自分は2年程大阪の某レーベルで仕事をしていた経験が
あり、「音楽業界とはこういうところなのか」と色々と感ずる
ことがあった。自分の経験したことがこの業界の全てでは
ないと思うが、これからいわゆる 『プロ』 を目指す人にとって
少しでも業界の実情を知って欲しいと思い、今回このコラム
でお話させてもらおうと思っている。


自分はアーティストとしてではなく、ミュージシャンとしてその
レーベルに雇われた。アーティストとミュージシャンとは雇用
形態が違っている。分かりやすく言うとギャラの支払い方法が
違う訳だ。アーティストの場合正式な契約をレーベルと結び
月々いくらという給料制でギャラが支払われるのに対して、
契約書の無いまま雇われるミュージシャンの場合はリハ1本
につきいくら、ライブ1本につきいくら、というギャラの支払い方
がされる。需要が多ければ収入も多いが少なければ減る訳
だ。サポートしているアーティストがたまたま体調を崩してリハ
の回数が減ると、当然その回数分のギャラは支払われない。
アーティストの場合はたとえその月に何も仕事が無くてもちゃん
とギャラは支払われる。この待遇の違いに関して、自分は特に
不満はなかった。自分はドラマーだから 『良い演奏』 を提供す
れば仕事は増えるであろうし、そうでなければ減る訳だから非常
にやりがいのある立場だと思ってたから。でもこの業界(唯一その
レーベルだけかも知れないが)はそんな甘いところではなかった。


自分はオーディションでそのレーベルに入って、とりあえず一人の
女性アーティストのサポートをやることになった。まずは 『お験し
期間』 ということでノーギャラ。2ヶ月ほどリハをやり、初ライブ。
自分では仕事としてライブをやったのは初めてということもあり、
何か納得のいかないライブだったが、とりあえず無事終了。


その1週間後ある人物から呼び出しがあった。この人物という
のがそのレーベルのトップに位置するという人であって、実名を
挙げると少し業界に詳しい人なら 「えっ!」 と驚く人物。昔は表立
って活動していたが、今は表に名前を出していない。しかし今でも
その巨大な組織を影で牛耳っている(何か暴力団組織みたい・・・)。
その人物にとって自分はドラマーとしてかなり気に入ってもらえた
みたいで、それからはギャラも出るようになったし、サポートする
アーティストも増えた。何より回りのスタッフの態度が急変したの
には驚き、あの人の影響力の大きさを実感させられた。後々この
人物に対して色々と疑問を抱いていく訳だが、とりあえずその時点
ではそんな業界の偉い人物に自分を認められたことを嬉しく思った
し、アマチュアの時には気付かなかった自分の良い点などを指摘し
てもらったことは自分のドラマーとしての魅力を自分自身で再発見
できてよかったのではないかと思っている。


それからまた1週間後、とんでもないラッキーな話が舞い込んできた。
ある大物アーティストのライブのサポートの話だ。既にNo1ヒットを
幾つも出しているアーティストのバックを務めるというものだった。
関西選りすぐりのミュージシャンを選出しそのアーティストをサポート
するということで、その一人に自分が選ばれたことを光栄に思ったが、
反面自分にそんな大役が果たして務まるか、という不安もあった。とに
かく2度ほどミーティングが行われ、それから1週間ほどしてリハーサ
ルは始まった。サポートメンバーは、ギター、ベース、キーボード、ドラム、
それに仮歌を歌うボーカルの計5人。曲は今まで出したシングル曲15
曲をすべてやらなければならなかった。自分としては必死だったからと
にかく全ての曲を覚え、どの曲からでもやれる体制をとっていたが、
リハーサルは思うように進まなかった。


みなさんはご存知だとは思うが、今CDなどで聴けるほぼ半数近くの音楽
はすべて打ち込みでつくられたものだ。一見生演奏かと思うものでも
実は打ち込みであることが多い。その大物アーティストもご多分にもれず
ギターとボーカル以外はすべてアレンジャ−と称する人によって打ち込ま
れてできたもの。まずそれを生で再現することの難しさにぶち当たってし
まった。


まずリハを始める前にキーボードパートのデータを作らなければなら
ない。それが無いとリハができないのだ。最初のリハの時、自分はほと
んどの曲をコピーし終えてどの曲からでもOKという状態で意気揚揚
とスタジオに入ったが、鍵盤担当の人がまだ1曲分のデータしかできて
いなかった。鍵盤の人というのはアレンジャー志望の人で、実は鍵盤は
あまり弾けない。要するにキーボーディストではなくデータをつくる人なのだ。
当時彼はそのレーベル内ではアレンジャ−としてかなり有望視されていて、
他の仕事もこなしていたため多忙を極めていた。1週間ほどデータをつくる
期間はあったが、結局リハ初日までには1曲しかできなかったらしい。「まあ
そのうち軌道に乗ってどんどんあがるか」と思っていたが、その次のリハでは
新しいデータはできず、その次でやっと2曲目ができ、その次はまた何も
できず、という状態で1ヶ月でやっと3曲しか仕上がらない状況だった。もう
その時点で 『あの人』 から「遅すぎる!」とのクレームが出ていた。『あの人』
は現場の状況は全然分かってない人だったから、鍵盤の人がどれほど忙し
い人なのかも分かっていない。ちょっと鍵盤の人が可愛そうだったが、こんな
大きなプロジェクトに関わっていてそんなことは言っていられない。みんなで
彼にハッパをかけて2ヶ月の間で何とか7曲仕上げることができた。


毎回リハは録音され週に1度 『あの人』 のチェックが入る。現場には絶対
顔を出さない人だから、良いか悪いかは録音されたDATだけで判断される。
2ヶ月ほど経ったある日 『あの人』 から 「ギターが良くない。」というコメント
が届いた。『あの人』 がそう言う時はかなりヤバイ状況である時だ。周りの
スタッフもそれは分かっていたから、ギターの人に 「キミ、ちょっとヤバイよ。」
などと脅しをかけたりしていた。その次のリハに彼は現れなかった。


彼にとって、このプロジェクトのやり方に対しては何か疑問を持っていたの
ではないかと思う。ただやらされてるだけで、何ら創造的なところもなく、
自分の個性や魅力を出すことなく、いかにCDの音を再現するかに終始する
ということに。それに対しては自分も少し疑問を持ち始めていたが、とにかく
このプロジェクトを成功させなくてはいけないという使命感からその疑問を
無視することに務め、活動は新しいギタリストを迎えて再開された。


そして、それから2ヶ月ほど経って今度は自分にその『ヤバイ状況』がふり
かかってきた・・・。





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