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久しぶりに、本当に久しぶりに聴いた気がした。吉松隆作曲の『ファジーバード ソナタ』。演奏はもちろん須川展也。なんという軽やかさ。そこには何らかのしがらみも束縛もない無邪気なまでの自由が、自然な息遣いの中に歌われている。目を閉じて聴いていると、その歌が優しさを持って染み入ってくるのがわかる。
幸せな出会いが形となっている。初録音の時は吉松の曲だった『ファジーバード』は、2回目の録音では完全に須川の鳥として羽ばたき、さえずり、夢想しながら舞っている。それこそが作曲家(しかも、指揮のできない作曲家)冥利に尽きると、何かで吉松が言っているのを見た。確か須川との対談の時だったと思う。須川自身も、『ファジーバード』を吹くことで、自分の中の何かが吹っ切れたと言っていた。
もっと自由に。
『ファジーバード』を聴いていると、陶酔と興奮のうちに、時たま感傷的な自分に気付くのは、「もっと自由に」という吉松の、そして須川の叫びにも似た声を聴くからだろう。少なくとも僕はそう思っている。クラシカルな(=シリアスな)音楽はこうあらねばならない。同様に、クラシカルなサックス、クラシカルな奏者というものにも、そういった束縛やしがらみが暗黙の了解のうちに構築されているような気がしてならない。それが、クラシカルな音楽全体の疲弊と衰弱をもたらしているという事に気付きつつも閉鎖的な生態系を取らざるを得ない一因となっている。高校生の時、現代に生きているからには同時代の音楽を聴くべきだという一種異様な観念に捕われた僕は、NHK-FMの現代音楽専門の番組を聴き続けた。そこでは、先に述べた閉鎖的な生態系の中で懸命にもがく生き物が蠢いていた。それは音楽というよりアイディアだった。人の目を惹く事はあっても、心を惹くことはないだろうその生き物は、誰かに何かを伝えたいという意志などもっていないようにも見えた。いうなれば非常に主観的で一人称的で閉鎖的で自己完結的で、つまりひとりよがりな生き物。そのグロテスクな生き物達がどれだけ声高に叫んでみても、誰に耳にも届かないだろうなと思った。吉松隆の『朱鷺によせる哀歌』を聴いたのはそんなときだった。
涙が出た。
もがき、苦しみ、死に絶えてゆく鳥が、それでも懸命に生きようとするモノローグに思えた。それは絶叫するのではなく、ささやかに、静かな声で語られる。それでいて何者にも代えがたい音楽が、切に響きはじめる。以下に、『朱鷺によせる哀歌』について、吉松自身の文を。
――1971年夏、能登で捕獲された本土最後の朱鷺が死んだ。その時、青空を飛翔す
る朱鷺の姿を初めて写真で見た。泣きたいほど美しかった。それ以来、淡い白色の鳥
たちの嘆きの歌が空のどこかで鳴り続けているような気がする。
美しいものが滅び、むごいものたちが生き延びる。それは確かに自然の摂理かもしれない。しかし、ただ美しいものだけが駆逐され滅びてしまうのを何と弁解しつつ私たちは朱鷺のいない未来を生きていくのだろう?
この曲は最後の朱鷺たちに捧げられる。ただし、滅びゆくものたちへの哀悼の歌としてではなく、美しい鳥たちの翼とトナリティ(調性)との復活によせる頌歌として。ある意味、『朱鷺によせる哀歌』は暴力的である。美しさに満ちた、他の吉松作品も同様に。懸命に周囲の暴力から身を守りつつ歌い続けなければいけない、そんな悲愴感に満ちた音楽が攻撃的でない訳がない。
音楽を含めた芸術一般が総じて前衛である事を求め、結果前衛は保守的なものとなった。保守的前衛という矛盾はストイックなまでにそれ以外のものを排除し、よりいっそう独善的で排他的な性質を持つことになる。調性は退行の証とされ、口づさめるようなメロディーは粉砕され、音楽は極私的な(かつシェーンベルクの亡霊の下)理論によって統制され、がんじがらめに秩序づけられた音の羅列と化した。もっと自由に、という感覚は吉松の叫びでもあった。
『ファジーバード』を通じて、吉松隆という作曲家に巡り合えた事は、本当に幸せなことだと思う。その音楽は常に、音楽に対する自分の姿勢を自然なものに導いてくれるからだ。
『ファジーバード ソナタ』と『朱鷺によせる哀歌』以外にも、吉松隆の作品には素晴らしいものがたくさんある。少しずつ、それらを紹介できればいいなと思う。それはまるで、秘密基地に隠した宝物を友だちに見せる、喜びにも似た感覚である。
(敬称略)