カイロ・ムハンマド・アリ・モスク
平成19年8月31日(金)
アプシンベルの壮大な日の出に感動しながらアプジンベルを後にした。
後はホテルに戻り食事をして7:40分空港に向け出発。
8:25分 MS−246でアスワンへ
アスワンからMS−136
に乗り継ぎカイロへ アスワンまでは空いていたがカイロ行きは混んでいた。
アスワン空港はチエックが厳しいカバンの中味までチエック。
同行者は、ベルトや.金具の付いた靴まで脱ぐように支持されていた。
カイロの昼食
お肉のタジン〔肉のトマト煮混み)
今まで出た肉で一番おいしかった。肉をあまり食べなかった私もとてもおいしくてみなたべてしまった。
ハチが食卓の周りをぶんぶん飛んでいた。皆キヤーキャー行って逃げていたが、
止まったところをすかさず紙で捕まえ退治した。
天井の大型扇風機だけだけど心地よいレストランだ。
その後ハンアルハリーりのバザールへ
ものすごく町は活気あってにぎやかガイドさんからいろんな注意事項を聞くと買うのが恐い。
香水のびんをうっているお店に入ってみる。・・・・ガイドさんが信用置けるお勧めの店・・。
小田さんは
ダウンダウンといって値切っているが、値段は???得したのかな。
値切るのが下手だから中々交渉できない。私・・
ある程度は遊びと思って買うといいと小田さんに言われる。
香水びんを一箱買ったが、日本まで壊れないといいね。
カイロのホテルは CONRAD HOTERU
このホテルは今まで泊まったホテルより高級感がある。
ベットもツインじゃなくキングダブルベット。
エレベーターもカードを差し込まなければ動かない。
シャワー室があっても使い方がよくわからないので浴槽に湯を入れて入る。
518の15階のお部屋に入ろうとすると、ベットメーキングの人が2,3人あわてて部屋に入ってくる。
私の部屋に入り電話しまくっている。、
私は何がなんだか分からないので、ボケーッとしていた。
このお部屋は使わないと思って清掃もベットメーキングもしていないようだった。
ホテル側が急きょお部屋の交換をしたけど(当初私のお部屋は14階だったらしい)、
係りに伝わってなかったみたい。
私はベランダで清掃が終わるのを待っていた。
その話を夜出かけるときに話したら
ホテルマネジャーにガイドが一緒に抗議 してくれた。
そのおかげかサービスでフルーツバスケットがおいてあった。
今回の旅行は宿泊ホテルのアクシデントが多いね。
でもこの果物食べきれないので全部ガイドのサイエドさんにお別れのプレゼントに差し上げた。
このホテル超豪華、私のベットもキングサイズ。鼻血で汚れると困ると思って、浴室の
バスタオル全部持ってきて、お布団が汚れないように注意する。
枕も汚れないようにバスタオル。
この写真のスタンド側にちょこんと入ると、まだ2人位寝れるよ。
夜はナイル川のデナークルーズ
カイロエジプと博物館
カイロの朝
平成19年9月1日(土)
6:30分起床 7:00に朝食へ。
鼻血も心配していたが出ずよく眠れた。
一応日程を消化したから安心したのだろう。
朝食の時「もう一度エジプトを今からまわれる?」と小田さんが聞いたので「鼻血がでなければね」と返事。
帰国する安心感なんだろうね、と小田さん。 心配かけてしまったね。でもよかったよかった。
ホテルともお別れ フロント
今日はエジプト考古博物館見学、いよいよツタンカーメンがみれる。
エジプト考古博物館
エジプトの首都カイロにある考古学博物館。通称カイロ博物館。
年中無休。1858年にフランスの考古学者、オギュスト・マリエットが遺品を展示したのが始まりとされる。
収蔵点数は20万点にものぼると言われる。
館内には、ツタンカーメン王の王墓から発掘された黄金のマスク、黄金の玉座をはじめ、
カフラー王座像、ラムセス2世のミイラなど、古代エジプトの至宝が展示されている。
入り口の庭にはパピルスと蓮の花。 エジプトではロータスという。
言葉に表せないほどの感動。
エジプトにツタンカーメンの遺物をまとめておきたいという、
カーターーさんの熱意にほれぼれとする。
ロゼッタストーンのレプリカだが見ることが出来て非常にうれしかった。
もっと大きいものかと想像していたんだけど。
ナポレオンは古代文明に興味があったのだろうか?本物を持って帰ってしまったのだから。
でもこの石が見つからなかったらシャンポリオンも解読できなかっただろう。
シャンポリオンがヒエログリフ(象形文字)を解読したことで何千年もの歴史、
フアラオの時代の出来事が推測できるようになった。 ほんとに偉業だと思った。
ロゼッタ・ストーン(ロゼッタ石、Rosetta Stone)は、
エジプトのロゼッタで1799年に発見された石碑。
現在は、イギリスの大英博物館で展示されている。
3種類の紀元前の文字で書かれており、最後の文字は古代ギリシャ語であった。
3種類の文字で同じ内容が書かれていると推測され、何人もの学者が解読を試みた。
最初にトマス・ヤングがファラオ名など固有名詞の解読に成功し、
ヤングのアプローチをヒントに、最終的にジャン=フランソワ・シャンポリオンによって解読された...
ツタンカーメンの遺品を見る。あまりの素晴らしさにたたずんでしまう。
本とかビデオではこの素晴らしさを全く感じられない。
いまだに光り輝くお黄金のマスクと棺その棺には素晴らしい模様がほってある。
本にはここ所蔵された先王朝時代やフアラオ時代の驚くべき宝の数々は
見るものを深い思索の世界に請わずにはおかないとある。・・・まさにそのとおりだとおもう。
まともに見られなかったのはミイラ室。
物体と思えばいいのかもしれないが、死後人目にさらされるのは気の毒でたまらない。
まともに見ることが出来ず、すぐでてしまった。皆もとの場所に戻してあげたい。
新王国時代第18王朝の王ツタンカーメンは
在位時の業績はほとんどなく
王名表からも名前が削除されるようなほとんど
無名の王でした。
ところが1922年11月にイギリス人考古学者ハワード・カーターによって
その王墓が発見され、
ほとんど盗掘されることなく約2000点もの副葬品が見つかりました。
それらのほとんどが当時の最高技術を駆使した芸術品で黄金製または
金箔を張ったもので
これによりツタンカーメンは世界で一番有名なファラオとなりました
内部は撮影は禁止。
資料を覗いてみてね。博物館の展示物がわかるよ。
ツタンカーメンクリックしてね。
昼食
エジプト風中華料理
久しぶりの中華料理おいしいけど沢山ありすぎてお腹一杯で食べきれないよ。
ムハンマド・アリ・モスク
城塞の北側頂上にある壮麗なモスクがムハンマド・アリ・モスクです。
内部及び外壁にアラバスターを使用していることから別名アラバスター・モスクと呼ばれています。
まずムハンマド・アリがルクソールのオベリスクとここにある時計〔壊れていて直らない)
をフランスと交換したのだそうです。
ガイドのサイエドさんはハンマド・アリは古代遺跡にきょうみがなかったらしいといっていた。
モスクの中 お祈りしているガイドのサイエドさん。
バスの中から見た市内。
空港内の売店
9:45分 MS962 エジプと航空 エジプトとお別れ
楽しかった10日間いろいろアクシデントもあったが、感激の連続であった。
見るものすべてが素晴らしかった。
古代エジプトが、ファラオの時代がこんなに高度な素晴らしい技術があったとおもうと本当に驚きであった。
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