自分がどういう『ヤバイ状況』になったのかを書く前に、リハが
どういう状況で行われていたを説明しなくてはいけない。
前にも書いたが、リハをやるメンバーは、ギター、ベース、ドラム
、鍵盤、仮歌ボーカルの5人。ギター、ベース、ドラム、仮歌は生。
鍵盤がいわゆるシーケンスデータで音が鳴っている。当然データ
は決められたテンポで音を出す訳だから、それに人間が合わせ
なければならない。そこで 『クリック』 なるものが必要になる。少しで
も音楽をやった経験のある人ならクリックの説明はしなくても分かる
と思うが、念のために分かりやすく言うとクリックとはメトロノームだと
考えてもらっていいと思う。それをガイドに演奏する訳だ。とりあえず
リズム担当であるドラムがヘッドホンでそのクリック音を聴き、それに
合わせて演奏する。他のメンバーはクリックは聴かず、ドラムのリズ
ムに合わせて演奏する。というやり方でリハをやっていたのだが、その
やり方にかなり問題があったようだった。ドラムのヘッドホンモニターに
はクリック音と鍵盤パートのデータが同時に鳴っているが、外(あとの
メンバーが聴いている)モニターにはクリック音は鳴っていない。しかも
ドラムはかなり生音が大きい楽器で、ヘッドホンの音をかなり大きくしな
いとクリック音が聴き取れないため、他のパート(生で演奏している楽器)
の音がほとんど聞こえない。この状況に慣れるのに少し時間がかかった
が、それは克服できた。問題はクリックとデータの音の関係だった。ドラム
はどうてもクリックを優先して合わせようとするから、クリックに合ってい
れば問題ないように感じてしまうが、あとのメンバーはそう感じていなか
った。クリックを聴いていない他のメンバーはドラムのリズムとシーケンス
データのリズムにズレを感じていて、どちらに合わせていいか分からない
と言うのだ。これは少し説明が難しいことなのだが、音には立ちあがりの
鋭い音とそうでない音がある。アタックの強い音とそうでない音と言った
方が分かりやすいか。クリック音は基本的にタイミングはジャストで鳴って
いる。しかもテンポが取りやすいようにかなりアタックが強い音で。それに
対して鍵盤パート(シーケンスデータ)の音は色んな音色で音が鳴っている。
ピアノの音であったり、フワッとしたストリングスの音だったり曲によって音
が違っている訳だが、そこにクリックに合わせて演奏しているドラムとのリ
ズムのズレを感じてしまうのだ。おまけに曲にはゆったりした曲もあれば速
い曲もあるし、重いリズムもあれば軽快なリズムもある。その辺の曲のニュ
アンスも表現していかなくてはならないからよけいに難しい。
今回のデータは全てが数値によってつくられたもので、そこに曲の
ニュアンスや感情表現などはあまり含まれてていなかった。本来なら
音色に対してクォンタイズやクリックのタイミングも微妙に変化させ
なくてはいけないのだろうが、データ作成者が多忙であるためかなり
やっつけ仕事でできたデータであり、そこまで作り込んだデータではな
かった。その時の自分にそのデータに対応できる実力もなかったし、対
処の仕方も知らなかったたのがいけなかったのだと今にしては思えるが、
その時はとにかくどうしたらいいのか分からず、自分を見失ってしまい演
奏もひどくなっていってしまっていた。そんな時 『あの人』 からのコメント
が届いた。「ドラムが揺れるなー。」というコメントだった。これはまたしても
ヤバイ状況だ。ここでもし自分が首を切られるようなことになってしまって
は気の短いあの人のことだから、このプロジェクト自体が無くなってしまう
可能性もある。自分は奮起した。他のメンバーの協力も少し得られ (あく
までも少しだったが・・・)、何とか 「これでいいんじゃないか」 というレベル
までもっていくことはできた。とりあえずデータとドラムの関係に問題があっ
たので、データ製作者に自分からの要望を伝え、データに手を加えてもら
ったり、自分はクリックを無視してデータを意識的に聴くことに努めたりして
かなり以前よりは改善された。このプロジェクト担当のスタッフもそれは認
めてくれた。さて、そんな努力の甲斐あって自分達ではかなり良くなったつ
もりでいたのだが、肝心『あの人のコメントはというと 「悪くはないが、良くも
ない。」 というものだった。あまり危機は回避できていない状況だ。この辺
からメンバー間に何ともいえない不穏な空気が流れることになる。
人は物事がうまくいかない時、誰か、或いは何かのせいにしてしまうもの
だ。自分の非などは認めたくはない。そのプロジェクトが思うようにいかな
いため、各メンバーにイライラがたまり、信頼関係に亀裂が生じてきた。もと
もとそのメンバーの間に信頼関係など最初からなかったのかも知れない
(このことは後述するが)。『ドラムが揺れる発言』 があってから自分に対す
るメンバーからの風当たりは強くなっていた。
誰か有名なドラマーのインタビューでこんな話をしていた。「何か理由は
よく分からないけど演奏が今ひとつな時は、とりあえずドラマーに文句を
言っておこう」 という風潮がある、というものだ。これはドラマーなら誰でも
経験があることだと思うが、ドラマーはメロディー楽器でない分、他のパート
と差別されてしまう傾向にある。他のメンバーがコード進行について話し合
ってたりしている時、ドラマーはその知識がないために話に加わることがで
きなかったりする。『リズムを刻むことだけを担当する人』 という認識が一般的
なのか、その他のパートより格が下に見られてしまう。こういう考えは果たし
てドラマーの偏見なのだろうか。
そんな理由もあってか、メンバーの間で自分の立場はどんどん悪くなって
いった。一通り演奏が終わると誰かが 「何か変だなー。」 という感想を
述べる。するとなぜかみんなの視線はドラマーへ向けられ、あれこれと
指摘を受ける。その繰り返しだった。特にデータ制作者とはかなり険悪な
関係になってしまった。
あまり良いムードではなかったが、とりあえずリハは続けられた。もう5ヶ月
が経っていた。曲は12〜3曲は仕上がっていたと思うが、このプロジェクト
のこれからの具体的な活動は、まだ誰にも何も知らされてていなかった。
動きが何も無いことにメンバーもかなり不安になっていた。
そして突然スタッフからドラムの入れ替えの話を話を聞かされた。
あの人がドラムの入れ替えを命じたというのだ。
本当に突然だった。話を告げられた時にはとてつもない失望感と脱力感
で目の前が真っ暗になった。あまりにショックでその日どうやって家に
帰ったかも覚えていない。何もする気になれず家でじっとしていたが、
なぜか無性に喉が乾いて何度も水を飲みに台所へ行った。しかし
家の中を歩いていても、自分の足で歩いているという感覚はなく、
空中をフワフワと浮遊しているように感じた。食事も取らず、その日は
眠った。
次の日には少し落ち着くことができた。いつまでも落ち込んでいること
はできない。自分にはそのプロジェクト以外にも仕事があり、スタジオ
へと行かなくてはいけない。自分はその時点で3つのバンドのサポート
をやっていた。毎日リハがある。1ヶ月にリハが30本くらいあっただろうか。
多い日などは朝10時から夜の11時までずっとドラムを叩いていた。他の
バンドのメンバーにはなるべく何事も無かったかの様にふるまい、それから
のリハは進めていった。しかしあのプロジェクトのことを知らない人達も、何
か自分がおかしいのを感じていたのではないだろうか。
そして、ドラムが交代して2週間ほど経った頃、信じられない事実を
知った。




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