表現のパズル
今日は友達と久しぶりにカラオケに行ってきた。ギターを弾く僕にとってはカラオケはただの暇つぶしでしかないが、やはりいざ歌い始めると真剣になってしまう。ニューヨークに住んでいると言うことでなかなか最近の曲は歌えないものの、やはり何かをして曲の一部になるのは充実感がある。しかしやはり抵抗がある。。。
今日は友達と久しぶりにカラオケに行ってきた。ギターを弾く僕にとってはカラオケはただの暇つぶしでしかないが、やはりいざ歌い始めると真剣になってしまう。ニューヨークに住んでいると言うことでなかなか最近の曲は歌えないものの、やはり何かをして曲の一部になるのは充実感がある。しかしやはり抵抗がある。
昨日書いたこととつながってしまうが、既成の音楽を歌うと言うことは、他の誰かの表現を一時的に借りるということである。自分が本当に表現したいことであったとしても、自分が実際に曲を作らなくては何もならないのである。ジャズでは絶対に必要なことなのであるが、例えばギタリスト、ベーシストとドラマーが一つの曲を演奏するとする。ギタリストがいかに上手く弾け、表現が上手だとしてもベーシストとドラマーに上手く噛み合なくてはその上手さはいかされないのである。よって、既成の曲はそのグループに演奏されることによって一つの完璧な表現になるのである。その完璧な表現と言うパズルから一つでもピースが欠けて、他のサイズの違うピースを加えても表現は完成されない。
しかし、カラオケでそのような完璧さを求める事自体間違っているのだろう。カラオケはいわゆる娯楽をする場所であり、プロが存在したりする場所ではない。楽しめればいいのだ。(じゃぁ今までの分は何だったのやら?)
まぁ、上の文から言えることは、僕はアイドルが嫌いで、全てのメンバーが曲の作成に関わるバンドが上手く彼等を表現できると思う、ということだろう。(結局昨日と似たような結論でした。。。)
Posted: 金 - 6月 18, 2004 at 01:37 午前