バンドマスターの愚痴

その1 吾が音楽人生の巻 


その1の2、ベースギターとの出会い

そんなこんなで、高校3年の始めにはブラバンに行き詰まってたのですが
ちょうど寮監の先生が「応援団の大太鼓を叩く奴がいない」という話を聞きつけて、立候補しました。
何しろ、ブラバンとして丸2年間、応援団の演舞と太鼓の叩き方は「見て」きたので
内容は判ってたし、自信もありました。
何より「これで今年の課題曲から開放される」という事のほうが嬉しかった(笑)

同じ頃、もともとブラバンだった君嶋教寛が、寮の部屋でギターをチャカチャカやっていました。
私は、まだその時は特に興味はありませんでした。
なぜならば「弦が6本もあって難しそう」という、食わず嫌いのようなものですけど。

で、ある時、君嶋と共に音楽室で管を触ってたときに、
ハードケースに入ったベースギターと、割と大きいベースアンプがあったのです。
「キミちゃん、コレ、何で弦が4本しかないの?」
「何故って、ベースだから」
当時はギターもベースも、見た目一緒にしか見えなかったですね〜。

ところが、単純なワタシ「6本は無理だろうけど、4本なら出来そう」と考えたワケであります。

かくして、同年秋の文化祭でバンドを組んで出演することとなりました。
当時私たちの仲間では、高中正義とか、デビューしたてのカシオペアとかを聴いてましたので
そんなカンジのヤツができるといいね〜ってな相談はしてたのですが
理想と現実(=技術不足)のギャップに負けて、結局クールスとか永ちゃんとかのロックンロールをやりました。

同時期、大学では、同郷のどうりゅう師がバンドを組んでいて、ギターを弾かれておられました。
そちらの影響もあって、大学入学後は君嶋と共に音楽部に入部し
バンド活動と共に、イベント運営のノウハウも学んでいく事になるわけです。




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【解説】

君嶋 教寛〜 きみしま きょうかん 
        茨城県出身、高校・大学の同級。のちに「バックスピン」で共演することとなる。

どうりゅう〜宮崎県出身、大学の先輩。同業者。
       のちに「AAO」第1期メンバーとして参加。
       現在、音楽同好会「亜熱帯楽談」(リンクページを参照下さい)を主宰。