人形は扱いを間違えると、とんでもないことになるといいます。
「人の形」というように彼らの成り立ち自体が、念を吸引するということを
前提に造られているからです。流し雛などに見られる風習では、子供の災い
を雛に背負わせることを主眼としているし、「わら人形」を見るに細部の
緻密さが、決して彼らの能力を増減させるものではないということがわかり
ます。つたない細工でも十分に効力を発揮することもあるのです。
空の人形は何かを吸いたがるといいます。だから、できあがったばかりの人形
には「人形としての覚悟」を入れてやらなければならない・・・と、ある有名
な人形師はいいます。
「自分は人間ではないんだ。遊ばれてオモチャにされて捨てられることが、
自分の幸せなのだと引導を渡します」
彼によると人形は「自身の魂は死んでいる」のが良い状態なのだそうです。
「ですから、造り上げるというか、産み出した瞬間に殺してやるのが我々の
仕事でもあるのです」
そういう彼もそこに至るまでには二十余年の歳月が必要でした。
彼は言います。
「後から考えると、実に恐ろしい人形を造って人様に渡したこともあります」
人形が生きたままもらわれると最初にすることは「気を吸うこと」。次が
「嫉妬」であるらしいのです。
「人形に嫉妬されると、その人の気持ちの状態はドンドン悪くなります。
取り殺されることもある」
人形が夜中に話し合っているというのは、よく聞く話です。
ボソボソと虫の羽音のようにかすかに頼りなげながら、音は確かに彼らを収納
している場所から聞こえてくるといいます。考えてみると童話「おもちゃの
チャチャチャ」も不気味です。
昔、吉岡さんは近所の子にいじわるをされたお返しに、その子の名前を縫い
つけた人形を殴ったり蹴ったりしていたそうです。しばらくすると、その子に
不思議と怪我が多くなったといいます。
「腕を曲げたり、顔を針で刺したりしたわ」
しかし、効果も薄れたりするらしいです。そんなときはどうするのかと尋ねると
彼女は少し青い顔をして答えてくれました。
「近くにね。置いてきちゃうの」
驚いたことに彼女は墓場に人形を置いてくるのだといいます。
「袋に詰めて花なんかが新しいお墓に置いてくると、また力が出るみたい・・・」
いじわるな少女は包帯だらけになったといいます。
「そのうちあんまり外で遊ばなくなって、いじめられなくなった」
問題は人形でした。
実は、いじわるの後半から吉岡さん自身にも怪我が多くなっていました。傷は
切り傷が多かったのですが、たいして痛くはありませんでした。彼女は人形
をおもちゃ箱代わりに使っている茶箱の奥に突っ込んでしまっていました。
「でもね、いちばん驚いたのは、枕投げを妹としていたら髪が切れたときね」
枕が顔をかすめた瞬間に布団の上に黒いものが散ったのです。それは肩口から
切り落とされた、彼女の自慢の髪でした。
姉妹の手の中にはフカフカの子供枕しかありませんでした。幼いながら、二人
の間には気まずさよりも気味の悪さだけが残りました。
そして、吉岡さんの作っている人形について知っていた妹は青くなって、
事の次第を母親に告げたことで、大騒ぎになりました。
「ずいぶん、叱られて。お寺に人形を持って行ったの」
普段は優しい和尚さんは、ひとめ人形を見るなり「いったい何に使ったのか」
と厳しい口調で吉岡さんを問いただしました。そして、彼女が涙ながらに説明
すると何回か印を切って念じた後で、護摩と一緒に人形を燃やしました。
「変な臭いがして、母親がこれは何の臭いですかって聞いたら・・・ハッキリ
『肉です』って言われたわ」
あとで母親に聞いたところ、和尚さんは「人形には狂い死にした男の霊が
入っていた」と答えました。人形を入れていた茶箱も、あとに寺で供養して
もらったそうです。
「それから何年かして、その頃の写真が出てきたの。そしたら茶箱をしまって
いた障子に、上を向いて嗤ってる男の人の顔が写ってたの」
人形芝居を造るときのコツというのはあるんですかという問いに対して、ある
演出家が意外な答えを返したことがあります。
「人形の身になって扱ってやることです」
例えば平家物語なら、人形はそのために造られています。人形を人間の都合
に合わせると良い演技は期待できないと言います。
「つまり忙しいからといって、源氏と平家を一緒の箱に詰めたりしてはいけ
ないということです」
実際に、新人スタッフが敵味方混ぜてひとつの箱に詰めてしまいこんでしまった
ことがありました。翌日、使う段になって箱を開けると、すべての人形の
手や足が壊れていて使い物になりませんでした。
「それと礼儀も忘れないこと。相手は、お侍だったりしますからね」
実力派とされる人形師ならではの由縁なのかもしれません。