●ウィンドシンセの歴史 |
■胎動は予兆へと−電気化の波は楽器の世界にも−
いつの時代も音楽家・演奏家達は常に新しい音を探求し、様々なアプローチを試みます。1950年代のエレキギター普及、60年代のアナログシンセサイザーの誕生など、電気楽器が時代の先端となると管楽器にも電気化の波が訪れ、既存の管楽器にピックアップ(マイク)を取り付け、歪みやワウ等のエフェクトで個性を出すようになりました。
特に、新しい音・個性のある音を要求されるジャズシーンでは様々な楽器に試され、60年代後半からはエディ・ハリス( Sax )、マイルス・デイヴィス( Tp )等、名手達が使用したことにより日の目を見ることとなりました。ウィンドシンセが発表された後にも、ランディ・ブレッカー( Tp )や近藤等則等( Tp )等、脈々とその存在は受け継がれています。
さて、そんな生楽器の電気化というひとつのポイントを過ぎ、アナログシンセサイザーが普及しはじめたころ、ひとつの革新的な楽器が誕生します。
■黎明期−全てはLyriconから始まった−
1960年代の終わりごろ、ビル・バーナーディとロジャー・ノーブルの二人は革新的な楽器を開発します。
それまでの「加工生楽器」としてではなく、シンセ音源をブレスでコントロールする全く新しい概念の楽器を研究・開発。1974年に市販機として初の製品を世に送り出すことに成功します。その製品の名は「 Lyrical (歌う様に)- Control (コントロール)」というロマンチックな意味を持つ " Lyricon(リリコン)" 。−−ウィンドシンセの誕生です。
" Lyricon " は管楽器と電気技術を非常にうまく融合させた、全く新しい楽器でした。
運指は管楽器の中でも比較的洗練されていたサックスに準拠。 bis キー(左手人差指のBフラットキー)やトリルキー等、キーの取捨選択もよく考えられており、必要最低限のキーを使用するだけで高度な運指が可能。また、キータッチは既存の楽器とは違い、ストロークの非常に短い剛性のあるキーでレスポンスも良く、気持ちの良いキー操作を行えます。
当時はアナログ音源全盛の時代背景だったため(当たり前と言えば当たり前なのだが)、ブレスによる CV (電圧)制御は非常に滑らかで細かいダイナミクスを表現でき、フットペダルでは不可能な音量変化を処理できます。
また、 " Lyricon " が非常に表情豊かな演奏を可能にした最も評価すべきポイントでもあり、後々ウィンドシンセの適応放散に影を落とす原因ともなったのが
" リードレバー " の存在です。
" Lyricon " のマウスピースはテナーサックスのリードを取り付けるよう設計されており、管体内側からカギ状に先の曲がった針金がマウスピース内にもぐり込み、その先端がリードに接触しています。針金の根元はリップセンサーから生えており、この針金(=リードレバー)が押されたり引かれたりすることにより、実際の楽器と同様ベンド操作など(
" Lyricon Driver " ではVCFやPULSE WIDTH等自由に設定可能)を口で行えます。さらに市販のリードを利用できるということは、固さも容易に選択できるということでもあり、各プレイヤーの好みにあったベンド操作などが行えるというわけです。
この画期的なアイディアのおかげで、管楽器が持つ独特の高度な表現力・ニュアンスをシミュレートすることが可能になりました。
その完成度・表現力の高さから、 " Lyricon " 販売後はプロサックスプレイヤーの間で特にもてはやされますが、金額の高さや音源のノウハウ、外部音源使用時のハードウェア知識の難解さ(当時はCV GATEという汎用規格はあったが、セッティングが難解だった)、当時のシステム構築では重量・容積がかさみ移動が困難等、様々な理由によりマーケティング的に成功したとは言えませんでした。
その後メーカーのComputone社は倒産しますが " Lyricon " 自体はその後もComputone社の債権者たちが債権代わりに引き取ったLyricon Driverのパーツ一式にJ.L.Cooper社から発売されたLyricon Driver用MIDIアダプターを組み込み" Lyricon III "として販売(当然各組立ラインによって若干の違いがある。そして無論正式名称でもない)したり、日本のワーナーグレイ社が元Conputone社コンサルタントのサル・ガリーナ氏(後のWX開発のコンサルタント)の元にあったパーツを引き取り、MIDIドライバーを組み込んだ形の" Lyricon Driver with MIDI" が60本ほど限定販売される(これも非オフィシャル物)など有終の美を飾ることとなりました。
■混沌の時代−ポスト・リリコン達の躍動−
1970年代後半から80年代、Computone 社の倒産と前後する形でウィンドシンセの世界はその小さな領域を奪いあうように適応放散を始めます。
" BIAS " 、 " STING " 、 " TypeII,III
" 、 " IGS " 、 " Katacon " ・・・。これらは皆「ポスト・リリコン」を目指して開発された製品ですが、驚くことに全て日本製。「伊東たけし氏の演奏に魅かれた」というのもありますが、恐らく「ウィンドシンセ」という楽器は日本人との波長が特に合っていたのではないでしょうか。大抵のウィンドシンセはアナログ音源の使用を前提としており、音色も温かく、メロディックに演奏するのに重点を置かれています。テナーサックスのハンク・モブレー人気(アメリカではあまり評価されていない)等でも分かるように、テクニックより温かさや歌心等「人間くささ」を好む日本人の体質には非常にマッチした楽器だったと言えるでしょう。
なんにせよ日本企業の開発力、工業力の賜であることは間違いなく、ウィンドシンセはアメリカ生まれ日本育ちという図式がここで決定づけられたのかも知れません(日本人に生まれたことを感謝しよう!)。
さて、適応放散したウィンドシンセ達ですが、楽器としての完成度は正直バラ付きがありました。見た目は全ての機種が " Lyricon " のデザインを踏襲し、知らない人間が見たら同じ楽器だと思わざるを得ませんが、これは " Lyricon " のインパクトがよほど強く、そして完成度が高かった証拠でしょう。例えるなら、「サックス」という楽器はメーカーにより多少の違いはあれど、見た目は一緒・・・といったことが「ウィンドシンセ」にもあったと類推されます。
このようにデザイン的には似通ったウィンドシンセ達ですが、大別すると「独自の拡張機能を持った」ものと「リリコンの代替機」に分けられます。前者はモジュレーション等の「操作方法」を独自のシステムで解決したりMIDI登載やEXT
INを持っている等オリジナルのアイディアで勝負。後者は、言葉尻は悪いですが「リリコンのコピー」としてひたすらアナログ音源制御に命をかけていた、というように。
しかしながらほとんどの機種は「反応が遅い」、「滑らかさが足りない」、「値段が高価過ぎる」等の問題が多かれ少なかれあった為、
" これ " と言った決め手に乏しく、商業的に成功したとは言えませんでした。唯一、機能・価格全ての面でのバランスの良さから、着実にユーザーを増やした
" Type II,III " だけが勝者となる・・・はずでした。
それと言うのも、ある一つの原因からこれらのウィンドシンセ達はドラスティックに衰退・滅亡することになります。それは前述した " Lyricon " の持つリップセンサーの特許にからむ問題でした・・・。
■混沌から安定へ−WXとEWIの誕生−
●WX編
時は前後しますが、前述したウィンドシンセ達が己の覇権をつかむため躍起になって改良に励んでいた1980年代中頃、水面下では大手楽器メーカーがその舞台に参入しようとしていました。
メーカーの名は御存知「YAMAHA」。当時、 " DX7 " という、売れに売れまくった「FM音源登載でブレスコントロール可能のフルMIDI対応シンセ」を資産として持つヤマハは、これを足がかりにブレスコントロールでのシンセ制御、それもMIDIでのデジタル制御を目的としたウィンドシンセを開発しようとしていました。これは " Lyricon " の流れを組み、なおかつ新しい楽器というコンセプトでした。幸いシンセ・管楽器両方のノウハウを持っていたため、同社のシンセ技術者・管楽器技術者が部署の枠を越えて開発に乗り出すことができました。内部構造をシンセ技術者が行い、キーの設計や「管楽器」としての操作性再現を管楽器技術者が行う。そうして持てる術を全て出し合った結果生まれたのが、 " WX7 " のプロトタイプとして知られる " Wind MIDI Contoroler " です。当時 " DX7 " の制御を目的に伊東たけし氏がヤマハに相談した際「実はこんなのを開発中で・・・」と見せられた話は有名。これをきっかけにヤマハは伊東氏のフィードバックにより開発が進められることになります(他にも前述したサル・ガリーナを筆頭に、鈴木 明男 氏、ケニー・G氏などが開発に協力)。おかげでプロトタイプながら、相当数の人の目に触れることになりますが、初めて見た時のインパクトは想像を絶するものがありました。今までウィンドシンセと言えばリリコンタイプか、後述するハンドメイドの匂いが強く残る " SteinerPhone " しかなかったわけで、しっかりとデザインワークされたこの新しい楽器は、今後のウィンドシンセの発展性を高く感じとらせてくれました。
また、WXが生き残れた理由は、楽器としての完成度が高かったということは勿論ですが、開発時にきちんとしたリサーチを行い、リップセンサーの特許について調べ上げた点にほかならないと思います。
ヤマハ以外のメーカーは、知ってか知らずかリップセンサー等特許についてリサーチを怠っており、Conputone社からリップセンサーの特許を買い取ったヤマハだけが、他ウィンドシンセを駆逐した事実の意味するところは大きいでしょう。もしこれが他のメーカー・・・例えばD&K(TypeIII)やEEW(Takecon,Katacon)といった完成度の高い機種のメーカーが特許を買い取っていた場合、現在も旧態然とした「リリコン型」のウィンドシンセが生き延び、専門店では「EWIにする? Type
VII にする?」等という楽しみがあったかも知れません。
なんにせよ、大量供給・コストダウンのできる大手メーカーが "
特許 " という後ろ盾を持ったうえに販売する圧力に、弱小メーカーは抗することができず、他ウィンドシンセはあっという間に消え逝くこととなります。
唯一頑張った " STING EW2 " 等は最後に底力を見せ、リップセンサー(具体的にはリード)を使わずにビブラートのコントロールを行える「ムービングコントローラー」というアイディアを提示したもののすでに焼け石に水で、あえなく玉砕します。
まぁ結局、「ベンドは口で行うもの」という固定観念を打破できなかったのと「売りになるのはやっぱ " Lyricon
" 」と言う商業上の変な拘り・しがらみ(これも固定観念の一種だ)が自らの寿命を縮めてしまったのでしょう。
●EWI編
WXの登場で、日本では事実上競合進化が潰えたかに見えたウィンドシンセですが、発祥の地アメリカでの動きはなかったのでしょうか? ・・・答えは勿論「否」です。
実は " Lyricon " が開発され始める数年前、一人の管楽器奏者が全く独自のコンセプトに基づくウィンドシンセを自作しました。開発したのは優れた電気知識とアイディアを持ったトランペッター
" Nyle Steiner(ナイル・スタイナー) " 。彼は金管楽器奏者(又は自分)のためにトランペットのバルブに似せた
" ボタン " と、金管楽器の倍音制御をシミュレートさせるための " 5度上がるキー "
、タッチセンサーを用いた " ベンドシステムとオクターブローラー " をシステムの核とし、自作ウィンドシンセの開発に着手しました。
試行錯誤の末にたどりついたのがオリジナルの " EVI " となりますが、ミュージシャン達の中で口コミで話題になったため、完成度をより高くしてフィニッシュの質を向上させたものをSteiner
Parker社(名前から類推するに、ナイル・スタイナーと " パーカーさん " の共同出資会社か?)から
" EVI " として製品化されます。わずか数ヶ月の差で市販ウィンドシンセ第一号とはなりませんでしたが、革新的な金管楽器奏者から厚い歓迎を受けたであろうことは想像に難くありません。
また、元は金管楽器奏者用にと開発された " EVI " ですが、それを見た(又は耳にした)木管楽器奏者がスタイナーに対してアプローチをかけてきたのは当然の帰結だったと言えます。
基本となるシステムは " EVI " を改良することとし、オクターブキャニスターに入っていたオクターブローラーを縦に配置、さらに速いパッセージを可能にするため、キー全体をタッチセンサー化させた" スタイナーフォン (Steinerphone) " を開発します。またリップセンサー部にはハの時型のテーパーに開いた金属板をゴム製マウスピースで包み、噛むことによりハの時が開いたり閉じたりしてLFOを出力するオリジナルアイディアのリップセンサーも登載しました。これにともなって元来口元で行うベンドをプレート化することにより、あの独特の表現を出すことに成功します。
製品名は違いますが、これをもって " EWI " の誕生としても良いでしょう。なにより独自アイディア満載にして、唯一 " Lyricon " の影響を受けない楽器として産声を上げたのは特筆すべきところです。
ハンドメイドの香りが強く匂う四角いボディに、サックスで言うネックの部分は鉄板そのまま、マウスピースから生えたリップセンサーのリード線とブレスセンサー用チューブはムキ出し、ベンドプレートはアングル材を急角度に曲げたもの、といった強烈・・・というより何も考えていないデザインですが、これはこれで「機能美」としてなにやら妙に男心をくすぐるカッコいいデザインだと思うのは筆者だけでしょうか?(後期モデルでキー配列が指の形にエルゴノミクスデザインされている部分等はEWI 1000を超えているとも言えますが・・・)
デザインはさておき、なによりも高性能で表現力が高かった為、これまた口コミで話題を呼び、ハンドメイド楽器としては異例の本数が出たようです。また、それに拍車をかけた人物が・・・御存知、天才マイケル・ブレッカーであります。彼の天衣無縫かつ独創的な奏法・アイディア(具体的にはオッシレータ・シンクでクワンクワン言わせる奏法や、複数の音源・音を使用した多重演奏など)は、それまで所謂「リリコン奏法」一辺倒だったウィンドシンセの表現の幅を確実に広げ、さらに" スタイナーフォン " の名を高める原動力となりました(余談ですが、一般に流布している「体を壊し、テナーの代わりに多少の楽が出来る楽器を探していたらスタイナーフォンに出会った」という話は真実ではないようです。1996年3月号のジャズライフ上で本人が否定しているということです)。
また、スタイナー・フォン発売前にComputone社が倒産したのも追い風だったかも知れません。
しかしながら、完全受注生産であり、音源(使用者と打ちあわせして決めたらしい)とのマッチングをひとつひとつクリアしていかなければならない" スタイナーフォン " は、当然ながら高価で製作に時間がかかります(噂によると200万円超で納期は一番多忙時で2年後)。「受注は増える、時間はかかる」の繰り返しという悪循環に陥りそうになったスタイナーは、ライセンス生産をAKAI proffecionalに持ちかけます。これを機にAKAIは木管楽器型の " EWI 1000 " 、金管楽器型の " EVI 1000 " とともに専用音源である " EWV 2000 " を開発・発売することとなり、事実上スタイナーフォンは巨大な市場シェアを手に入れるのです。
こうして混迷を深めていた市場競争は " Lyricon " の流れを組む " WX " と、全く異なるコンセプトを持つ新機軸の " EWI " が両分する形で落ち着くのでした。
●その他編
フラグシップモデルはこれで解決したものの、楽器というものは安定期に入った時には必ず「初級者向け」とレッテルの貼られた「お手軽楽器」が出てくるものです。そんな分岐派生した「ポータブルウィンドシンセ」とも言うべき製品が、ポータブルキーボード
"カシオトーン" でお馴染みのCASIOから発売されます。製品名 " デジタルホーン "
こと " DH-100 " はそんなCASIOらしさが前面に出た可愛い製品でした。
小さなサックス型の管体で、ベルの部分にスピーカーが付いているという愛らしいデザインに、音源は内蔵型。プリセット音色は6音色でポルタメント付き、電池駆動も可能で2オクターブ(裏技使って2オクターブ半)の音域を持つこの楽器は、「お手軽楽器」の面目躍如たる製品で、ここから息の長いロングセラー製品となります。
後にROMカートリッジで伴奏に合わせて楽しめる " DH-280 " 、 " DH-800
" などが発売され、特にWXにインスパイアされたような形の " DH-280 " はかなり売れたようで、赤ボディと白ボディのカラーバリエーションまで登場しました。
正直「使いものになるのか?」と言われると、時と場合によっては返答に窮する場合がありますが、 " デジタルホーン " のおかげで、ウィンドシンセの間口が広くなったというのは確かな事実です。実際これが「初ウィンドシンセ」というユーザーも多数存在しますし。また、意外にもいい音を出す(と言っては語弊があるが)ため、 普段" EWI " や " WX " 等を使っているヘビーユーザー達も息抜き用に持ってる方が多いようですし、プロサックス奏者の坂田 明などは心底気に入ってしまい、実際のライブで使用していたという有名な逸話まであります。
「ポータブル」に対しては嫌悪感を持つ諸兄がいるとは思いますが、 " デジタルホーン " の果たした役割は想像以上に大きいと筆者は思います。実際、" DH-100 " はウィンドシンセの TV CM 第一号(イメージキャラは坂田明。小学生と一緒に「僕にも吹けた!」のキャッチコピー)となり、一般にウィンドシンセの姿がお目見えしたというのは特筆すべき点です(TV CM 化されたウィンドシンセは前述の" DH-100 " と " DH-280 "のみ)。
また、アメリカ、ドイツ、カナダ、韓国などでも同様の " お手軽ウィンドシンセ " が出たようですが、画像等を見る限りでは " デジタルホーン " ほどの完成度はなく、単なる「オモチャ」の域を脱していない感は否めません。やはり " デジタルホーン " のバランスの良さ・ポータブル機としての完成度の高さは称賛に値するものだと思います。
さらに、 " EWI ・ WX " はフラグシップ、"
デジタルホーン " はポータブル・・・といったようなカテゴリーには納めることが出来ない、もしくは独自のコンセプトに基づく完成度の高さを持つ特殊なウィンドシンセも存在します。
日本(これまた)の「鈴木」から出ている " SRW-100 " などは「MIDIリコーダー」という、市場規模は小さいながらも「新たなジャンルのウィンドシンセ」として頑張っていましたし、同じく鈴木の
" Millionizer 2000 " やジョー・ザビヌルがKORGに特別に発注した " PePe
" などは「MIDI鍵盤ハーモニカ」という今までなかったタイプの「ウィンドシンセ」と言えます。
本来ならばキーボードに接続可能なブレスコントローラもココに入れるべきでしょうが、「最初から息を使う」という前提がある以上、ここでは差別化しておくことにします(「古今東西ウィンドシンセ」ページには記載)。
■そして現在……
" WX " と " EWI " はお互い独自に進化して行くこととなります。
ヤマハからは初代 " WX 7 " からあまり必要でない(とされてしまった)機能を取り去り低コストに抑えた " WX 11 "が 。また同時期にウィンドシンセ(WX)用音源として、最初からブレスコントロールを目的とした音色がプリセットされている " TX 81Z " の姉妹音源 " WT 11 " の販売。教育市場を考え、機能を徹底的に簡略化したローコスト型の " Wind JAMM'R " こと " EW 20 " 。そして現在のフラグシップでもあり、機能面を " WX 7 " より数段進化させた " WX 5 " は、 " VLシリーズ "という非常にリアルな音を出せる音源を携え今に至ります。
かたやライバルAKAIは、「息が抜けない」、「ポルタメントプレートが使いにくい」といった弱点を克服させた
" EWI 3000 " 、同音源として「2VCO-1VCF-1VCAシンセ」を2台内蔵(計4VCO-2VCF-2VCA)し、MIDI
INを付けた " EWI 3000m " へと強力に進化します。また一方で " EVI 1000
" の売上は(予期されていたとは言え)伸びず、以降の開発・販売を断念。以降 " EVI " シリーズはスタイナーの手に戻ることとなりました。
それ以降は反応速度など内部回路をマイナーアップデートされた色違いのコントローラ " EWI 3020 "
に「2VCO-1VCF-1VCA」ながらもアサイナブルモジュジーション(マトリクス・モジュレーションと言えば通りが良いか)を可能にし、多彩な音色づくりができ出音のズ太い
" EWI 3020m" 、そして " EWI " に特化したPCM音源 "
EWI 3030m " を開発・販売します。
そしてスタイナーは現在でも " EVI " の血統を絶やしておらず、 " EWI 3000シリーズ " のコントローラを送って作ってもらう " Steiner EVI " 、さらにMIDI信号だけで音源を制御する " Steiner MIDI EVI " を細々と作り続けており、金管楽器奏者用ウィンドシンセの命脈は守られています。
「お手軽ウィンドシンセ」の" デジタルホーン " は、音域が3オクターブ(裏技で3オクターブ半)に拡張され、リバーブが内蔵、キー周りがよりサックスに近付いた " DH 500 " が販売されました。非常にバランス良く簡略化されているシステムと音域の拡張が功を奏したか、老人・福祉施設やカラオケボックスの常設楽器、はたまた飲み屋の景品等として重宝されるも、2001年にその幕が降りてしまったのは残念でなりません(復活を熱望します!)。
そして、記憶に新しい「ノースウィンド」(日本)の " NWC
1000 " 。専用音源付きでアルマイト加工された綺麗なコントローラで、ウェブサイト上のみで発売予定されたこのハンドメイド・ウィンドシンセは新たな入門用ウィンドシンセとして注目を浴びましたが、フタを開けてみればいかんせん価格が高く、なおかつ性能は中途半端といった感がぬぐえず、口さかしい者に言わせるなら「EWIセット買う値段でデジタルホーンは買えん」という有様でした。あっという間にサイトは閉鎖されてしまったようですが、今はどうしているのでしょう?
現在の2社独占体制の状況、そして音源にフィルターのCUT OFFツマミ(これは本当にナイスアイディアだと思う)があったりと、埋もれさせるには惜しい製品だと思うので、さらなる研鑽を重ねて復活していただきたいと思いますが。
他にもハンドメイドのウィンドシンセはインターネットの普及とともに情報公開されてきたが、市販されるほど完成度の高いものはなく、当分の間YAMAHA、AKAIの2社体制は安泰であると言えるでしょう。
(2003年10月)
●ウィンドシンセの歴史 |