなり早い。また、第4番の序曲はすでにカンタータBWV110(1725)の冒頭合唱曲に利用されているので、これよりもさらに前の稿の存在が想定される。というわけで、最近ではこれら組曲の作曲時期はケーテン時代またはヴァイマール時代という説が有力である。


ランペによる初期稿の復元

いずれにしても、作曲稿はすべて失われているので、現存する最古の資料から作曲稿、あるいはそれに近いと考えられる「初期稿」を推定するしかない。

この録音における編成は以下のとおり

  Voilin I Voilin II Voila Cello Continuo Wind Instruments
No 1 1 1 1   Cembalo, Violone 2 Oboes, Bassoon
No 2 3 2 2 1 Cembalo, Violone  
No 3 3 2 2 1 Cembalo, Violone  
No 4 3 2 2 1 Cembalo, Violone 3 Oboes, Bassoon

第1番は弦が各パート1人でチェロなし。また、第2番と第3番は管楽器なしで、第2番の独奏パートはヴァイオリンが担当。第4番はヘンゲルブロック盤と同様トランペットとティンパニなし。このような編成の初期稿が想定される理由は、チェンバロを弾きながら指揮をしているランペ自身が、ライナーノートに概略を書いている。国内盤が出る可能性はほとんどないと思われるので、以下にその内容を紹介しよう。


第1番 BWV1066

オリジナル・パート譜は1724年10月と1725年3月に作成された。これらはバッハの弟子2人を含む4人のコピイストによりスコアから筆写されたもので、バッハ自身のためではなく他の人物に提供された。この時期、バッハはコラール・カンタータの作曲で多忙だったから、作曲されたのはおそらく1723年にケーテンを離れる前だろう。

このパート譜の編成は(18世紀のもう一つの資料も同じだが)、2オーボエ、2ヴァイオリン、ヴィオラ、ファゴット、チェンバロである〔注:つまりチェロが欠けている〕。パート譜は各1部であり、七重奏の室内楽編成と考えられる。これを裏付けるのが、序曲の中間部とフォルラーヌで弦楽器に高い技巧が要求されること、そして第2ガヴォットと第2パスピエでは弦3部がユニゾンになるという室内楽的な書法〔注:この部分のランペ自身による英訳は誤訳と思われる〕である。この録音では、当時の習慣にならって、チェンバロに16フィート・ヴィオローネを重ねている。

〔注:これは「初期稿」の復元というよりも、現存する最古の資料の意図を尊重した演奏である。CDタイトルでも、この曲だけはBWV番号の末尾に a が付いていない〕


第2番 BWV1067a

最古の資料は1738年頃のパート譜セット。バッハ自身と彼の弟子と思われる4人の未知のコピイストによる。

コピイストたちが参照したのはロ短調ではなく、イ短調のスコア(またはパート譜)だったと考えられる。なぜなら彼らの手になる筆写譜には、イ短調からロ短調への移調に伴って生じたと考えられる誤りがきわめて多いからだ。ヴィオラ・パートにはとくに誤りが多かったので、バッハは1743年と46年の再演のために書き直さなければならなかったほどだ。一方、フルート・パートはバッハ自身の筆になるが、彼はまずロ短調のスコアを書き、それからパート譜を作成したので、誤りがないのだろう。コピイストたちの作業がこれと同時に行われたため、彼らはバッハの手元にあるロ短調のスコアを参照できなかったのだ。

しかし、現存するロ短調稿をイ短調に戻したとすると、フルート・パートはフルートで演奏できない(他のどんな管楽器でも演奏できない)。また、ロ短調の現存稿でも、おそらくフルートの音域に収めるために、音を1オクターブ上げたり旋律線を変更したりした結果、(トゥッティ部分で)フルートが第1ヴァイオリンと異なる個所がある。というわけで、イ短調のソロ・パートを演奏できるのはヴァイオリンしかない。イ短調なら弦楽器は開放弦をたくさん使えるというメリットもある。

原曲がイ短調でヴァイオリンと弦合奏のための曲であることを裏付ける重要な音楽的理由が、さらに2つある。一つは、ロ短調のフルート・パートは、バッハの他の作品と比べても、全体に音域が低いこと。これは、この稿が1738年のある特別な機会のために、特定のフルート奏者を念頭において作られたものであることを窺わせる。

もう一つは、たとえばテレマンの木管楽器と弦合奏のための演奏会用序曲では、ほとんどどの楽章にも独奏楽器のための技巧的な曲〔注:第2舞曲やドゥーブルのことか?〕があるのに比べて、この曲のフルート・パートはどちらかというと控えめであること。フルートが第1ヴァイオリンと全く異なるのは序曲の中間部、第2ブーレ、ポロネーズのドゥーブル、そしてバディネリのみである。独奏楽器のこのような(控えめな)扱いは、ブランデンブルク協奏曲第1番〔注:ヴィオリーノ・ピッコロのこと〕や多くのカンタータ、さらにバッハの従兄弟ヨハン・ベルンハルト・バッハの組曲(これも独奏ヴァイオリンと弦合奏のための作品で、バッハも何度か演奏した)などに見られる。


第3番 BWV1068a

1997年にジョシュア・リフキンは、トランペットとティンパニが後に追加されたパートであるとの説を呈示した。2000年にランペは、オーボエ・パートも1730/31年のパート譜セット作成(バッハと息子のカール・フィリップ・エマヌエル、弟子のヨハン・ルードウィヒ・クレプスによる)の際に新たに作られたことを明らかにした。というのは、弦のパートには新たに加わった木管楽器との組合せによる好ましくない効果を避けようとして変更が加えられているからだ。

つまり、この曲の初期稿は(有名なエアのみでなく全楽章が)弦合奏のみのために書かれていた。各パート1人の室内楽編成すら考えられる。


第4番 BWV1069a

1750年頃のパート譜で伝えられるこの作品の序曲は、すでに述べたように、1725年のクリスマスに初演されたカンタータBWV110の冒頭合唱曲と同じである。しかし、この合唱曲は既存の曲からの転用と考えられる。1999年にリフキンは、トランペットとティンパニのパートはこの転用の際に作曲されたものであることを証明した。その根拠は、(第3番の場合と同様)望ましくない効果を避けるためにオーボエと弦のパートに修正が加えられていること。したがって、この組曲の初期稿の復元に際してはこの修正を元に戻す必要がある。

作曲の時期は1725年より遅くないということになるが、第1番に関して述べたのと同じ理由から、ケーテンを離れる前と考えられる。


付点リズムから推定される作曲時期

第2番と第3番の作曲(初期稿成立)時期については、序曲の付点リズムに関する検討から、やはりケーテン時代と考えられる。

リュリ(の時代)における付点(四分)音符は、マーチのリズムに近く、貴族的な、調子の整ったものだった。しかし、1720年代初頭のドイツにおける管弦楽組曲では、これがしだいに複付点になっていく傾向が見られる。フランソワ・クープランのクラブサン曲集の出版がその契機の一つと思われるが、序曲の開始部と終結部のテンポがしだいに遅くなっていったことも、リズムが鋭くなった原因だろう。

バッハの作品中にもこのような例がある。無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調の付点リズムは、後のリュート組曲ト短調への編曲では複付点リズムに変えられた。同様の変更は、チェンバロのための序曲ハ短調BWV831aが後に「フランス風序曲」ロ短調(クラヴィーア練習曲集第2巻)となった際にも行われた。

ところが、4曲の管弦楽組曲にはこのような複付点リズムがほとんどみられない。明らかにフランス様式が幅を利かせていた頃に作曲されたことを窺わせる〔注:ランペは触れていないが、新バッハ全集版でみると第2番の序曲の第2ヴァイオリンとヴィオラのパートには複付点リズムが2箇所ある。また、第4番にも複付点リズムは、目立たないが、いくつかある〕。

第4番は形式的および和声的な特徴から、他の3曲よりも早く、もしかしたらヴァイマール時代の作かもしれない。


BWV119a と BWV97a の復元

これらの組曲のほとんどがケーテン時代に成立したとすると、ケーテン宮廷におけるこの種の作品の需要がたった3〜4曲で十分に満たされたとはとうてい思えないから、18世紀半ば以降に失われた同種の作品がいくつかあったに違いない。

アルフレート・デュルはすでに、カンタータBWV119とBWV97の冒頭合唱曲が、バッハ自身の管弦楽組曲からの転用であることを証明している。BWV119におけるトランペット、ティンパニ、リコーダーのパートはその際に付加された。したがって原曲の編成は第4番と同様、3本のオーボエ、ファゴットと弦楽合奏である。BWV97では、バッハが中間部に合唱によるコラールを導入するために、そのフーガ構造を分断したことが明らかだ。


感想、および演奏について

以上がライナーノートに記された考察の内容であるが、少しばかり疑問が残った。第3番の序曲の中間部に第1ヴァイオリンの「独奏」にふさわしい箇所があることに、全く触れていないこと。この部分は実際にヴァイオリンのソロで演奏されることが多いが、この録音ではそうしていない。このような独奏楽器を伴わない弦楽合奏のための組曲の例が他にもあるのかどうか知らないが、第2番と同じようにヴァイオリンの独奏を伴う形の方がより可能性がありそうに思える。あるいは、「室内楽編成も考えられる」というのなら、エアのみでなく全曲を各パート1人で聴いてみたい(そのような録音はすでにいくつかある)。また、第4番の第2ブーレで第1番のガヴォット、パスピエと同様に弦3部がユニゾンになることについても、触れられていない。室内楽的編成の可能性はないのだろうか(記載されている参考文献には書いてあるのかもしれない)。

それはともかくとして、たしかに第3番もトランペットなしならば、ケーテン宮廷のオーケストラでも演奏できる。実際に聴いてみて、この曲におけるオーボエの役割がトランペットよりもさらに小さいことを、改めて実感した。第2番のフルートなしも衝撃的だが、音楽的には全く問題なく聴ける。ライナーノートにも書かれているように、これらの組曲はいまや新しい光に照らし出されたといえる。

Nova Stravaganza という団体については、編成は柔軟で、レパートリーは初期バロックからロマン派の協奏曲までと紹介されている。イギリスの団体のように完璧なアンサンブルや透徹した響きを聴かせるというのではないが、堅実な演奏だ。しかし、全体に速いテンポで一気に押しまくった感があり、もう少しじっくり聴かせてほしいと思うところもある。メヌエットやガヴォットも、速い速い。舞曲の繰り返しでは、ときどき派手な装飾を入れている。

録音はバッハゆかりのケーテン城の「鏡の間」。しかし、音の分離が悪く、弦と管が渾然一体となって聞こえてくる。まあ、当時の広間で実際に聴いたらこのように聞こえるのだろう。国際的な大都市ライプツィヒにおける庭園コンサート(コレギウム・ムジクム)の華やかさよりも、むしろケーテンのような田舎の宮廷の質実剛健な気風を彷彿とさせる演奏だ。

なお、近くランペ版のパート譜が出版されるとのこと。管楽器奏者をフューチャーできない弦楽合奏団のレパートリーが増えるのはうれしいことだ。

(第2番 BWV1067 の初期稿については、こちらも参照してください)

(ガンバW、2002年11月)