Hannibal Marvin Peterson(Hannibal Lokumbe)

 あれは1970年後半、僕が上京したての頃、当時、武蔵小金井駅前の”伊東書房”の2階にあったジャズ喫茶でベーシストのリチャード・デイビスのアルバム「Now's The Time」を耳にした時だった。僕はそこから聴こえてくる雄叫びにハートをえぐられた。それまで耳にしたトランペットのサウンドとは明らかに違う異質なものであった。
 今日まで僕がトランペットを吹くときはトランペッターではなくて最も敬愛するジョン・コルトレーンのようなサウンドをイメージして来たのだけれど、そのきっかけになったのはハンニバルのアプローチ方法だった。何故だか分からないけれど僕には彼とコルトレーンが非常に近い存在として感じられたからだ。結局僕は22才で渡米するまで彼の音を聴きながらではないと寝れなくなるまでになっていた。間違いなく実質的に僕が最も強い影響を受けたトランペッターだった。武蔵小金井の田んぼの中の一軒家で毎晩彼のアルバムを子守唄に僕はアメリカ行きの夢を見ていた。
 彼は、バンドを個人技ではなくて一貫してトータルなサウンドとして作り上げていた。しかし前面に出て音の羅列でもってバンドをリードしていくやり方はまさしくコルトレーンスタイルだ。ソロをひとつの作品としてこじんまり造り上げていくトランペッターが多い中、彼の存在は非常に輝いて見えた。どちらが良いとか悪いとかじゃなくて、僕の進む方向はこれだと思った。
 
 マービン・ピーターソンは1948年テキサス生まれだ。1970年にニューヨークに移り住んで活動を始めている。彼がアメリカで今までの全活動期間を通じて最も脚光浴びたのは、自身のコンポジションによる民族色の強いものをクラッシックのオーケストラ(シカゴ・シンフォニーを含む)と共演したものであった。でも僕の中ではその分部はは全く抜けている。そして入って来ない。

左のアルバムは初期(たぶん初)のリーダー・アルバムで”Children Of The Fire”(Hannibal Marvin Peterson & The Sunrise Orchestra)。1974年に発表されたこの作品はいくつかの”Movement”に別れており、彼が延々と雄叫びを上げ続ける4楽章の”aftermath”は圧巻だ。トランペットを通常のメロディー楽器としてではなく倍音楽器としてエモーショナルに演奏するアプローチはまさしく神コルトレーンだ。まず通常では成し得ない領域に踏み込んだトランペッターであったことは確かだ。


 これが僕の子守唄だったアルバム”Hannibal”(1975年)。特に最後の”Soul Brother - In Dedication To Malcolm X”は 圧巻だ。ジャケットを見ての通り、まさしく象の雄叫びである。誰がなんと言おうと僕にとって世界最強だった。クールに演奏する全てのプレーヤーが嘘っぽく見えた。ただ時代の流れ(コマーシャル的に)とは逆行しているようには思えたけど、王道を踏み外さないかぎりそんなことはどうでも良かった。現在でも、後先考えず吹きまくるトランペッターはほとんど居ないだろう。それほど現実的なリスクを抱えた楽器だ。


  1981年のある日、ボストンのハーバード大学の校内のある場所に僕は居た。ハンニバルのソロ・ライブを聴くためだ。本当にソロ(一人)だった。彼は延々と一人で吹き続けた。とても綺麗で中身が詰まった音で、レコードで聴いた感じの荒々しさは全くなかった。言い換えれば結構クールに吹いていたと言えるだろう。黒人独特のブルースの魂も垣間見られた。落胆と驚きを同時に感じた。なんだ普通に、それも結構上手く吹けるんじゃないかと思った。演奏が終わってから何か聴衆に講義めいたことを顎を突き上げて始め出したので僕は場を後にした。そういう主旨の会だと後で知った。僕は偉そうに講義するミュージシャンは好きじゃなかったので(ミュージシャンは音を出してなんぼ)、二度と彼のレコード(CD)を聴くことはなかった。

 1984年にニューヨークのマンハッタンに住んでいた僕はある夜、久々にハンニバルのカルテットの出演があると聞きダウンタウンの”Sweet Basil ”に向かっていた。手にはマウスピースを持ってだ。そして1セットの終了後彼に”お前の楽器を吹かせろ、俺がもっといい演奏してやる”と詰め寄った。後はご想像にお任せするが・・・・・。別に悪気はなかった、ただもう一度あの雄叫びを聴きたかっただけだった。それでも結局最後まで本来の熱い演奏を聴くことは出来なかった。当然彼はそのあと僕に近づくことはなかった・・・・・ごめんねハンニバル。
 
 彼を最後に聴いたのは1990年頃”Village Gate”(1993年閉店)というクラブで久々に名前を見たので聴きに行ってみた。かつての面影はなく、見た目(モデルみたいにスーツをきめていた)も音もこじんまりといった感じだった。何でそうなってしまったのか僕の知る由もないが、少なくとも商業ベースに乗らなかったことだけは理解できる。それにそれより前からギル・エヴァンスのオーケストラに参加してたのを知っていたが(実際には1971年から1984年まで)、ラジオで聴いて何か寂しく感じた記憶がある。プレイがどうのこうのじゃなくて場が違うような気がした。彼の本領は小編成のオーケストラでの方が発揮されると思われたからだ。
 今のハンニバル?
 パワーは健在。何か落ち着くところへ落ち着いたって感じ。
 現在の名前”Hannibal Lokumbe”。