コラム Let It B研 第5回


「レノン/マッカートニーの逆襲」

街で「ビートルズ」の元メンバーの名を訪ねたら、一番出てこないのは「ジョージ」 だろう。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーは問うまでもないビッグネームだし、リンゴはその名の特長ゆえに記憶されやすい。
本国イギリスですら、若者の半数は「ジョージ・ハリスン」が誰であるかを、彼が亡くなったときに初めて知ったらしい。
ここまで影が薄いのに、何故か日本のビートルズファンにはジョージを支持する人が多い。
B研も例外ではない。とりあえず聞く人聞く人ジョージファンだ。
レノン/マッカートニーファンの私の立つ瀬がなくて困っている‥ってわけでこの場を借りて逆襲だ!笑。

レノン/マッカートニーといえば、数年前、イギリスの権威ある音楽誌「Q」が「20世紀最も偉大なスター」を投票したときに、見事ワンツーフィニッシュを決めたほどの、20世紀を代表するソングライティングコンビである。
ビートルズが発表した曲のほとんどに作曲作詞者としてクレジットされており、ビートルズ革命の礎を築いたのは彼らだと断言しても過言ではないだろう(もちろんジョージとリンゴなしに「ビートルズ」は成り立たないわけですが)。
10代で出会ってすぐに作曲を始め、「二人が書いた曲は、どっちが書いていても『レノン/マッカートニー』とクレジットしよう!」と言ったのがこのクレジットの始まり。
しかし彼らに纏わる誤解はあとを絶たない。その代表的なものが「レノン=作詞、マッカートニー=作曲」という理解である。

私が所属している学部の宗教主任は、講義の途中で突然「僕はビートルズの来日公演に行ったんです。(中略) 演奏が終わるとビートルズが『S田君、ここへ来てください』とステージ上に僕を呼んでね」と話し出す夢想家でしたが、そんな彼ですら「『Let It Be』は‥レノン/マッカートニーだから作詞はジョン・レノンかな」と言い出す始末でした。
ちなみにこの発言の瞬間から、私がこの宗教主任の話を信用しなくなったのは言うまでもありません(笑)

まぁしかしこういう理解をしたくなる心境はわからないでもない。
ビートルズが活躍した60年代やそれ以前は作曲者と作詞者が別であることが普通だったし、ましてやバンドが自分で作曲作詞を行うなど考えられなかった時代だ。
或いはジョンが「I Am The Walrus」や「Across The Universe」という他の人にはかけない詞を書いた人物であり、ポールが「Yesterday」や「Here There And Everywhere」で天才メロディーメーカーぶりを発揮しているのも事実である。
さらに言えばジョンが詞を書いてから譜を付けるタイプなのに対し、ポールはメロディーに詞を当てはめていくスタイルを主としているのもまた一つの事実だから「レノン=作詞、マッカートニー=作曲」という理解も本質的にはあながち間違いとは言えないのかもしれない。

が、やっぱりこの理解を放っておくわけには行かないでしょう。
「This Boy」や「Nowhereman」のようなコーラス美麗曲を書いたのはJohnであって、「I Will」や「The End」のような散文的な或いは普遍的な詞を書いたのはポールなのです。
そしてそんな風にお互いが作詞と作曲の能力を持っていたからこそビートルズという化学反応が起こったのであり、また解散から30年40年のちにまで「20世紀最も偉大なスター」として認知される所以なのだと思う。

さてところで、B研はその名の通り「訳詞」がサークル活動の源流だ。ではそんなB研ではレノンとマッカートニーどちらの詞が人気なのだろうか。
ここ5年分くらいの訳詞集をざっとみてみたところ、これが年によって傾向がきれいに分かれている。
5年前はほぼ均衡しているが、その後数年は圧倒的にジョンの詞が多い。
そして昨年はまたポールが盛り返している、がここにはまた女性がポールの詞を好むという面白い傾向がみられた。
B研の訳詞集は毎年学祭に合わせて年一回発行されており、今年もまた部員たちの愛と勇気と合宿の疲労が込められた訳詞集が完成したようだ。
さて今年の傾向はどんなもんでしょう?
訳詞集は青山祭(11/28・29)のB研ブースにて無料配布されますので是非お立ち寄りください。

2006.10.18 3X期匿名希望

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