2003/07/26
現在のZcrewのメンバーが初めて揃う。
ヴォーカルのヨシの後輩の友達にドラム叩いてくれる奴がいる、というのでヨシが連絡を取った。それからすぐ、次の練習にはきてくれることに。
淳とヨシが開始時間を間違えて30分遅刻。
おれは一人でスタジオで練習、あつすはスタジオのロビーでうろうろ(笑)
信じられんバンドだ(笑)
そもそも、おれとギターの淳はずっと昔から別れてやったり一緒にやったり、おれがバンド活動をしていない間も淳は一人でバンド活動をしていたり、と、お互いが付かず離れずというスタンスだったのだが、2002年の4月からまた一緒に活動することになった。
それがR-Cloudというバンドで、記憶にある方も僅かにいると思うが、一度ライヴをして、R-Cloudはすぐに解散となる。
おれはR-Cloudとしてライヴには仕事の都合でどうしても出演できなかった。
その後、淳とヨシがコンタクトを開始。やはりメン募掲示板での出会い。
Zcrewの母体ができあがった。
しかし、ヨシと淳の出会いから活動までに約4ヶ月という空白の月日が流れてしまう。
社会人バンドマンにありがちな、忙しさにかまける、という理由。
何よりおれがドラマーとしてでなく、ベーシストとしてバンドをやりたかったために、ドラマーが見つかるまでは見切り発射は止めよう、と言っていたのが一番の理由だろう。
R-Cloudに所属していた時、おれはドラムスを叩いていた。ドラムスも勿論魅力的なパートではあるが、どうしてもおれはベーシストとしてバンドに参加をしたかったし、全て独学でやってきてしまった我流ドラミングにはもう限界を感じていたのだ。
しかし、それでも、バンドマンの悲しい性か、もうドラマーでもいいからバンドをやりたくて仕方がなくなってしまったのだ。
幸いベーシストには当てがあり、結局のところおれがドラマーとして、2003年3月16日、バンドがスタートした。
しかしそれも長くは続かなかった。2003年4月29日にはベーシストが脱退。その後の方針を決める時には、勿論全員が本当にやりたいパートをやるという形で固まってはいたのだが、いかんせんドラマー人口は少ない。おれもメン募掲示板に何度も書き込みをしたが、ドラマーは当たらなかった。
そして、そんな中でやむなく選択肢を広げることに。
おれはベースとドラムができる。淳はギターと歌ができる。ヨシは歌とドラムとギターができる。そういった選択肢の中から、第一希望は勿論ドラマー、そして第二希望は歌を入れて、ヨシがドラムスという形でもメン募を続けた。
そして2003年7月25日にメン募掲示板とは別の方向で好機が訪れた。
ヨシの後輩の友人、あつすがとりあえず参加をしてくれる、と言ってくれた。25日に連絡を取って26日には叩いてくれたと言う、恐ろしいくらいすばらすぃドラマーだ(笑)
そんな紆余曲折を経て、現在の形になり、やっとライヴにまで漕ぎ着けることができた。
当初は2003年の年末にライヴを予定していたが、時間が足りなくあきらめることに。しかしすぐに目標を一ヵ月後、つまり2004年1月に切り替え、練習に励む。
ここまでやってこられたのは超多忙スケジュールの中、きちんとやってきてくれたあつすのおかげだと思っている。
早くも2ndライヴは4月末辺りにはやりたいね、という話も上がっている。
今年は充実した年になりそうだ。
20040113:たか
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