信じられない事実。それはあのプロジェクトのスタッフから聞かされた。


自分とデータ作成者の人との関係が悪化していたのは前にお話したが、
自分
ドラム交代の話を伝えられた前の週、鍵盤の人があの人に直接
会ってドラマーの交代を要請したというのだ。「あのドラマーでは上手くい
かないので別の人に代えて欲しい。」 ということを言ったそうだ。これには

ちょっと驚いてしまった。と同時に怒りか込み上げてきた。その時スタッフ
の人に自分の言い分などかなり興奮して説明したりしたが、そのスタッフ
の人は 「とりあえずこれからの状況を見てみよう。」 と興奮する自分をな
だめてくれた。そうだ、今自分があれこれ言っても、もうどうしようもない。
それに自分には疑問に思うことがあった。「果たしてあのリハのやり方で
他のドラマーなら上手くやれるのか」 と思っていたのだ。

その時点で後任のドラマーは決まっていなかったが、自分の希望では、
是非良いドラマー、一般に『一流』 と言われる人を入れてやって欲しいと
思っていた。もしそれでこのプロジェクトが上手くいったとすれば、自分
が至らなかったのだと確認できるから。何よりもそれが一番知りたかった。
ほどなく後任のドラマーが決まった。


後任のドラマーは以前からこの会社でサポートをしている人たった。
周りからの評判も良い人で、自分には出来ないJAZZにも精通して
いる人だし、このレーベルに入る前まではドラムの講師をやっていたと
いう人物だ。同期モノに関しても経験豊富ということで、こんなことを
言っては申し訳無いが、自分の疑問を解いてくれるにはもってこいの
人だ。その人が参加してまたリハは再開された。

一旦そのプロジェクトから離れてしまうと、なかなかその中の情報は
伝わってこない。極秘プロジェクトであったからなおさらだ。しかし、
自分にはそのプロジェクトのその後の状況を知る手段があった。
メンバーの中で唯一何でも話し合え、友人と呼べるギタリストがその
後のリハの進み具合を報告してくれたのだ。新しい人を迎えて気分も
一新!ということで最初はどうやら上手く事は運んだみたいだったが、
やはりそのドラマーもすぐに自分と同じような状況に陥ったみたいだ。
スタジオでそのプロジェクトのリハが終わった後の彼を時々見かける
ことがあったが、何かうかない顔をしていたのを覚えている。


そしてそれから1ヶ月ほど経ってそのプロジェクトは無くなってしまった。
あの人が解散を命じたのだ。その解散が通達された日、スタジオで
バンドの入れ替え時にメンバーと自分はすれ違った。一応こちらから

挨拶をしたが誰もそれに答えてくれなかった。その時そんな通達があっ
たことを自分は知らなかったが、今思えば鍵盤の人が自分の顔も見ず
にそそくさと逃げる様に立ち去ったのが印象に残っている。7ヶ月にもわ

たって進められてきたこのプロジェクトも実にあっけなく終わってしまった。


実は鍵盤の人がドラムの交代を要請した時、『あの人』の中ではこの
プロジェクトを進めていく意思はほとんど無かったみたいだ。「ドラマー
を入れ替えてもし良くなるのなら、やってみれば?」という感じで泳がされ
ていたのだろう。今、当時を振り返って、なぜあのプロジェクトがうまくいか
なかったのかを考えてみたい。


まず、第一に自分も含めてメンバーの力量が足りなかったこと。これは
素直に認めざるを得ない。同じようなプロジェクトが東京でも同じ時期に
進められ、そちらは 『一流』 のミュージシャンを起用して大成功している。
要するに自分達はまだ 『一流』 には程遠いミュージシャンだった訳だ。
第二に各ミュージシャンの音楽に対する取り組み方。実はこれがこの
プロジェクトが成功しなかった一番の原因ではないかと思っている。


自分はあのレーベルでサポートの仕事をする前まではバンドの経験しか
なかった。そしていきなりああいう現場で仕事を始めた訳だが、同じように
リハーサルをやり、同じようにライブをやってもアマチュアの頃のように
『熱くなる』 ということがほとんど無かった。あそこにいたミュージシャン達
はほとんどの人がなぜか妙に冷めていた。それに一緒に協力し合って良い
モノをつくっていこうという姿勢が見られない。プロのミュージシャンという
ものは音楽に対して必要以上に熱くならず、冷静に対処していくものなの
だろうか。でも、「この人達は果たして音楽をやることの喜びを感じている
のだろうか」 と常々疑問には思っていた。それに雇われているミュージシャ
ンというのはそれぞれが個人事業主であるわけで、そのせいか自分のこと
しか考えていない人が多かった。あそこでは、自分さえ 『あの人』 に気に
入ってもらえればそれで良い、という人がほとんどだった。確かに 『あの人』
に気に入られれば仕事は増えるし、収入も増えるのだが、それが音楽をや
る人間にとって果たして最重要視されるべきものなのだろうか。あの現場で
はそれがすべてだったかもしれないが・・・。そんな人達が集まっても良い
モノはできないのではないだろうか。スポーツに関してでもそうだが、グル
ープで何かをやり遂げる場合チームプレーというものが重要になってくる。
各個人の力量も大切だが、チームが協力し合うことによってその力は2倍
にも3倍にもなることは誰でも理解できると思う。それに音楽で生計を立て
ていくにはかなりの努力と忍耐が必要になるが、それでも音楽が好きで、
音楽をやることに無上の喜びを感じられなければ、やっている本人にも無
意味なものだし、それを聴く人達にとってはさらに無意味で味気ないもの
になってしまうのではないだろうか。やっている本人が楽しくないのに、そ
れを聴いている人が楽しかろうはずもない。




色々とあのプロジェクトに関して批判的なことばかり書いたが、あの
プロジェクトに参加して得るものがなかった訳ではない。貴重な経験
させてもらったと思っている。その経験を踏まえて、今の自分が存在
している訳だから・・・。


その後のメンバーはみんなその会社を離れ、みんなそれぞれに活動
しているらしい。
今はあの時のメンバーのこれからの活躍を心から期
待している。



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