カレン民族②


事前に親やナオから聞いていたが、カレン民族というミャンマー(元ビルマ、1989年に正式に変更)に所属していた民族は、1949年のクーデターより軍事政権への変化に対し反発しているようだ。... 軍事政権といえば、国軍が国の実権を握り、人民へは独裁政権に等しい対処をしている。 もともとは社会主義への展開を目指していたようだが、参考に呼んでいたホームページによると結局は鎖国敵な国へとなってしまったらしい。。。

早速カレン民族についてインターネットより調べてみた。

事前に親やナオから聞いていたが、カレン民族というミャンマー(元ビルマ、1989年に正式に変更)に所属していた民族は、1949年のクーデターより軍事政権への変化に対し反発しているようだ。しかし、それが具体的にどのような形で反発という形になったのかがよくわからなかった。軍事政権といえば、国軍が国の実権を握り、人民へは独裁政権に等しい対処をしている。もともとは社会主義への展開を目指していたようだが、参考に呼んでいたホームページによると結局は鎖国敵な国へとなってしまったらしい。民主化を率先するのはもちろんミャンマー人にもいる、それに少数民族も民主化を望んでいる。そこに代表されるのがカレン民族だ(他にもシャン、カチン、チンがある)。

約55年間KNU(カレン民族同盟)は軍事政権に対し反発し続け、ついに去年仮にも停戦合意へとたどり着いたようだ。しかし、それに至るまでにミャンマーは苦労ばかりを続けていた。軍事政権により自決権を欲したカレン民族は武装された軍隊により鎮圧された。そこで、武装蜂起したカレン民族は彼らの意志を通すために戦争へと切り出したようだ。

下のホームページより見た写真からは、いかに幸せそうにカレン民族が暮らしているかが伝わってくるのみだ。しかし、一枚の銃を持った3人のパトロールを見たときに、悲しい現実を気づくしかなかった。笑っていられるのも、守ってくれているという気持ちがあり、そこに頑張って戦っている人がいるからなのだろう。

これまでの事柄は、ミャンマーでの話であり、そこで迫害されぬようタイへと避難する民族が大勢いるようだ。ミャンマー兵は無差別に村人を殺傷することもあるようで、そのような国にいては身が持たないとの考えだろう。タイにおいてカレン民族は日々民主化への考えを頭に巡らせているようだ。しかし、そこでミャンマーへと戻り何かしようとしようが、殺戮平気によって黙らせられるのが現実だろう。なにしろ、仏教国として成り立っているミャンマーが、デモに参加した僧侶を銃撃することが可能なのだから。

一つとても感動できる話が乗っていたので書いておく。ミャンマー(ビルマ)とタイの国境にあるメータオ・クリニックという無料診療所がある。ここではタイから、またミャンマーから患者を扱っているようだ(もちろん民族の差別なしに)。1988年に民主化運動が武力弾圧された際に、カレン族の支配地域へと逃げ込んだシンシアマウン女医が89年に設立したものだ。彼女は医療面から民主化を働きかけようと努力しているようだ。実際にミャンマーの医療水準は低いらしく、このままでは国民が病気で全員犯されてしまうのが心配であろう。

いくら軍事制度ともいえども、武器によって人を黙らせるのは賢いとは思えないだろう。相手が必死なのを無視し、ただ単に仏教徒が仏教の教えを説く僧侶を殺しているのだ。これほどの矛盾があっていいのだろうか?国連では最貧国とラベルを貼られ、クーデター以来全く持って進展の様子がミャンマーには内容である。

ミャンマーで民主化へと努力する活動家もいる。いい例が、アウンサンスーチーさんと、タマニャ僧正だろう。タマニャ僧正についてはあまり調べていないので、アウンサンスーチーさんについて述べてみようかと思う。彼女はイギリスから母の墓を訪ねビルマへと帰郷していた際に人々から民主化へのサポートを願われ、彼女の強い働きかけにより軟禁され続けている女性だ。ノーベル賞まで授与されている彼女はミャンマーでは16年間の間になんと、9年間も軟禁されているようだ。よほどに、軍事政権は民主的要素を嫌っているのだろう。だが、さすがに武力弾圧には踏み切れないようである。それによって、軍事政権が絶対の悪役となってしまい、政権を保てなくなるからだろう。

参考:
「内戦56年、生活基盤を失うカレン民族」

Posted: 水 - 6月 1, 2005 at 07:57 午後      


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