高野山征伐戦
信長が長年戦ってきた石山本願寺と和睦して間もなく、新たに真言宗総本山の 高野山が不気味な存在として浮かんできた。 かつて、比叡山を焼き討ちし、僧俗男女三千人を殺害した信長を仏敵視して いた高野山は、すでに大和国宇智郡坂合部・二見に砦を築いて備えをかためて いたが、信長は、僧侶に砦は不要として強硬に撤去を要望した。山ではむろん、 聞き入れなかったばかりか、先に信長に反逆して、伊丹城を追われた荒木摂津守 村重の旧臣五名を池の坊にかくまった。信長への宣戦布告と同じである。 その引き渡しをもとめる信長の上使前田又佐衛門・不破河内守が、肩をいからし 山を上ったが、高野山方は、みすみす殺すと分かっている相手に渡すのは出家の 道でないと拒絶した。さらに織田の兵三十二名が交渉に現れたが、これも高野山 方はことごとく斬ってしまった。 ここにきて信長は、高野山攻めの決心を抱いたが、その決断の裏面には、当時、 中国・四国平定に目をむけていた信長にとって、高野山方が後方を脅かす恐れが 多分にあったからで、まず戦略的にこれを叩く必要があった。