バンドマスターの愚痴


その1 吾が音楽人生の巻 


その1の5、『変態バックスピン』


ワシが音楽部部長に就任した際、ひとつのバンドが姿を消した。
それは『変態バックスピン』というバンド。
幾度とメンバーチェンジを繰り返しながら、最終的には
Voチョークー福島師、Eg君嶋教寛師、Dr中野 久師、Eb長谷川“P”俊行師の4人で活動し
自主制作EPレコード(下部画像)を出版するほどの活躍だったが
ベースの、はせピーが卒業のため、活動を終わる、というもの。
ほとんどの曲をはせPが作曲したという事で、致仕方ない解散と受け止められていました。
そう、愚痴1−3頁では“何を演ってるのかさっぱり判らないパンクバンド”なんて紹介してますけど
最後のステージは迫力だったなぁ。感激して、すぐベースラインをコピーしちゃったもんね。

3回生に進級すると、(ちょうどその年が、学園創立100周年に当たる、ということもあって)大きな企画も準備してましたから
部長稼業はますます忙しく、部の運営資金調達のために自分がアルバイトをする、なんて事も。
そんなアルバイト先で、京都のS大学の人ともコネクションができたり、更に音楽部の活動範囲は広がっていったのでした。

先にこの企画の事をサラリとお話しておきましょう。
学園創立100周年記念「第1回音楽祭」をやろう、ということで、各方面に声を掛け、
  町内の幼稚園児の合唱、お遊戯、
  小学校(出演は残念ながら実現出来ず)、
  中学校(生徒は出演出来ず、先生がバンドを組んで出演してくれた)
  高校(残念ながら直前でキャンセル)
  大学音楽部からは『五十嵐啓道セカンドウインド』(ジャズビッグバンド)
  同じく『ダサ&カバ』(フォーク)
  音楽部OBから『SonicBoom』
  町内女性コーラス『エバーグリーンコーラス』
  それからプロのジャズバンド『朝倉 聖とラヴ・サウンズ』
という出演者で、会場は満員!大盛況大成功でありました。
ココの会場が満員になったのを見たことあるのは、後にも先にもこの時だけしか知りません。
我ながらスバラシイ企画でございました。(自画自賛!)

さて、話が前後しますが、この「音楽祭」とは別枠でのコンサートも企画してましたので
他のバンドはそちらに出演させたのですが
その2ヶ月ほど前、チョークー師から呼ばれたワタシ。
「最後だからベースを頼む」との言葉に即OKを出して(掛け持ち批判をしてたくせにネ)練習に取り掛かりました。
これが結構過酷で厳しい練習で、さすが名を馳せたバンドはシビアなんだ、なんて思ってましたけど、
夜にはミーティングがあって、ステージングのアイデアを延々と考える、
シンドいけど楽しい準備期間でした。

そうやって迎えた本番ライヴは、観客大興奮!大盛況!
なぜか興奮して観客に壊されたステージ機材の始末書を書いたのは、部長のワタシ。
ワシは演奏してた方でしょ、って(怒)


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【解説】

チョークー福島 〜 ちょーくー ふくしま
            大阪府出身。卒業後、アメリカに留学、現在徳島県在住。

長谷川“P”俊行 〜 はせがわ ぴー しゅんぎょう
            岡山県出身。バックスピンの曲の多くを作詞、作曲。

朝倉 聖 〜 あさくら きよし
            京都府出身。プロのジャズドラマー。関西圏でジャズグループを中心に活動。
            チャリティー活動にも熱心。詳しくは検索サービスでお調べください。いっぱい出てきます。