「誇るべき物語(小説ジョン万次郎)」有明夏夫



ジョン万次郎。彼はアメリカに漂流者としてアメリカに渡った。しかし、現地の人々はそのことによって彼を差別しただろうか?行き着いた場所がアメリカと言うことから、独立戦争から引き継がれた寛大さが存在していたことから、この状況があり得たともいえる。いろいろと聞かれることがあったことだろうが、鎖国の国、日本から来たというだけに、彼を差別するような人はいなかったようである。

アメリカで十分な勉強をし、また、捕鯨船で正式な船乗りとして乗船したにもかかわらず、万次郎の頭の中には常に、日本へ帰化することがあったらしい。どうして、アメリカでの生活に満足できなかったのだろうか?簡単に言ってしまえば、彼の身内を心配させたままにさせておけなかったと説明できるだろう。しかし、そのほかにも、その頃の日本の情勢にも関係してくると思える。日本が鎖国の立場を保ち続けているさなか、日本はまた外国へと出て行ったものたちに処罰を与えていたのである。当時の万次郎は幼く、できれば処罰を課せられるのをさけたかったであろう。その際に彼は逃亡をし、日本国から犯罪者として扱われるか、あるいは漂流の事実を述べ、理解してもらうという選択があった。彼としては母親の近くにいたかっただろうし、できれば事実をわかってもらいたかったであろう。個人的な意見で言うなれば、彼は日本へ帰ってどうにかいいわけをしてその後平穏に暮らしたかったのだろう。

しかし、さすがの万次郎もただ帰ることだけを考えずに、彼はいかに日本で自分のみをたてるか企てたのであろう。彼を救ってくれた捕鯨船の船長、ウィリアム・ホイットフィールドにアメリカでの勉学を進められ、日本の中で最先端を語りたい彼は是が非でもアメリカへと渡ったのである。今から思えば、これが今の留学という形に一番近いのであろう。

自分を万次郎と当てはめてみると、まだまだ万次郎にあった意欲というものが足りないような気がする。今は親の転勤でニューヨークへ来ているというものの、個人的な意志でここにとどまっているのではない。四年前にはニューヨークへ親が転勤するからと言う前提があったので、事は何事もなく進んだのだ。しかし、今考えてみると、ニューヨークだからこそできることをし、そして未来への自分に授けるべきなのではないだろうか?今までに、いろいろな国へ渡ったものの、今までにその国にとどまる必要性をあまり感じたことがない。あったとしてもその必要性は、その瞬間のものであり、その先のことは全く持って頭に入っていなかったのだ。たとえば、友だちがいい例だろう。友だちがいるからこそ、パリにとどまりたいと、フランスから日本へと引っ越すときに日に日に言っていた。しかし、今考えてみれば、そこでとどまっていたとしても、先には何もなかったのであろう。

しかし、ここで、その瞬間的な必要性を否定することはいけないと思う。今までに、いくつもの人と会ってきたが、人の周りにいることが、常に未来へと続いていると実感しているのだ。万次郎でさえも、船長という心の内を話せて、わかってくれる人がいたからこそ、彼は漂流者からアメリカへ、そして日本へと帰ることができたのではないだろうか。

今ニューヨークにいるからこそできることを探すのも一つであり、くる前に見つけてくる人ははなはだ偉いと思うしかない。今は今で楽しまなければ膝に力が入らないではないか。

Posted: 火 - 5月 31, 2005 at 08:31 午後      


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