《 H i r o ' s P r o f i l e P a r t 2 》




 高校入学とほぼ同時に突然バンドをやろうと誘われる。誘って来たのは以前からの友人。もちろん楽器なんかやった事なんて無い。オレにやって欲しいパートはベースという楽器らしい。 「・・・・・・ベースって何?」ベースというものを知らないオレは訊ねた。「ギターみたいなヤツで弦がギターより少なくてギターより大きくて音が低い楽器」とそいつは答えた。別に元々器用な訳じゃないけど弦が少ないんだったら弾けるかも知れない。ま、いいや。やってみよう。その場のノリでやる事になる(笑)。

 その頃オレはロックなんてものは殆ど知らなかった。オレが聞いてたのは DEAD OR ALIVE とか MICHAEL JACKSON とか DURAN DURAN とかだったし。あっ、そうだ!中学生のときにWHITESNAKEを借りて聞いたことがある!そのときは「何だこりゃ。オレには分からん」と思ったよ(爆)。ベースを始めた後で凄く好きになったけどね。同じロックでもBON JOVIは始める前から好きだったね(笑)。

 やる事になったからにはベースを買いに行った。どんなヤツを買ったら良いかなんて分からない。楽器店でどんなのを買ったら良いか訊ねると「弾きやすくて音が気に入ったものを。」と言われた。そんな事言われても弾けないのに分かるかぁ(爆)!大体オレはベースってもんを知らないんだぞ!!結果は・・・・・・適当に決めた(笑)。


 その後練習を始めてバンドもやり始めた。やってるうちに色んなアーティストを教えてもらうようになる。オレが真っ先に気に入ったのは MOTLEY CRUE だった。Nikki Sixx が凄くカッコいいと思った。難しい事なんて全然やって無いけど彼の存在がカッコいいと思った。リーダーであり、作曲をし、ボーカルと渡り合うほどのパフォーマーであり、なおかつ広告塔でもあった。おまけにルックスもいい(笑)。その後 DEAD END の Crazy Cool Joe も好きになった。オレは今でもジャパメタって苦手なんだけど彼のプレイは独特で素晴らしいと思った。色んな音楽に触れて腕を磨いていった。

 ベースって楽器はやってる人の人口が割と少ない。その中で「使えるヤツ」の人口はもっと少ない。当時「使えるヤツ」だったのかどうかは知らないけどポップスからメタルまで色々なバンドで活動する。あまり覚えてないけどバンドは常に3つくらいやってたと思う。ライブが終わった後に他のバンドのリハなんて当たり前。
 そうやってるうちに街中で歩いてると知らない人に指差されたりジロジロ見られたりするようになった。でもそのとき慣れたから今でも平気(笑)。っていうか気付かないし(爆)。


 高校卒業後は大阪で活動することにした。東京よりも個性的なバンドがあるだろうと思ったからだ。しかも「地元よりもレベルの高いミュージシャンがゴロゴロいるハズだ!」なんて思ったからである。しかし特に知り合いがいたわけでもなく、大阪での活動は困難だった。とにかくレベルの低さに驚いた。地元でやっていた同年代ばかりの「ビジュアル系バンド」の方がはるかにマシだった。いきなり大阪で失望する。暫定的にいくつかのバンドに在籍したが、バンド探しは続いた。

 そしてあるバンドに加入する。特にそのバンドのギタリストはそれまでバンドをやってきた中で最高のギタリストだった。この頃から本格的にコンポーザー的な役割を担うようになり、テクニカルと言われていたベースプレイもベーシックなスタイルへと変化した。そして、さらなる低音が欲しかったため5弦ベースを使い始める。当時は5弦ベースがあまりポピュラーではなかったため(フュージョン系の人ぐらいしか使ってなかった)、弦を買いに行くとどこの楽器屋へ言っても品切れだったりした。今はかなり置いてあるから便利になったなぁ。


 そしてKanjiと出会う。メンバーを探してたオレはまだ会った事の無いミュージシャンと待ち合わせていた。偶然にも他の待ち合わせでそこに居たKanjiに声をかける。それは全くの人違いだった(爆)。人違いである事に気付いた後でKanjiに「面白いヤツだ」と思われたようで連絡先を渡されその後連絡を取り合う。当時はオレのやってたバンドにもドラマーは居たしKanjiのバンドにもベーシストは居た

・・・・・・が、半年くらい経った頃だろうか。新しいドラマーが必要になったオレはKanjiを誘う。スタジオに現れたKanjiは「オレは少しくらい一緒にやっただけでは加入はしない。暫くやってみてもし気に入ったら考える」と言った。そして音出しが始まって20分、Kanjiが言った。「俺をこのバンドに入れてくれ。いや、なんと言われても俺が叩く!」って(爆)。オレもKanjiの叩くドラムは面白いと思った。おまけにこれだけ音のデカいドラマーは見たことが無い(笑)!それに凄いリズム隊が出来上がると思った。そしてその日から一緒にバンドをやっていく事になる。一緒にバンドをやるようになってKanjiは「同じフレーズの8ビートを、ノリを変えて7種類弾きわけられる(かなり前ノリ〜かなり後ノリまで)ベーシスト」に驚いたそうだ。オレもそれがわかる人間に出会えたのはかなり嬉しかった。使い分けについては直感でやっている。細かく考えない。

 この頃某音楽学校の講師をやらないかと誘われる。オレの言ってる事を生徒がとても理解できないと思ってやらなかった。音楽学校で生徒が教えて欲しいものなんて理論や音使いばっかりで「気持ちの込もったプレイするにはどうしたらいいか」を教えてもらおうなんて生徒は居ないからだ。リズムやダイナミクスを学ぼうと思う生徒なんて実際居ない。だからそういう人は学校に行くんだろうけどね。理論なんて勉強すりゃ自分で分かるもんだよ。楽典とかあるんだからさあ。それより素晴らしいプレイを聞いて「なぜこの人はこの音を選んでこういうリズムで弾いてるんだろう」って考えて欲しいね。そこにはその人のソウルがあるから。


 この当時もバンドのギタリストには苦労した。ただ弾けるだけのヤツなんて必要ない。弾けて当然、良いフィーリングを出せないヤツは要らない。カッコよく弾けなきゃ人間がやってる意味なんて無い。人間が聞くものを人間が作り出す。それが音楽ってもんだ。人の心を動かすもの、それが欲しかった。そしてこのバンドでは最終的には「REAL JACK」(ex. ガーゴイル etc.)が参加した。

 その後オレはそのバンドを脱退した。脱退するときKanjiは「オレが40になっても50になっても待っている。またバンドをやるときにはオレを呼んでくれ!!」と言ってくれたのを良く覚えている。その後はバンド活動をせずに毎日を過ごした。「生活するためだけに生きていくことは何て空しいんだろう」なんて思った。 そうして数カ月が過ぎた頃、オレは「あの男」に一本の電話をかける。「あの男」とはもちろんKanjiだ!!オレ達は新しいバンドを結成することにした。目指したのは「他のバンドには出せない激しい"エッジ感"」これはオレが前々から目指していたサウンドでもある。そして原点回帰とも言える「アメリカンサウンド」を始め、コンセプトは固まった。そして Paradigm Shift として動き出した。








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