今まで使っていたレンタル日記が使えなくなってしまったので、このサイトのサーバーに直接作ることにしました。

正直、過去に書いていたことはあんまり覚えていないので、
以前の日記をご覧になっていた方、内容が重複するかも知れませんが、ご容赦下さい(管理人@uraihiro)

それでは参りましょう・・・人格豹変!!(笑)


エンターテイナー(08/18/2004)

この日記を書いている少し前に訃報が届いてしまいました。
チェッカーズのドラマーであり、アブラーズのドラマー、そしてワタシがOn The Beatメンバーとして1度だけ対バンしたバンド、WILD-Gのドラマーでもあったクロベエさんこと徳永善也さんが永眠なされました。(享年40歳)

ひょんな事から対バンをすることになり、その後2004年7月23日に行われた「あぶらまつり」にもスタッフとして参加をしました。その時のクロベエさんは「この人は本当に病人なのか?」と思う位ステージの上ではしっかりと役割をこなしていました。

ミュージシャンとして、
エンターテイナーとして、
プロとして、

その姿勢、本当に勉強になりました。

ありがとうございました。


誰かが・・・(04/28/2003)

とある掲示板を観ていていつも思うことなんだけど、「この方法(ワタシが実践しているとある本の方法論)で●●を達成した方はいますか?もしいたらやろうと思うのですが・・教えて下さい」っていう書き込みを観る。ワタシは実際途中段階なんだけど、正直引きずりまわしたいキモチで一杯。こんな事を書き込んでやろうかと思った。(実際は書き込んでませんよ・・笑)

「ワタシもやっているからアナタにも薦めたいけど、『身近の(掲示板に書き込んだ人)誰かが出来たから』と言う事実がないとやろうとしないそのせこい心持ち在る限り、キミには信念がないし、根気もなさそうなんで結論としてはやめときなさいな。キミは『信じる』より『疑う』のキモチが強い人間のようなので自分でモノゴトは決められない人だと思います。そんなキモチでは何やったってモノゴトは決められないし、仮に決めてやったとしても99.9%続かないでしょう。周りに同じ境遇の人がいるという『安心感』は、お互いの確固たる信念があって人間の愚かな部分(特にメンタルな部分)を補いながら苦労を共有出来る戦友みたいなモノであり、それを達成したときの充実感をその人と一緒に味わいたいから一緒に苦労しているんです。キミとは苦労を分かち合えません・・・」

(あんまりにも同じ書き込みが多いので、ホントに書き込んでやろうかと何回も思いました・・・笑)

自分、信じましょう。信じて間違っていてもイイんじゃないすか?

疑って間違うよりはよっぽどイイんじゃないすか?後悔しますよ・・・・・

 

マジで。


平和ボケ(03/21/2003)

遂に開戦がなされてしまいました。いかなる主張があれど「人は人を殺める権利はない」ということは誰しもが分かっていなければイケナイはずなのに、またも人類は過ちを犯してしまいましたね・・・愚かなモノです。

けど、今回のことで解ったのはつくづく、ホントにつくづくこの国は平和に関する関心が薄いということがあらわになった。戦後、日本国憲法が出来て第9条により「戦争放棄」の立場をとった日本。そして、アメリカに守られて55年が経ち経済的には世界有数の大国になった。

日本は平和ですね・・あまりにも平和すぎて他の国で戦争が始まってもホントに「他人事」なんですね。反戦デモもちょぼちょぼと始まっているみたいだけどワタシに言わせれば、そんなモノはただの自己満足にしか見えない。もっと言えば「自分に酔ってる」って言う表現かな。少なくともこの国での反戦デモはそんな感じに見えてしまう、特にこういう問題は国家間のレベルの事なんだから、幾ら選挙制度が不透明だからって、投票率が半分位で、しかもイメージだけで首相の支持率が80%もいってしまうようなこの国で反戦デモを起こしたからってねぇ・・・だったら普段から「平和」に対する主張を持っておきなさい・・・と。それについて普段から国民レベルで討論をして成熟させていく方がよっぽど反戦意識が強まるし、それが本来の民主主義でしょ。

さらに疑問に思うことは、この国だっていつ何時攻められるかわからないんでっせ・・海を挟んでブッシュが「悪の枢軸」と言った国があるのに、ホントにのほほんとしているでしょ(さすがに政府レベルではそんな事は思っている訳はないと思うけど)この国の何処かににミサイルが落ちてきても、果たして外国みたいに反戦デモなんてしていられるのかと。アメリカが守ってくれると言ったって、アメリカにとっては所詮「他人事」なんだし、ましてやこの事に対して「相互扶助」が成立していないわけだから、守ってくれる保証は何処にもないのよ。

「平和」って言うだけで平和が来るならもうとっくの昔に平和です・・・


自分が好きですか?(03/11/2003)

前々から思っていたことなのですが「年齢って単に生きてきた年齢」と考えています。ワタシって年齢と見た目のギャップが結構有るようで(自分はとってもリアルな24歳だと思ってはばからないのですが・・大分上の年齢に見えるようです・笑)昔から同じ事を言われ続けていて、それがコンプレックスになっている部分もあったのですが、ここ何年かはそう思われること(見た目より年上に見られること)が結構嬉しかったりします。

自分で言うのも何ですが、ワタシは他の同世代のヒトに比べると、ガキの頃から結構面白い人生と言うか平凡な人生ではなかったので、そう言う意味ではオッサンくさいとも思いますし、若さの片鱗はあまり無いわけです。その辺で結構親を恨んだりもしましたし「何でオレだけ・・」と10代の頃はか〜なり歪んだ(いまもですが・・笑)人生観をもっていました・・・でも、その辺は今はと〜〜っても感謝しています。自分の境遇も価値観も人生観もこのように育てて頂いた両親には感謝しています。

ところで「自分が好きですか?」と聞かれて間髪入れずに「大好きです」と言える人ってどの位いるんでしょうかね・・・?で、もし言える人っていつ位からそういえるようになったんでしょうね?私の場合は21歳位だったので結構遅い方かぁとは思っているのですが・・・う〜ん。

勿論、コンプレックスも有りますよ。でもそんなのもひっくるめて自分なんですよね。考えてみれば凄く単純かつ簡単なことだったのに、そんなことに気付くのに22年も掛かりましたからね。何ともお恥ずかしいハナシです・・・

自分にどうしても嫌いなトコロが有ればそれを改善するが為に精進すれば良いだけのことなんですよね。こんな事に気付くのに21年も掛かってしまいました。何ともお恥ずかしいハナシです・・・

人と考えや答えが違っても良いわけですよね。結果的に正解率が10%の問題だってあるわけですし。こんな事に気付くのに21年も掛かってしまいました。何ともお恥ずかしいハナシです・・・

人が「嫌い」と思ったモノも「好き」と言っても良いんですし、その逆も良いんですよね。こんな事に気付くのに21年も掛かってしまいました。何ともお恥ずかしいハナシです・・・

モノゴトは最初に「否定」から入ると結構本質が見えてくるモノなんですね・・・こんな事に気付くのに21年も掛かってしまいました。何ともお恥ずかしいハナシです・・・

誰も自分のことを理解してくれなくても良いんですよね・・・ちゃんと他人に理解してもらうように話すことが出来ればいいし、それが出来なくても自分が「ちゃんと」理解しているから。こんな事に気付くのに21年も掛かってしまいました。何ともお恥ずかしいハナシです・・・

でも・・集団生活だから迷惑を掛けないような協調性も必要なんですよね。こんな事に気付くのに自分で文を読み返して気付きました。何ともお恥ずかしいハナシでした・・・


自分勝手(02/13/2003)

この話をする前に、1つ前置きがありまして・・・

半年ほど前からワタシはあるモノをある本の方法に沿って習得しようと、ベースを弾く時間と仕事以外の殆どの時間をその習得の時間に当てています。実はそれが元でこのサイトの更新がままならなかったりしています・・・その辺についてまずはお詫び致します。その「あるモノ」と「ある本」については習得が完了した際(今年中には終わるのではないかと思います)に報告します。

さてさて・・・本題に入りたいと思います。上に書いた「ある本」が結構ベストセラーになっておりまして、その方法について賛否両論が繰り広げられいるのですが、先日その本についての実際に読んだ人のコメントがあるサイトのレビュー(いわゆるアマゾンなんかの紹介・レビューのサイトですね)を見ていたのですが・・・・

8割がムカついた。てめぇのちっぽけな価値観を照らし合わせて、本を読んだだけであんなにも幾らネットだからって、あんなにも書けるモノかなぁと思った。「この方法は個人によって効果が違う」とか、実際に試してもいないクセに文句ばっかりつらつら書き述べて。まぁ、そういう奴らは陰でしかこそこそとモノを言えんのだろうけどね・・・

大分前の日記でワタシは基本的に今の日本人の価値観が嫌いと書いた。でもその本を読んでから思ったのですが、価値観云々の前に日本人って基本的に「モノマネ・パクリ大好き国家」って言うことを忘れていました。さらに凄いのはそれが大々的に「美徳」として認められていることにあるんですね・・・今の時代「自分らしく生きる」と言う言葉が横柄にも飛び交っているのですが、その言葉のウラには「自分自身の確固たる考え」と「人の考えを尊重する」大前提があるわけです。要は「他人は他人。自分は自分」と言うことですね。

ちょっとハナシがずれますけど、自分自身を確立する「価値観の形成」に必要なコトっていったい何なんでしょう?ワタシのかなり尊敬する人(この人は有名な人なんですが)自書の中で「●●になりたいと思うな。●●だけにはなりたくないと思え。」と言うコトが記されていたんです。この言葉は深いです、とっても。

ただこの日本の現状で自分らしく生きるというのはワタシに限って言えば、凄く難しいかなぁと。基本的にワタシの考えって他の人と大分違うようです。他の人の話を聞いていても、結構心の中で「あれれっ・・・?」と思うことがあったりします。でも最近の持論が「結局、世の中に真実はない。それは結果論前提のハナシだから」と思うようになり、以前にも増してどんどん頑固な自分になっているので、ますます世間(ここで言う世間は「普通の」日本人だけど)離れしています。

ハナシを元に戻しまして、何でもそうだけど、批判するのであれば自分の考えを最低限もたないと。あとそれに対する責任、そして考えが変わったときに「ワタシはあの時思ったことは間違いでした」と思える勇気。自分勝手でも良いと思う。ワタシに言わせれば、ヒトなんて生まれたその時からもう自分勝手なんだから・・・けどオトナ(考えることが出来るヒト全て)はそれは許されない。究極の自分勝手って「自由と責任」のバランスゲームでしょう・・・

でもそれが出来ないから法律はどんどん厳しくなる・・・はぁ。

またモラルについて書こ。んで自分勝手なストレス発散しましょ(笑)


アメリカが・・・オカシイ(02/02/2003)

最近の、と言うかあの「911」以降のアメリカの外交姿勢を見ているとどうも腑に落ちない点が多々ある。

特に強く思ったのはイラクに対するあの姿勢。査察が始まった頃から「あれ・・・?ちょいちょいおかしいなぁ」とは感じていたけど、まるでテロとイラクをごっちゃにしてしまったかのような、完全に脅しとも捉えかねない姿勢ですな。

そして国連なんて殆ど機能していないも同然になってしまっていますな。まぁ、国連なんて「世界の警察」なんて言葉もあるけど、殆どアメリカが独占権を握っているようなモノだし、今まではアメリカはちゃんと国連の中でリーダーシップを発揮してはいたけど、やはり「911」以降変わった。

何が変わったか・・・?被害者になったからでしょう。今までどんな問題も第3者的な立場として調整にあたってきたけど、今回のイラクに対する姿勢は違う。それは先日のブッシュ大統領の一般教書演説を見ても明らかでしょう。いろんな新聞の見解にもあるけど、今この時期に何の為にイラクを攻撃するのか、日本人から見たワタシはどうしても分からない。仮に攻撃したとしてブッシュ政権を無くした。その後は一体どうケアするのか?どうみても「やられたらやり返す」の論理でしょう。イラクは少なくてもテロじゃない。

「被害者の意識」というのは分からなくも無いけど(今で言うなら日本に対する北朝鮮みたいなモノですな)それも踏まえた上でも「世界のリーダーはアメリカ」と言うことを目一杯にだしている。それもあからさまに。このまま仮に攻撃してしまったら世界はどの様な反応を示すだろう?

日本はアメリカにハッキリとモノを言うのはあり得ないから・・・(笑)やっぱりヨーロッパの国々の反応かなぁ。

とにかくハッキリ言って今度の戦争だけは意味がないでしょう。守る為の戦いならまだしも、それはアメリカの「メンツ」を保つ為に今回のことを利用していると見てしまうから・・・