長旅だった。日本列島は広い、広島は遠いーーそう思ってしまうような、車での移動だった。83日の深夜に出て16時間、翌4日の昼下がり、広島・三滝の無縁仏墓地に着いた。 炎天に沸く花立ての汚水。同行のフアンさんと陽介が、その中に手を入れて掻き出す。熱さに萎れかかった花を上げ、焼け付くような蝉時雨の中、水野の先導で、全員が読経した。私達の平和祈念慰霊行事は、ここから始まっていた。

 次の日の5日、私達は、厳島神社の隣にある大願寺で、太鼓と歌と舞いを奉納した。会場は、山門を入ってすぐの境内の一郭。周りの樹々や、傍らの流れも心地よい、開放的な空間だった。背景は、神社の朱の回廊で、願ってもないロケーションである。

 本堂の弁財天様、会場の平和観音様、お不動さんにお参りして、ご住職を訪ねた。こんな素晴らしい場を提供して下さった寺に、感謝の気持ちが一杯だった。好天の下で、皆で会場の準備をする。じっとりと汗が吹き出し、衣装も背中に張り付くほどだった。

 けれど、始まるや何もかも忘れた。まるですっぽりと、清澄な気にでも包まれてしまったかのようにーー。ただ々嬉しく、有難かった。最初の演目、「人寄せ」の八丈太鼓回し打ちが始まる。 

 女性は浴衣、男性は島風の筒袖。車イスの藤原さんと、みどりさん、れいなちゃんの新人を混え、一台の太鼓を定型の下拍子に合わせて、代わる代わる打っていく。


 次に、白に鮮やかな紅いヒレをあしらった、インド舞踊が登場する。名古屋から参加した佐藤幸恵さんの、弁財天への奉納舞である。




 

 優雅な所作にうっとりとしているうちに、再び太鼓の出番がやってくる。













 ベテラン勢四人の回し打ちで賑わせた後は、

緩やかな動きのジャワ舞踊。
髪を高く結った女装束の久保田広美さんの、ゆったりとした動きに見とれる。

 記念撮影の後、傍らの流れで水浴びをした男達の、何と楽しそうだったことか。

帰りの船着き場で出会ったジャワ舞踊の人達の、何と晴れやかな表情だったことか。来年も是非やりたいと、未耒さんは言った。フアンさんも、現実の誰にでもなく、み霊に捧げることは、何と気持ちのよい爽やかなものか、こんなことは今までにないことだった、来年もまたやるよ、と言う。この後、広島での行事を終えた帰り路では、来年に向けての話がもう盛り上がっていた。

 けれど、この喜びは、皆で支えてくれたものだった。辰巳玲子さん、 音響のきんちゃん、ボランテイアの健ちゃん、冷たいタオルとお茶を用意してくれた香織ちゃん、介護の人達ーー。出演はしなくとも、沢山の人達が支えてくれた。皆ひっくるめての奉納だった。ほんとにほんとに、ありがとう!

 余談になるが、帰京した翌朝、水野の大切な猫が交通事故で亡くなっており、その日は他にも長年の大事なペットを亡くした人が、二人いたことが分かった。今回の20人を越える一行が、全員無事で帰れたのは、この動物たちが身代りになってくれたのだと思えてならない。いとしい犠牲の為にも、また来年、必ず広島と宮島を訪れようと思っている。  了) 

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  奉納演奏も佳境、いよいよ八丈太鼓とジャワ舞踊のコラボレーションに入る。陽介が、師匠の下拍子で、ゆっくりと打ち込んでいく。白い巫女風の衣装を纏った未耒さんが、神楽鈴を持って登場。鎮魂の思いを込めるように、地に鈴を向ける。

「君の祈りが 聞こえてくるたびに 散ったその夢 胸に迫るよ」
オリジナルの詞を、島の節に乗せる。澄み透った声が会場に渡っていく。
未耒さんの夫、リアントさん登場。裸の上半身に装身具を着け、白い下穿きのしつらえ。美事に腰を落とした、伸び伸びとしてキレのある動き。
「声にならない 叫びがあるなら 響く太鼓に 解き放てよ」

即興の舞を互いに繰り広げ、鮮やかなデュエットの絡み合いを見せる。早くなる太鼓に、連れ舞いも次第に激しさを増す。

宮  島  の  記             

                                    水 野 五 十 子

 師匠の水野は、自分の出番の前にもかかわらず、皆の太鼓を聴いていて涙が溢れてきたと言う。3年前に大病をした身で、今度の奉納は、ある意味、命懸けだった。よくここまで来た。やっと来られた!

 今は、み霊と仏と神々が降りてきて、楽しく聴いてくれている。あたたかく見守り、応援してくれている。きっとうまくいく!嬉しさがこみ上げた。ーー
40年近く太鼓をやっていて、こんな経験は初めてだったと、後で言った。



  続いて、古代風の衣装を身に着けた港敦子さんが、ナレーションを入れる。格調のある、祝詞のような雰囲気の語り。八丈太鼓の女打ちソロが始まる。

   太鼓の間に島の唄が入るのは、八丈太鼓の特徴。

「太鼓たたいて 人寄せ寄せてナ わしも逢いたい人があろナ」

今回はその唄を、ベテラン柵木富美の演奏に乗せて、
新人のアシタバちゃんこと、奥山味里が、古いカタチの節回しで勤めた。

 太鼓が止み、音のない世界に舞人が残る。舞い続ける未耒さんの傍らに、仮面を着けたリアントさんが登場。二人で舞ううちに、太鼓が再び鳴っていく。この日最後の演目、八丈太鼓本バタキのソロの始まりである。

 「色は匂へど 散りぬるを……」水野只道が、いろは唄を和讃の節に乗せて歌っていく。下拍子は五十子の、夫婦太鼓の掛け合いになる。仮面の舞い手は、退場するかのように会場奥の本堂に進み、お参りをして再び太鼓の前に戻る。入れ替わるように、巫女姿の未耒さんが退場、仮面は独りで舞い続ける。太鼓を打ち続ける水野の顔が、嬉しそうにほころぶ。いつもの深い音が響いてくる。魂をこめた音。太鼓が自分か、自分が太鼓か、太鼓と一つになって打つ、打ち込んでくる。舞も目に入らず、出来不出来を思う余地もなく、至福の時を迎える。終わった、最後の音が終わった!一瞬のことだった。

 すぐ近くの、原爆の図・丸木ご夫妻の墓前にお参りした後、原爆ドーム前を経由して、このたびの奉納演奏の会場である、宮島に向かった。島に渡る船の上で、導き込まれるような夕焼けを見た。               
  さて宮島。なにしおう美しのシマ、夢のシマーー。もともとは、広島の平和公園で打つことになっていた私達の慰霊の太鼓は、様々な経緯から、はからずもこの島で鳴らすことになったのである。
8/5宮島奉納舞台にご協力及びご参加くださった方々のリンク集です
(敬称略・順不同)
名前/HP 説明
大願寺 
http://www.miyajima-wch.jp/jp/shrines/01.html#a03
午前 奉納会場
大聖院
http://www.miyajima-wch.jp/jp/shrines/02.html#a01
午後「ホピの予言2004年度版」
 上映会場
ランド・アンド・ライフ
 &映画『ホピの予言』公式サイト
http://www.h6.dion.ne.jp/~hopiland/
「平和への祈りの輪」主催者
港敦子〜ことばの埠頭 
http://homepage2.nifty.com/at_port/
<語り>
佐藤幸恵
〜東インド古典舞踊  Odissi Dance Sampatti
http://sampatti.daa.jp
<奉納舞(インド舞踊)>
久保田広美
〜インドネシアと日本をアートでつなぐ MANOHARA CO.,Ltd
http://sudana.jugem.jp/
奉納舞(ジャワ舞踊)>
黄秀彦・ファンスオン〜サラムサラン    http://livebloomin.web.fc2.com/hwang_suon.html <朝鮮民謡>
川島未耒〜ジャワ舞踊グループ (デワンダル)http://blogs.yahoo.co.jp/dewandaru2006 奉納舞(太鼓との創作舞踊)>
リアント〜Rianto: Indonesian Dancer,Choreographer
http://rianto-dancer.jugem.jp/
奉納舞(太鼓との創作舞踊)>
bon.
http://tamanomori.exblog.jp/
<お手伝い・ボランティア>
続いて、朝鮮民謡・フアン スオンさんの出番。お弟子さんの麗那ちゃん、愛ちゃんの太鼓に加えて、鳴り物には二人の応援が付く。
朝鮮民謡のチョンソン・アリランを味のある喉で聴かせてくれた後、打楽器の競演で盛り上がった。
フアンさんたちは、長いこと陽の当たる茣蓙で座って待ったので、鉦は持てないほど熱くなっていたし、終わった後は頭がクラクラしてきたとのこと。ほんとに申し訳なかった!
補記:
このレポートは、2009年8月原爆忌に寄せて催された平和祈念行事
「平和への祈りの輪」初日、8月5日大願寺での奉納演奏に焦点をあてたものです。
他行事のレポートは、また追って作成させていただきます。
よろしくお願い致します。                         <HP管理人>

参考リンク:「平和への祈りの輪」プログラム 20090805〜0806