Introduction





 音楽ページを作るにあたって、ふと疑問に思った事がある。一体私は何が好きなのか?...何故か自分で分からなくなってしまった。CDの並んだ棚を見直してみたほど。自分で分からないとは情けない有様。音楽とは文化であり、時代と結びつきながら変化してゆく。それを必要とするリスナーも、当然の如く変わってゆくだろう。人も変化するのだから、その時の自分と結びつく音楽も変わってゆくものだと思う。ずっと同じとは限らない。むしろ、変わってゆくのが当たり前のような気もする。

 "好きな音楽"と言っても、非常に大雑把な言い方。私の場合、バンドとして好きなものとプレイそのものが好きというのは別モノになってしまう。聴き方、観点、求めるもの、それぞれ違ってくる。ボーカリストやギタリストとして好きなミュージシャンを並べてゆくと、全くバラバラになってしまう。節操がないとも言えるが、同じ系統やジャンルで好きなものが固まっている人は逆に不思議でもある。

 つまり何が言いたいのかというと、この音楽ページの中のアーティストも常に流動的に自分の中の位置が変わっているということ。音楽性の変化や活動の方向性によって、又は自分の音楽の聴き方や内面の変化によって、近付いたり離れたりの繰り返しだ。多分、これからもそんな風だろうと。そっと傍らに携えながら。




 12〜15歳

 中学一年生の時に、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、カルチャー・クラブのレコードを購入。後々、その話をした友人には、「王道から入ってるねぇ」と言われる。ビートルズは『HELP!〜4人はアイドル〜』サントラ盤、ストーンズは『ダーティ・ワーク』を買った。どちらかといえば、ストーンズよりビートルズ派だった。入りやすかったのと、当時はPOPなものが好きだったから。ストーンズは、まだピンと来なかった頃。『ダーティ・ワーク』は、名曲『ANGIE』が入っていても駄作と言われていたとか。確かに、この作品をフェイバリットに挙げる人はあまり居ないような気がする。私の世代では、第二世代的に聴く人が多いかもしれない。リアルタイムに想い入れがある訳じゃないけれど、一度は通る...というような。双方とも"ロック・バイブル的"位置になってしまっているし、語るまでもないだろう。カルチャー・クラブは『カラー・バイ・ナンバーズ』から。ミーハー的に大好きだった。ボーイ・ジョージは、最初はやはり女性だと思い込んでいた。中学の頃、学校へ行く前にCNNを見ていたら、ボーイ・ジョージがドラッグ所持の疑いで捕まる&ゲイであると知り子供心に結構なショックを受けたりもした(さすがに今はないが)。でも、あの声は未だに好きだなと思う。

 洋楽の話が通じたのは、同じクラスのピアノをやっていた女の子一人くらい。『アメリカン・グラフティ』などのオール・ディーズも聴いていた。日本のロックは、まだまだアングラだった時代。アングラになっているのが、暗黙の美徳のようでもあった。何故か好きだったのは、TM NETWORKとUP-BEAT。今でこそ、何で好きだったんだろうと思うようになってしまったが。若さゆえ。



 16〜20歳

 ちょうどバンド・ブームの最中に突入した頃。バンドものが大流行りでフジTVの"夜ヒット"にまで出るくらいだった。今思えば、アイドルと肩を並べているロックバンドなんて妙な感じもする。"MTV Music Japan"を見つつ、かすかな記憶で"ベスト・ヒットUSA"などを見ていたような。音楽雑誌も今より少なかった。音楽業界自体にアメリカやイギリスのような確固たるロック・ビジネスがまだ確立していなくて、メディアに露出しても芸能界と一色汰にされてる感じが何だかチグハグに思えたりもした。でも、この時代辺りから、急速にロック系のバンドが表に出て来やすくなったともいえる。ロックイベントもサーキット形式で全国で増えて来たり、TVのタイアップがつくことも多くなった。とはいえ、やっているバンド側にとっては自分を見失うような状況も少なくはなかったように思う。活動して行く上での試行錯誤や、本人達が望む状況と周りとのギャップが今よりも多々あったような気がする。それは、バンドが溢れては消えた数の多さにも言えるのではないかと思う。

 この頃は、ラモーンズやジョニー・サンダースにハマりつつ、バングルスなども好きだった。日本では、シーナ&ロケッツ。T.レックス、D.ボウイ、ドアーズ、ベルベット・アンダーグラウンド、ブロンディ、プリテンダーズ、レッド・ツェッペリン...でも、すぐに飽きてしまい放棄。モット・ザ・フープルは残る。ボブ・ディランは、まだピンと来ず(レコードは購入し一度聴いて棚の中へ居座った)。日本のバンドより、洋楽寄りになっていた頃。
 
パンクやグラムはピンと来なくなってしまったので、しまいっぱなしだったディランを久々に聴き晴天の霹靂。その辺りから、何故かフォーク&カントリーではなくブルースに傾倒。しっくり馴染む時期というのは、突然やってくるものだ。そして、にわかにギタリスト傾倒気味に。ロン・ウッドが大好きで、ストーンズよりフェイセスが好きだった。ジャニス・ジョップリン、プロコル・ハルム、エリック・クラプトン、ジョニー・ウインター、ジョン・メイオール、イギー・ポップ...60〜70年代モノ。邦楽では、佐久間学やTHE PRIVATESなど。



 20代〜

 20歳前後の頃は、「ブルースがいちばん!」と思っていた。その理由は"気楽さ"。ロック系のライヴでは"盛り上がらなきゃいけない"という、強制的な風潮を何故か感じてしまうようになった。ブルースの方がライヴの観方が自由な気がした。黙ってノンビリ見ていても、酔っ払って踊っていても、寝ていても、好きにしていい感じというのが性に合ってる気がした。演奏してる側も、気楽に勝手に自由にやっている感じが心地良かった。ブルースは黒人差別の歴史とも深く根付いている音楽であり、そんな歴史を辿ってゆくのも興味深いものだった。生意気な渋専好み(友人によく言われ)の小娘だったか...と言いつつ、形式的なブルースも少し飽きてしまい他に面白いものは?...と目移り。日本のバンドも今更のように聴き始める。そして、又も方向転換。いいバンドって探せば日本でも居るようだ。

 そうは言っても、今だにCDの枚数も大して多い訳じゃない。何でもかんでも買ったりはしなかった。いわゆる、ジャケ買いが出来ない人。FMをよく聴いていたせいか、私の中の音楽情報はFMからほぼ貰っているような気がする。実に安上がりな吸収の仕方でもある。DJの語っていたアーティストにまつわるエピソードも、未だ覚えているものすらあるのだから。飽きっぽいせいなのか、次から次へと好きなものが変わってしまう。これは性格だから、どうしようもない。「飽きっぽいとは思わないよ。自分の欲求に忠実なんじゃない?納得のいく音楽を求めるのは当然でしょう。」と、ある友人は言っていた。そんな、移り変わる自分と、そして音楽と共に。


― 2001年5月記